流砂にプレリュードを

深田くれと

第1話 なっさん 1

 視界に広がる白い砂の海。

 頭上では太陽の光が燦燦と降り注ぎ、足下では純白の砂が悠々と流れる。

 壊れた家の残骸や廃車の一部が、流れに誘われ、あてもなく移動していく。

 なんてことはない。いつもの見慣れた光景だ。


「今日も立派だな」


 白いTシャツに綿パン姿の那須平巴(なすひらともえ)は、覗いていた壊れかけの双眼鏡から目を外した。頭に載せていた安全ヘルメットに手を伸ばして脱ぐ。

 汗で額に張り付いた前髪に無造作に手を入れ、ひさしを作って水平線に目をやった。


「今日も正午は四番ゲートっと。位置はいまいち」


 口笛を吹き鳴らしながら双眼鏡を地面に置き、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。手のひらサイズの手帳とぼろぼろの短い鉛筆を取り出す。

 ページをめくり、先を当てようとして、芯が出ていないことに気づいた。

 ため息を一つつき、歯で先を噛み削ると、ようやく鉛筆を走らせた。


「最近やたらと多いな。困ってるのかな……」


 那須平は目を細めて、遠くに浮かぶ『楽園島』と呼ばれる巨大な大陸を眺める。

 砂の海から切り離されて浮かんでいる大地の上には、陸地を覆う半透明のドームがお椀をひっくり返したようにかぶさり、その中には似たような建物が並び立っている。

 限られた土地で、所狭しと建築物が背伸び競争をしているのだろう。


「不公平な話だ。分けるって言葉は知らないのかね」


 那須平は自分の立つ場所を嘆息しながら見つめる。

 ここは砂の流れの合間に生まれるゴミ島だ。砂に押しやられたゴミ、折れた木材、そして家の屋根などが複雑に絡み合っただけの、小さく不安定な場所だ。

 

 ***


 二十年ほど前になるだろうか。

 この世界は、砂に覆われた。

 事の発端はマンホールから砂が噴出したことだった。それが日夜止まらなかった。

 通報を受けた警察や消防が対処に動いたが、砂の勢いはすさまじかった。自治体がまごついている間にエリア一体は瞬く間に砂に沈み、戸建ての二階は一階へと変貌した。

 非常事態に様々な専門家が集まり、有効な打開策の検討を重ねたが、既に遅かった。

 翌週には鼠算式に砂を吐き出すマンホールが増え、一カ月後には世界中の至るところが間欠泉のように白砂を噴き出すこととなった。

 道路は真っ先に姿を消し、戸建てが砂に没し、低層の建築物があえなく消えた。逃げ遅れた住人が多数命を失った。

 唯一、砂にある程度の浮力が存在することだけは救いだった。

 そして、時間が過ぎた。

 砂面の上昇が止まったと気づいた時には、高くそびえたつ山の頂と海洋の奥を残して、森も川も、マンションやビルも、砂の海に呑み込まれた遺物となっていた。

 すべてが変わり果てたころ、異変が起きた。

 流砂を割るようにして、二十キロ四方の大地が轟音と共に突如せりあがってきたのだ。それは元の大陸の一部だった。

 不規則な砂の波に揺られ、ボートや廃材の上で生活を余儀なくされていた人々は活気づいた。

 あそこに登れば助かる。

 今までの生活に戻れる。

 誰もが一縷の希望を求めて集まった。こんなにも人が生き残っていたのかと思うほどだった。だが、必死の思いで流砂を抜け、大陸に近づいた人々は言葉を失った。

 せりあがっただけでは無かった。

 島は浮かびあがっていたのだ。

 大陸は悠然と浮いていた。砂塵をもうもうと巻き上げ、己の上に溜まった白砂をいやがらせのごとく人々に浴びせかけた。

 悲痛な叫び、阿鼻叫喚の声。慌ててその場を離れようとした。

 ちょうどその時だ。

 全員がとある物に目を奪われた。

 それは目も覚めるような深紅の巨大な石だった。

 直径十メートル程度の大陸を背負うにしては小さすぎるそれは、逃げまどう人々をあざ笑うように深く輝き、一方で大陸に掬いあげられた人間たちを祝福しているようだった。

 物理法則を無視する石は眺めるように大地の底に居座っていた。

 こうして、わずか一年足らずで世界の様相は激変した。

 運の良いわずかな人々は楽園島で安全な暮らしを。そして大多数は、その楽園島を羨望の眼差しで見つめながら、過酷な暮らしを強いられることになったのだ。


 ***


「なっさん、楽園の観察より水集め手伝ってよ」


 那須平がぼんやりと考えていると、壊れた家の屋根を伝って、栗色の髪の女性がやってきた。

 端々がほつれた明るいオレンジ色の半そでシャツにジーンズ生地の短パン。足にはくたびれたスニーカーという出で立ちの女性――平未久(たいらみく)――は、切れ長の瞳を細めて睨んだ。


「聞こえないの? 水がもう尽きそうだって言ったの」


「未久か。昨日、砂サメもらってきたところだろ。まったく無いってことはないはずだ」


 那須平は一瞥して訝し気に眉を寄せた。

 未久の声が一層刺々しくなる。


「まだ切ってないし」

「おいおい。せめて切ってから言えよ」


 那須平は肩をすくめる。


「今日の料理当番は未久だろ。サメ一匹切るのにどれだけかかってるんだ」

「だって、あいつ固いじゃん。あんなの私じゃ無理だし。最近握力も落ちてるような気がするし」


 未久は悪びれる様子なく言う。

 那須平は「あっそ」と口に出してゆっくりと振り返った。言い聞かせるように告げる。


「未久、いいか。いずれ何かあった時に一人でやれないとどうするんだ。死ぬぞ」

「そのお説教聞き飽きちゃった。死ぬのは嫌だけど、なっさんみたいに力ないし。同じことやれって不公平じゃない?」

「あれは力じゃない。コツだ。隙間を探すようにして――」

「じゃあ、なっさんがやりながら教えてよ」


 那須平の言葉を遮り、未久が後ろ手に組んで上目遣いに熱っぽい瞳を向けた。

 肢体に浮かぶ汗がきらめくように輝く。

 しかし、那須平は白けた顔で目を細めると、安全ヘルメットに手をのせて苦々し気に言う。


「三日前もそう言われて教えたはずだろ。毎回そのパターンが通用すると思うなよ。俺だって意地悪で言ってるんじゃないんだ」

「えぇ、つめたーい。でも、ありがと。手伝ってくれるんでしょ? 顔に書いてあるもんね」


 未久はころりと表情を変えて微笑むと、踵を返して屋根を蹴った。

 瞬く間に掘建て小屋に滑り込み、姿が見えなくなる。


「今回で最後だからな……」


 呆気にとられていた那須平は苦し紛れにそうつぶやいた。

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