第19話 3日目...1

「借金ねえ。日本ってのは裕福なところだと思ってたんだが、そういう国でも格差ってのはあるんだな」


 クローニンがオーブンから冷凍食品のパニーニの箱を掴みだしてお手玉を始めた。


「そりゃ、あるに決まってる」


 電気コンロで沸かしたお湯を捨ててレトルトパックのポトフを拾い上げ、亮司は適当な食器を探して厨房内をうろついた。廃墟とはいえ元はホテルだけあって何十人ものコックが働けそうなほどに広い。


 ステンレスの調理台のドアを片っ端から開けていく。ようやく見つけた白い皿の表面は綺麗なままだったが、建物の有様からどれだけ放置されていたか分かったものではないため、寸胴に水と一緒に入れて消毒を行うことにした。


「それで、あんたはなんで参加したんだ? なんというか……いやに手慣れてるよな、戦い方というか、銃の扱いっていえばいいのか? 軍人だったりするのか?」


 お湯が沸くのを待ちながら亮司はクローニンに聞き返した。食べ物が温まるまで暇だったせいか延々と話しかけてきたおしゃべりな黒人男──とうとう根負けした亮司は、気づいたときには自分の事情をかいつまんで説明してしまっていた。言葉が通じないため、ゲーム開始時間までは少しあったが、お互いにヘッドセットを着用している。


「あー、俺? 軍人じゃあないけどよ、まったく素人ってわけでもないんだよな。実は俺、IRA暫定派なんだけどさ、いい加減そこにいるのもだるくなってきたんで抜けようと思ってんだよね。で、かといって他に取柄とかあるわけでもないし、とはいっても先立つものは必要だしで、どうしたもんかと思ってたところに組織の支援者っつーの? その一人がこの話を持ってきたんだよ」

「へえ」


 亮司はキッチンまで持ち込んだ三段のワゴンカートにあるだけ食事を乗せて広間へ戻った。ニスで光る木製のテーブルに積もった埃をナプキンで拭き終えたニコルとクラッチが出迎える。


 がらんとしたホテル内のレストランのど真ん中の席に4人は座った。ガラス張りになった東側には荒れ放題の庭が広がっている。四方八方と無造作に伸びた草花の蔓の隙間に、花壇のレンガのオレンジが僅かに見える。


 体の奥底に染み入るような二日ぶりの温かい食事──元がなんなのか分からないほど小さな野菜くずの入ったスープをすすりながら亮司は訊いた。「なあ、IRA暫定派ってなんだ?」


 ニコルは首を傾げた。クラッチが苦笑する。


「成立の経緯は複雑で、一言でそう表現してしまってもいいと感じるかどうかは人それぞれだろうが、世間的にはテロ組織という扱いになっている」


 亮司は思わず口に運びかけのスプーンを止め、隣でミートボールを頬張る男の顔をまじまじと眺めた。テレビの画面の向こうの世界の住人でしかなかった存在がそこにいる。


 クローニンがものを口に入れたまま笑った。「そんなに珍しいか? 俺からすりゃ日本人の方が珍しいぜ」

「日ごろからテロリストに囲まれてればそう感じるだろうな」


 つい軽口が飛び出る。自分もいまの状況に随分毒されてきたなと亮司はふと考えた。


「テロ組織って簡単に抜けられるのか?」

「そこらへんはひと悶着あったが、賞金の半分を渡すってことで手を打ったよ。それに俺は別に幹部でもなんでもないし、大したことは知っちゃいないからな」クローニンが笑った。「なんだよ、もしかして心配してくれてんのか?」

「ただ疑問に思っただけだ」

「なにか、思想的に相容れないことでも?」興味をひかれたのかクラッチが顔を突っ込んでくる。

「いいや。むしろ思想的な面で言えば初めから同調したことなんてなかったな。俺は両親がIRAの戦士で、何がどう正しいかも分からないまま、そのままなし崩しで参加させられてたようなもんだ。それに、ほれ」クローニンは孔雀が注目を集めるように両手を広げた。「俺は見たまんまブラックアイリッシュだろ? あんまり馴染めないうちに色々面倒になっちまってよー」

「隔世の感というやつだな」


 納得したのかクラッチが食事に戻った。あまり肉には手を付けていないようで豆やらポテトサラダばかりつついている。


「あんたの話も聞きたいな。ただのビジネスマンには見えないぜ?」ちょうどいいとばかりに会話に加わってきたクラッチに向けてクローニンが言った。

「あまり愉快な話じゃないんだが……まあ、罰ゲームみたいなものだ」クラッチは含みのある顔でサスペンダーのヒモを引っ張った。「仕事でとんでもないヘマをやってね、その補填というわけではないが、参加させられるハメになった。君の言葉を借りるなら、これで手打ちということになるのかな」

「えー、なんで3人が仲良くなってんの?」


 ニコルが頬杖をついてフォークをふらふらとさせる。邪気の無い笑顔に見えるが、何か妙に嫌なものを感じる。


「別に他意はないよ、男同士だから距離が近いのさ」クラッチが弁明するようにはにかんだ。「それはそうとお嬢さん、いまは何か、昨日のように予感めいたものを感じたりは?」

「誰かに見られてる感じはするね」


 クラッチとクローニンはその言葉を聞いて黙り込んだ。まったく不本意ながら、亮司も否定の態度を表に出すことができないくらいには信じている。


「まあ広くて目立つ建物だし、他に居合わせたプレイヤーがいるのかもね。姿は見えなかったけど」


 亮司たちはゲーム2日目の夜を廃墟になったホテルで過ごした。野宿でいいじゃないかとの意見も出たが、折角の停戦時間中なのだからしっかりとした休息を取るべきで、体力イコール集中力であり思考力であると亮司が頑として突っぱねた。


 ホテルは隅から隅まで散策しようとしたら数時間を要するくらいに広かった。スタート地点は作りかけといった雰囲気だったが、こちらは完全な廃墟だった。エントランスホールに飾られた現代アート、水の入っていない底に黒い汚れがこびりついた室内プール、支えがちぎれて床に落下したランプがバラバラのシャンデリア、もとは人が生活できる空間だったことが窺える。


「一応確認してはいるけど、SNSの方に動きはないみたいだね」


 ニコルは背もたれに体重をかけ、そのまま足先をテーブルの留め具にひっかけて椅子を傾けている。ロッキングチェアのように体を前後に揺らしながらコンソールを操作していた。


『何の反応もないのは当然ですね。覚えてますか? IDさえ分かれば連絡が取りあえるってやつです』


 ナビゲーターが言った。AM08:00──あちらも準備ができたようだ。


 独りごとを言っていると思われないように亮司は無言で頷いた。他の人間も黙りこくっているのは自分のナビゲーターと相談しているのかもしれない。


 昨日、自分たちに賞金をかけた人物は、SNSでそれを行った。つまり自分のIDを晒したことになる。そして返答は直接自分に行うようにとの但し書きもあった。理由はひとつ──自分たちに余計な情報をもたらさないため。


 腹の虫を抑えるため、IDを晒したリスクを教えてやろうと亮司は昨日と同じように【ノイズメーカー】をヘアバンドの男と思わしきIDに対して発動した。このスキル、アージュンの【デコイ】と同様に、視認だけではなくID指定も可能であるため彼我の距離は関係なしに発動できることに、昨日使った後に気付いた。


 スキル発動のダイアログが出る。本当に効果が現れているのかどうかは確認することができないが。


「スキルってのは、交戦可能時間じゃなくても使えるんだな」


 何気なく言った亮司のひとことにニコルが椅子を戻してテーブルに両肘を乗せる。「へー、そうなんだ。っていうことは、いま使ったの?」

「ああ。ヘアバンドに嫌がらせみたいなことをな」

「どうやって? 本人がいないのに?」

「ID指定で発動できた。そういうスキルもあるってことだな」

「あー、なるほど?」


 ニコルがテーブルの上にうつ伏せになるようにして考える。


「つまり私たちのIDを指定して何かすることもできるってわけなんだ?」

 亮司は虚を突かれたようにのけ反る。自分でやっておきながら今の今までその考えに至らなかった。「そういうことだろうな」

「例えばIDを指定したら座標が分かるスキルなんていうのがあったり?」

「……あるかもしれない。というより、むしろ有り得るな」


 クローニンがおもむろに立ち上がった。手についたソースの汚れを自分のズボンで落とす。


「それじゃあ飯食ったらさっさと移動するか。戦闘が禁止されてるってだけで動き回るのはOKのはずだ。シャーマンのお嬢ちゃんの直感に言わせれば、どうせここも見張られてるらしいからな」

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