第2話 八季庵(はちきあん)号

 真夏の昼下がり、サファリキャップを粋に被った紳士と、キャペリン帽子のつばの奥から微笑む貴婦人がツイスミ不動産を訪ねて来た。

 Aと名乗るこのシニアカップル、子供たちはとっくに巣立ち、また親の介護も昨年終えたという。

 きっとこの歳に至るまで色んなことがあったに違いない。

 だが今は人生終盤の自由を満喫しているようだ。

 応対に出た笠鳥課長とスタッフの紺王子を前にして、夫人はおもむろにタブレットを取り出し、ツイスミ不動産のHPを立ち上げた。

 そして夫が画面のメッセージを朗々と読み上げる。


 長い旅路の果てにきっとある、

 あなたの居場所。


 これからの残された人生は穏やかに、

 そして好きなように暮らして行きたい。


 そんな終の棲家を

 あなたはお探しではありませんか?


 お任せください、ツイスミ不動産に。

 あなたのご要望に応え、

 最高にご満足いただける物件を

 ご紹介致します。


 A氏は一呼吸し、「これ、嘘じゃないですよね」と眼光鋭く睨み付けてくる。

 笠鳥凛子ことカサリンは若干の震えを覚える。

 しかしこんなオヤジに怯むほど柔ではない。オホホと一笑し、「私並びにこのクワガタ、いえ、紺王子宙太が誠心誠意お探し致しますわ」と啖呵を切る。

 それと同時にデスクの下でクワガタを二度蹴る。

 これは合図だ。

 なぜなら家探しのキーパーソンは旦那より奥さま。そのA夫人に、何はともあれイケメン風にアプローチを開始せよということ。


 これを受け部下は「私はこんちゅう(紺宙)、だから昆虫のクワガタとしてここで飼われてます」とまずは自虐的に場を和ます。

 その後間髪入れずに、奥さまが一番お綺麗とばかりに愛想笑いし、「終の棲家のお好みは?」と訊く。

 この会話から外された旦那がムッと表情を変える。

 しかし古女房は手慣れたもの、「まずはこの人の望みを聞いてやってください」と立てる。


 なるほど、最終決断者が妻だとしても、そこへ至るプロセスが必要。

 そこで課長は「まずはご主人様のご要望を」と促す。

 すると旦那は待ってましたとばかりに、「春は山里の一本桜を愛で、夏は大海原の白い帆に乾杯。秋には紅葉に埋もれる山寺をふらりと訪ねて、冬は白銀の雪原、その氷点下の冷たさを感じたい」と、うわ言めいたことを。


 これに妻は「でもね、春夏秋冬だけでは物足りないよ」と夫の演説を一蹴し、「新芽ふく冬から春への原野、若鮎跳ねる春から夏への清流、賑わいが消えた夏から秋への浜辺、枯れ葉舞う秋から冬への並木道、私は春夏秋冬の間にある、移ろい行く四つの時季が好き、だから四季だけではなく、四つの模様替えを合わせた八季を味わいたいわ」とオヤジより欲張った主張をする。


「えっ、八季? ……、すご~い!」

 カサリンは意味不明のまま女学生のように叫んでしまう。

 されどもさすが百戦錬磨の熟女課長、「終の棲家と八季はどう絡み合うのですか?」と冷静に疑問を投げ付ける。

 すると即座に、キャペリン帽子のつばを摘まんだまで、「今申し上げたような八季すべてが周りにある終の棲家を、探して欲しい、――ってことよ」とご婦人からまさに剛速球が返ってきた。


 一本桜、白い帆、山寺、白銀、原野、清流、浜辺、並木道。

 クワガタは脳内で可能な限りタグ付けをし、「こんなの全部味わえる物件なんて、この世にはないショ、無理無理無理!」と叫んでしまっちゃったです。

 だが一方で、カサリンに不動産屋ガッツの火がメラメラと。

 あとは勢いと弾みで宣言、「アタイが、探し出してみせますわ」と。


 2週間が経過した。

 なんと極上物件が見付かったのだ。

 再来店した夫婦が開口一番に「どこにあったのですか?」と質問する。

 紺王子は「徒歩5分のところに」と胸を張る。

「えっ、そんな近場に」と驚く夫妻に、「まずは現物確認しましょう」とエスコートする。そして着いた所は市営駐車場だった。


「あれです」

 紺王子が自信満々に指を差す。

 その先にあったのは車体に八季庵号と銘打たれたピカピカのキャンピングカー。

 旦那は「なんじゃらほい?」と首を傾げ、その後「この手があったのか」と頷く。

 妻は「日本の八季を味わうためには、こちらが動けば良いのね」と笑みが零れる。

 そしてその目からは鱗が一片二片と落下。

 これを目視確認した不動産屋二人、「この終の棲家で日本八季巡りの旅をどうぞ」と深く一礼する。


 だが一番肝心なことが。

 それを察してか夫人から「ところでお値段のほどは?」とじんわりと質問がある。

 これを受けクワガタは自信満々に「お値打ちの、680万円で~す」と言い放つ。

「うん、リーゾナブルだ」と目を輝かせる夫。

 されどもだ、妻は「八季庵号に住んでしまえば、主人と24時間掛ける365日、ずず、ずっと一緒なのね」と微妙に顔を曇らせたのだった。


 さてさてみな様、A夫妻が終の棲家として八季庵号を購入したかどうかは個人情報です。

 だから明かせません。

 ただ、時に日本の八季を巡る旅に、この身を埋没させたいと思いませんか。

 そのための住まいとして、八季庵号は一つの選択肢になり得るかも、ね。


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