【第二幕】 太陽が目指した遥か

 

 春の日差しが眩い、ある日。

 練習試合で友人が足首を骨折したため、例によって少年は母親とそのお見舞いに来ていた。

 何せ、あれは自分のせいだ。七歳から始めたサッカーは二年目、その能力は人一倍自信があった故に、後半のラストプレー、絶対一点取れる筈と、本来のDFのポジションから離れた相手ゴール前、そこで飛び込み味方同士接触してしまった。

 自分こそ軽い脳震盪で済んだが、相手の方は着地に失敗し救急車で運ばれた。それはちょうど一昨日で、右足首を捻ったための骨折と診断されたと聞いた時は、もう頭が真っ白だった。 肝心の試合にも負けてしまったし、自分のプレーを糾弾するチームメイトもいた。怪我をさせた彼とは口を聞いて貰えないかもしれない。色々なものが余計心がどんよりさせる。

 だが、実際に病院へお見舞いに行くと、思ったよりも足の容態は悪くなく、すぐに退院も出来ると聞いた。本人も、試合だから仕方ないと特に気にしてる様子は見せず、思わずほっとする。同い年だけど、自分より大人っぽいな、と感心しながら。

「あら、あきちゃんじゃないの。お見舞い?」

 母親の後ろを歩いていた彼の目に、一枚の画用紙を持った女の子が見えた。母親は外向けの笑みでその女の子に話し掛けている。家でいる時とは大違いだな、と頭を掻く。

 ――ああ、あいつか。

「わ、この桜の絵すっごく上手ね。……ちゃんにあげるの? あそうだ、冬也。せっかくだし一緒に、……ちゃんのとこ行ってあげなさいよ」

「ん……誰それ」

「あきちゃんのお友達。たまにクラブの練習も一緒に見に来てるわよね。体が弱いからあまり長い間、いられないみたいだけど」

「へえ」

 何となく興味が湧いた風な彼に、母親が軽く背中を押した。無理やりだななんて思いつつ、女の子の方も彼の隣に並んできて「ん」と手を取って促される。

 彼女と少年は近所付き合いの仲だった。お互いの家に遊びに来た事もあるが、進んで一緒にいる訳ではない関係。あくまで、親に巻き込まれているだけで、特別な仲とは言い切れない間柄だった。

 ただ、隣に居た。それだけの存在。

「なあ、……ちゃんって?」

 リノリウムの廊下に足音を響かせ、少年が尋ねる。後ろにいた母親は、後から来た女の子の親と話をしている。

「ここに入院してるあたしの友達」

「なんかさっきうちの練習見に来てるって言ってたけど、なんで」

「……付き添いなだけ、あたしの」

 ぼそっと聞こえないように漏らすと、彼女はそのまま305号室のドアを背伸びしてノックした。しばらく待ってみるが、いつになっても返答は来ない。仕方ないので先に「失礼しまーす」とだけ言って彼女がドアを開けた。

「いないみたい」

 蜂蜜みたいに夕焼けの色がどろりと差し込む病室は、他に人がおらず、狭いながらもがらんとしていた。唯一さっきまで人気のあったベッドに目を移すと、枕元に難しそうな小さな機械と絵描きセットが並んでおり、足元に小さなバッグがあった。

「どこいったの、その、……ちゃんって」

 少年が捲れ上がった毛布を確かめながら言うと、やめなよと彼女にまたも手を掴まれる。ちょっぴり呆れ気味だ。

「外行ってるだけでしょ。すぐ帰ってくるだろうし、待とう」

「待つのか? んー何して?」

「そう言われても。普通に待てばいいでしょ」

 と、少年の視線が、彼女のもう片方の手に持たれた画用紙へと行く。

 それは色鉛筆で書かれた桜の絵だった。大きな木の下で沢山の舞い散る桜を見上げる、小柄な少女の絵。幻想的で、どこか儚い世界が、そこにあった。

 その絵に釘付けになった少年は、ベッドの枕元にある色鉛筆とA4のルーズリーフを持って何やら書き出した。

 感化されたようだ。

「おまえ上手いよなぁ、絵」

「そう、かな」

「俺のと交換して」

 と言っても少年に絵心は無い。雑に描いた棒人間と四角い木の絵を見せる少年に、さすがに彼女も頭を抱えた。

「書くならちゃんとやんなよ」

「つっても、書き方わかんねぇし……あ、じゃあそれお手本にするから、貸して」

「それは、いいけどさ……っていうか、その色鉛筆、……ちゃんのだから、来るまでは普通の鉛筆で下書きやってれば。帰って来たら借りていいか訊いてさ」

「それもそうか」

 床に寝そべり早速彼女の絵を横にしてちゃんとした下書きを進めてく少年。対して、一人で楽しそうな姿に彼女はムッとした表情を浮かべる――せっかく一緒にいるのに。

 集中し出した少年にぶっきらぼうに「向こうにいる」と一言残してから、彼女は廊下の奥にある図書コーナーへと足を進めた――ああそうだ、あたしもちょうど読みたい本があったんだよね。それにこの位置なら、誰かが入って来た時、目に入るし、と言い訳のようなものをして、数名の先客の脇を抜け、空いて椅子に座って目当ての本を探した。

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