第二回 名節を飾りて獨孤に孝を盡くし、陰謀を蓄えて楊素と交歡す

名節めいせつを飾りて獨孤どっここうくし

陰謀いんぼうを蓄えて楊素ようそ交歡こうかん





一夜明けた早朝、男児出生の報せを聞いた文帝は大喜び、獨孤どっこ皇后こうごうの寝宮に駆けつけます。


皇后が金龍の夢を語って聞かせましたところ、さとい文帝は狂風に吹き落されて鼠に変じたことから、「この男児は終わりを良くせぬであろう」と思い至ります。しかし、産後さんごの皇后に懸念を伝えるわけにもいきません。


「天をる金龍」から幼名を阿摩あまと名づけました。いみなこうと定められたこの男児こそ、後に煬帝ようだいと呼ばれることになるのでございます。

▼諱は本名ですが一般にはあざという通名を呼びました。字は成人した時に名乗ることが多く、それまでは幼名を呼んだようです。


さらに一日が過ぎると文武の百官が上表して男児出生を慶賀し、文帝は詔を発して天下に大赦たいしゃを行いました。





文帝の治世はいよいよ平穏、瞬く間に十年余りの時が過ぎます。


楊廣ようこうは好んで古今の書籍を博覧はくらんし、天文てんもん地理ちりから方術ほうじゅつ技芸ぎげいの書に至るまで通じないものはありません。


その一方、計略を好んで目的のためには手段を選ばず、密かに人の気持ちを察する陰の気性でもございました。


皇后はただ楊廣の聡明を喜び、文帝のかたわらにあって常に称賛いたします。


文帝もその成長を知ると皇后にはかって楊廣を晋王しんおうに封じ、晋陽しんよう鎮守ちんじゅを命じました。

▼晋陽は黄河の北、山西の大都市です。





晋陽に赴任した晋王には多くの車馬が従い、臣下に比肩ひけんする者はありません。とはいえ、皇太子の威勢には遠く及ばない。


このままでは一生を臣下として終えることになると憂え、どうすれば自らが皇太子になれるか思案する日々でありました。


思い悩んだ晋王は、腹心の段達だんたつという者に相談いたします。


この段達は心の曲がった小人に過ぎませんが、それゆえ役にも立ちます。たちまちのうちに一計を案じ、腹心の者を都に遣わして皇太子のあやまちを探らせたのでございました。





晋王の兄にあたる皇太子の楊勇ようゆう寛容かんような人となりでありました。しかし、儒教の小節しょうせつにはあまりこだわりがない。

▼小節は「つまらない儀礼」といった程度にご理解下さい。


父母の安否を問う省問せいもんの礼などはいささかおろそかにするところがありました。


気の強い皇后はこれが気に入りません。


さらに、元氏げんしという正妻との折り合いが悪く、かえって雲氏うんしというめかけを寵愛しておりました。


ある日、元氏がにわかな病で世を去ると、皇后は雲氏が暗殺したのではないかと心に疑います。


皇太子の落ち度を探していた晋王は皇后の不興ふきょうに気づき、自らは正妻の蕭氏しょうしを寵愛して妾を蓄えるような真似は慎み、時節折々に父母への贈り物を欠かしませんでした。


皇太子に失望していた皇后はこれを喜び、事ごとに晋王の親孝行を称賛したのでございます。





それより一年ほどが過ぎ、晋王は再び段達にはかって上奏文をたてまつりました。


その文には、入朝して父帝の尊顔そんがんを拝したい旨が縷々るると記されております。

▼「縷々と」は「長々と」くらいの意味です。


文帝は一読して晋王には父母を慕う孝心があると大喜び、詔を下して入朝を許しました。


日ならず晋王は京師けいしに入りましたが、儀仗ぎじょうも車馬もすべて質素なものばかり。

▼隋は長安ちょうあん洛陽らくよう両京りょうきょうとしていましたが、大興城たいこうじょうがある長安が京師、つまり首都とお考え下さい。


これは、文帝が倹約けんやくを重んじると知ってのことでございます。


宮城の午門ごもんに到着すると文武の百官にまみえて丁寧に挨拶した後、ただ国を治めて民を安んじることをのみ問うたのでございました。


こうなると、百官に晋王の賢明をたたえぬ者はおりません。





文帝のお召しを受けると晋王は東華門とうかもんを抜け、瑤泉殿ようせんでんの前まで進んできざはしの下で地にぬかづいて拝礼しました。


文帝は殿に上がるよう命じ、酒宴の席に着くよう勧めます。


「晋陽ではどのように国民くにたみを治めているか」


「ただ倹約して民の負担にならぬよう勤めております」


文帝はますます喜び、後宮に入って皇后にも顔を見せるよう命じたのでございます。





晋王は手ずから礼物を捧げ、長らく省問せいもんしていないことを皇后にびました。


しばしの歓談の後、退出しようとした晋王ですが、わざとぐずぐずして物言いたげに皇后の顔を見ております。


「言いたいことがあるならば、はっきりと申しなさい」


煮えきらない態度を皇后が叱ると、晋王は地に伏してただ涙を流すばかり。


驚いて助け起こし、その故を問えば訥々とつとつと語りはじめます。


「私は愚かで余人にまれぬよう振るまえません。父母の御恩を思ってたびたび人を宮中に遣わしておりましたが、太子は父母にへつらって大位たいいうかがっていると疑われ、私を害さんと企てておられるとか。ひとたび讒言ざんげんが生じれば、晋陽にある身では逃れようもございません。憐れと思召おぼしめされるならば何卒なにとぞ我が命をお救い下さい」


「楊勇めが、我が身の不孝を顧みもせず弟の孝行をねたむとは。わらわが元氏を選んでめとらせたにも関わらず、彼女は病でもないのに死んでしまった。今やめかけ雲氏うんしと淫楽を欲しいままにしていると聞く。元氏は彼奴かやつあやめたに違いあるまい。さらに弟まで手にかけようとするとは。妾に一計があります。お前は安心していなさい」


皇后が怒ってそう言うと、晋王は心中に喜んで恩を謝し、王府に帰って段達に首尾を語って聞かせたのでございました。





「この計略をげるには大臣を抱き込まねばならぬ。権勢けんせい楊素ようそしのぐ者はない。彼と結んで後ろ盾とするがよかろう」


晋王はそう言うと、黄金百両、彩絹あやぎぬ百反ひゃくたん、名馬一頭、宝剣一振りを礼物として段達を楊素の屋敷に遣わしました。


あまりに多くの礼物を前にした楊素はいぶかしく思いながら受け取り、慇懃いんぎんに段達を引き取らせます。


数日後、恩を謝するべく楊素が自ら晋王府を訪ねました。


段達たちが楊素をもてなし、屋敷の奥に進むと晋王がわざわざ出迎えます。楊素が一礼して共に高殿たかどのに上がれば、玉のさかずきに金の酒壺さかつぼ、その傍らには山海の珍羞ちんしゅうがずらっと並べられております。





楊素も永らく朝廷に仕える身であれば、晋王のはらなどお見通しでございます。


「陛下はもはや高齢、皇太子は世情せじょうをわかっておらぬ。代替わりの後に我が権勢が保たれるとは言い切れまい。晋王を助けて帝位にければ、必ずや我をとくとして権勢も揺らぐまい」


心中に計を定めると、えんたけなわとなった頃合いを見計らって申します。


「殿下の聡明は衆目の一致するところ、今や皇太子とて及びますまい。かつて皇太子を立てられた際、この老臣のみならず両陛下も十分に斟酌しんしゃくできておりませなんだ」


「兄上は皇太子となって久しく、朝廷では賢臣たちが政務にあたっております。くんは明らかにしてしんは忠というもの、たわむれにしてはお言葉が過ぎましょう」


「殿下はご存知ありますまいが、皇太子はこの老臣ろうしんめにいささか冷とうございます。殿下よりこのように厚くぐうして頂けるならば、日を動かして天を移す非常の策もございましょう。ただ、皇后陛下がどのようにお考えかが分かりませぬ。これは老臣の本心、決して戯れではございませぬぞ」


賢卿けんけいがそれほどに思って下されるならば、包み隠さず申し上げましょう。皇后陛下は皇太子が妃を殺して妾を寵愛する様が気に入らず、久しく廃嫡はいちゃくを考えておられます。ただ、大臣の支持がなくては廃嫡などできるものではありません。賢卿がくみして下さるのであれば、どうして躊躇ちゅうちょなどいたしましょう。大事が成れば、御恩は一生忘れますまい」


「皇后陛下がそのようにお考えであれば、老臣がお助けしないわけには参りませぬ。殿下におかれては心を安んじて吉報きっぽうをお待ち下さい」


二人はそれより数杯の酒を酌み交わし、日が落ちてあたりが暗くなった頃、楊素は再三に拝謝はいしゃした後に晋王府を辞去したのでございます。

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