第五回 黄金の盒に同心を賜わり、仙都宮より重ねて召し入らる

黄金きがねふたもの同心どうしんたまわり

仙都宮せんときゅうより重ねてらる





文帝ぶんてい寵愛ちょうあいされた宣華せんか夫人ふじんこと陳氏ちんしは先ほどの張衡ちょうこうに寝宮を追い出され、後宮に帰っておりました。


ほどなく文帝の崩御ほうぎょと皇太子の即位の報せが届き、悲しみ恐れて身の置きどころもない心持ちでございます。


そこに一人の宦官かんがんが遣わされ、両手に黄金のふたものを捧げてしずしずと夫人の宮に進み入ります。


「皇帝陛下より夫人への贈り物でございます。手に取って御覧下さい」


盒を受け取ってみれば、ふたは四方を固く封じられ、封の上には仰々ぎょうぎょうしく新皇帝の花押かおうが記されております。

▼花押はサインのようなものとお考え下さい。


「毒薬などではございますまいな」


「皇帝陛下が自ら封印されたのでございます。わたくしめがどうして知りましょうや。自らお開けになれば分かりましょう」


宣華夫人の問いに宦官は答えず、いよいよ毒薬ではないかと疑います。


お付きの者たちも世間知らずの娘ばかり、みな真っ青になって中には声を上げて泣きだす者までおりました。


「嘆かれたところでどうしようもございません。すみやかにお開け下さい」


宦官が再三に促すと宣華夫人はようやく涙をふるって封を破り、恐るおそる蓋を取り去ります。


案に相違して盒の中にはただ美しく結び合わせられた五色のひもが入っているだけ。これは同心結どうしんけつと言い、男女相愛の意を示すものでございます。


「夫人は死を免れられました。重畳ちょうじょう重畳ちょうじょう

▼重畳は「大変喜ばしい」の意です。


お付きの者たちは一斉に笑って喜びますが、同心結から新皇帝の求愛を覚った夫人はただうつむいておりました。

▼同心結は求愛の印ですので、受け取ると求愛を受け入れたとされます。


「夫人が陛下の御心に従われませなんだがゆえ、今日の変事とあいなりました。しかし、陛下はお怒りにもならず同心結をお贈りになったのです。これは幸いというものでございます。早く陛下の御恩を謝されませ」


やむなく宣華夫人は同心結を受け取り、空になった盒を拝して返します。


宦官は空の盒を捧げて後宮を退いたのでございました。





一方の煬帝は同心結を送ってから吉報きっぽうを待ちわびておりました。


そこに宦官が空の盒を捧げて戻り、宣華夫人が同心結を受け取ったと報せます。


想いがなったと喜んだ煬帝、すぐさま後宮に駆けつけたいところですが帝位にいて間もなく、さらに文帝の喪中でもありますので人目をはばからぬわけには参りません。


日中は耐え忍んでおりましたが日が暮れれば気持ちを抑えようもなく、数人の宦官を連れて密かに宣華夫人の宮に向かいます。


宣華夫人は同心結を受け取ったことをやんでれるばかり、しかしながら今さら如何いかんともできません。


ついに煬帝を受け入れて一身いっしんに寵愛を集めることとなるのでございます。





それよりしばらく、煬帝は日暮れの後に宣華夫人を訪れて早朝に帰り、朝廷にも欠かさず出ておりました。


それが半月を過ぎれば宣華夫人の宮に留まって日が高くなっても起きて参りません。


皇后の蕭氏しょうしはそうとも知らず、文帝の喪中もちゅうゆえに別宮に起居して中宮ちゅうぐうを避けているかと寂しく思っておりました。

▼皇太子の居所を東宮とうぐうと呼ぶのに対し、皇后の居所を中宮と呼びます。また、皇后のことを中宮とも呼びます。


ある日、報せる者があって宣華夫人の宮に通っていると知り、前殿で煬帝にまみえて申し上げたのでございます。


「陛下は数日前に帝位に即かれたにも関わらず、早くも皇后であるわたくしめを忘れて先帝の側妾そばめおぼれておられます。そのようなお振る舞いが人の知るところとなれば、天下の女性にょしょうはことごとく陛下の寵愛をこうむるとわらわれましょう。宣華夫人におひまを出されるならば、妾はこれ以上申し上げません。留めて不倫の行いを続けられるとあれば、妾は令旨りょうじにて百官に陛下の行いを知らしめねばなりません。そうなったとしてどのようなお顔で百官に向かわれるおつもりですか」


「待て待て、事をくでない。ちんには朕の考えがあるのだ。まずは怒りを収めよ」


「陛下の御考えは妾には関係ございません。お聞き入れにならないのでしたら、宦官たちを遣わして宣華夫人に恥をかいて頂くだけのことです」


そもそも煬帝は蕭皇后に頭が上がりません。


その皇后が烈火れっかの如く怒っては手の施しようもなく、ただおそれてなだめすかすよりございません。


その間、煬帝の意を受けた宦官が宣華夫人の許に向かい、夫人の身を宮城外の仙都宮せんときゅうに移したのでございました。





宣華夫人が宮城の外に出て数日、夫人を忘れられぬ煬帝は気持ちを鎮められません。


朝夕に宮官や宦官を打擲ちょうちゃくして打ち殺される者まで出る始末、みな畏れて遠巻きにしております。

▼打擲は打つ、殴るの意です。


ある日、盛りにある牡丹ぼたんでるべく、蕭皇后は煬帝との酒宴を設けました。

▼牡丹の盛りは4月から6月頃、旧暦では晩春から初夏の花です。


酒もたけなわとなった頃合い、煬帝が声高に言います。


「人が天地の間に生まれて身は尊い天子となり、山海の富を集めたところで一人の美人とたのしむことも許されぬ。これでは富貴も無用ではないか。牡丹はいくら美しかろうが所詮は無情の草木、言わず語らずただ人の心を悩ますだけじゃ。情けも色気もある美人に及ぶべくもない」


「後宮には数千の美姫びきがおりますのに美人の一人もおらぬわけはございません。宣華夫人を失ったとはいえ、どうしてそれほどまでに世をお恨みになられるのです」


佳人かじんは得がたし、古人の言葉はまったく正しいわ」

▼佳人は美人の意です。


蕭皇后のいさめも聞かず、煬帝は不興ふきょうげに言い捨てて席を起ってしまったのでございます。





蕭皇后は煬帝が宣華夫人を忘れられぬと知り、翌日に見えて申し上げました。


「妾は陛下と夫婦の情をあつくするために宣華夫人を宮城から去らせたのでございます。それでかえって陛下の御怨みを受けては本末転倒というもの、宣華夫人を宮城に迎えて御心を慰めるよりないかと存じます。それならば、陛下も妾を恨まれず、両便りょうべんと申せましょう」

▼両便は一挙両得くらいの意味です。


「そうしてもらえるのであれば、皇后は天下一の賢徳の婦人と呼ばれよう。しかし、たわむれを口にしているのではあるまいな」


「どうして妾が空言そらごとを口にしましょうや。すぐにでも宣華夫人を宮城にお連れなさいませ」


煬帝は大いに喜んで夫人がいる仙都宮に宦官を遣わします。


ほどなく車に乗って宣華夫人が宮城に到り、煬帝はその手を引いてまず中宮で蕭皇后に見えさせました。


宣華夫人の拝礼はいれいを受けた蕭皇后は内心に喜んでおりませんでしたが、いて顔色をやわらげて接します。


それより酒宴となって酩酊めいていするまでかんを尽くし、宣華夫人は再び後宮に迎えられたのでございました。

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