身操ノ隷嬲(しんそうのれいじょう)

現在1

　陽が陰って来たことに気付き、編み物をする手を休めて、ふと時計を見ると、もうすぐ夫が接待ゴルフから帰って来る時間になっていました。

　（あら、いけない。今日は家政婦の市川さんがお休みの日だから、私が晩御飯を作らなくちゃ）

　私は、キッチンに入ると手早く夕食の支度を始めました。

　一週間のうち、平日の５日は家政婦さんが掃除と食事の支度をしてくれるものの、｢新婚ほやほやの新妻として、たまには旦那様のお世話をしてあげるべき｣という母の意見に私も賛成し、土日だけは家の中のことをすることにしています。

　私自身、歴史ある旧家の娘として女のたしなみ全般を主に母親からキッチリ伝授されていますから、別段この程度の家事は苦になりません。

　父に買ってもらった新居は広いので、掃除だけは少々大変ですが、それでもその気になれば家政婦さんがいなくても、専業主婦の私ひとりで切り盛りできます。

　そもそも半月ほど前までは、実際にそうしていたのですし。

　でも、ひとり娘に甘い父は、私の妊娠が知れた途端、過保護に気を回し、実家の使用人の古株で、私とも面識がある市川さんを私達の夫婦の元に派遣することを決めました。

　そのことで、父と母の間ではひと悶着あったみたいですけど、いろいろ考えて私は父の申し出を受け入れることにしました。

　４ヵ月目後半で、まだあまりお腹の目立たない今は、とりたてて変わりはありませんが、妊娠中はお腹が大きくなるにつれて動くのが大変になると言う話を人伝手に聞いていますしね。

　そのぶん空いた時間は、今日のように赤ちゃんのための服を編んだり仕立てたり、胎教によいとされる音楽鑑賞や童話の読書などをしてノンビリ過ごさせてもらっています。

　焼き鮭と小松菜の浸し、ひじきとお揚げと人参の炒め物に、豆腐とわかめの味噌汁という、いかにも和風な夕食が８分通り完成したところで、夫から連絡が入りました。ちょうどあと30分ほどで帰宅できるそうです。

　「早く帰って来てくれるのはうれしいけど、休日で混んでいるでしょうから、クルマの運転は気をつけてね、あなた♪｣

　念のため注意を促してから、私は電話を切りました。

　あとは仕上げだけなので、夫が帰ってからで十分でしょう。

　私は手を洗い、エプロンを外すと、軽く化粧を直すべく寝室へと入りました。

　ドレッサーの前のスツールに腰掛け、鏡を覗き込みます。

　そこには、絶世の美女というには程遠いものの、お世辞込みで近所では｢美人若奥様｣と言われている程度には整った容貌の、ゆったりした淡い菫色のワンピースを着た20代前半くらいの若い女性──にしか見えない人物が映っています。

　緩く三つ編みにして胸の前に垂らしている長い髪をなんとなく弄びながら、私は、クスリと笑みを漏らしました。

　そう、｢若い女性にしか見えない｣、です。それは言い換えると｢若い女性ではない｣ということですから。

　え？　｢実はとっくに30を過ぎた年増、あるいはフケて見えるティーンエイジャーなのか」？

　いえ、そういうワケではありません。私は先日誕生日を迎えたばかりの正真正銘23歳です。

　つまり──私の本来の性別は｢男｣なのです。

　｢男が妊娠するはずがない｣？

　確かにその通り。発達した現代医学でも、整形外科的にはともかく、本当の意味で男性を完全に女性に変えることは未だできないようです。

　かといって、単なる想像妊娠というオチでもありません。今はまだそれほど目立たないものの、私のお腹には確かに夫との愛の結晶たる胎児が息づいています。先週も病院でレントゲンその他の機器でしっかり確認してもらったのだから間違いありません。

　｢どういうことなのか？　男だというのは、やはり嘘ではないのか？｣

　──と、混乱される方も多いかもしれませんね。

　それでは、ちょうど夫が帰って来るまで多少時間もあることですし、少しばかり思い出話につきあっていただきましょうか。