第20話 ディーン・オータス

「ディーンよ。お前は20年前、フラスコとシャーレの中から生まれた。【キッシンジャーの】暗号は解いたかね?」ティムは落ち着いていた。誰もが彼の甘い声に耳を澄ませていた。

「あれは湖の地形を表していました。表向きは彼の論文ですが」

「キッシンジャーが発見したラヴの理論は理解しているね」

「はい。人間はラヴを吸ってエネを吐くと」

「そのラヴの源はわかるね?」

「はい。お母さまの一族と、あとは人間の記憶から合成できます」

「そう。レメディオスの一族は、エネからラヴを合成できる数少ない生物種だ。しかし人間が増えてきた中で、圧倒的にラヴは枯渇している。そこで作り出したのが、人間の記憶から合成されるエネルギー装置だ。あの湖がまさにそれだ。あの湖は記憶だけで成り立っている。この……」と言い、彼はこつんとレメディオスの入った水槽を人差し指で叩いた。

「ガラスの中も同じ成分だ。レメディオスはここで一番息ができるからだ。我々は他国のある一族の犠牲と引き換えに、この国のエネルギーを代々賄ってきていた。しかしそれも限界に近かった。それをキッシンジャーは発見した。ここまではよく知られたことだ」

「はい」ディーンはじっとティムの話を聞いていた。センブリは表情を一切変えずにティムの話を熱心に聴いていた。レメディオスも頷いていた。

「キッシンジャーは、レメディオスのクローンを作ろうとしていた」ティムはそこで一呼吸置いた。


「レメディオスの一族は、かつてエネ大王の一族が起こした地震により絶滅の危機に瀕している。事実、今はもう彼女しか一族の生き残りがいない状態だ。まあ、人間が彼女の一族をむやみに使用したというのもあるのだが……。と同時に、彼は……あいつは、私を秘密裏に研究していた。私はいわば、『思念』であった。記憶の凝集体とも言うべきものだ。いや、こんな言い方をする人の方が多いな。『フラスコの中の小人』。私には名前が無く、キッシンジャーの実験室で飼われていた。記憶の凝集体が一つのエネルギーとなり思念と意思を持ったものが私だ。

 私はいつしか外へ出たいと願った。彼は思念、いわば私に肉体を付与する実験をした。おそらくレメディオスのクローンを合成した後に、体以外の『思念』も付与されるかどうか、予備実験をしたかったのだろう。その試みは成功した。現に今、私はこうしてお前の目の前に立ち、存在し、フラスコの外で息をし、人間と同じようにラヴを吸ってエネを吐いている。私は存在している。思念を持ったまま、肉体を保持している。

 私はその後、キッシンジャーの後を継いだ。秘密裏だったが、彼は私を合成した罪に問われた。私は倫理上、存在してはならない存在だった。キッシンジャーは追い詰められ、自身も諦めて本となった。それが彼の犯した罪への罰だった。と同時に彼は王位から退き、代わりに私がその地位を継承した。

 私はキッシンジャーの研究を傍らでずっと見ていた。ある日レメディオスのクローンを作ろうと、キッシンジャーの悲願を実現するべく湖に出向いた。しかしそこで、レメディオス(ティムはレメディオスに向き直った)、君が世界一美しく、かつ世界一自由本坊な存在であることを知った。私は君の神秘的な体ごと、君を愛した。私は夜中に湖に通い、君が女性の時期に麻酔をかけ、君から排出される幾千もの卵子を湖の中で採取し、暗く清潔な実験室の中で受精させた。たまたま生まれたのがそう君、ディーンだった」

 ティムはディーンをじっと見つめた。


「レメはまだ受精卵の君によく歌を歌った」

「そうじゃの、儂は歌がうまいからの」

 彼女はにやりと笑い、すうっと大きく息を吸った。


毎日毎日馴染めない他人ばかりの世界と向き合わなくちゃいけない

そこに私の居場所なんてない そんなに私は強くないから

だから頼りになる人が居てくれることが嬉しいの

その人はいつも私を支えてくれる

貴方はいつもそばにいてくれたの

あの虹の向こう側へ行けなくても

ささやかな望みすら打ちのめされても

世界中の全ての混乱でさえ受け入れられる

でも貴方が居ないと生きていけないと思う

何度も何度も

街には私の味方なんて1人も居ないって思ってた

私は孤独だって思ってた

でも、私が必要とした時貴方はそばに居てくれたことが嬉しかった

そして私に笑いかけてくれた

それだけが私の全てだった


 ディーンは気づけば泣いていた。彼は彼女の声と同化した。世界の輪郭がぼやけた。彼には父と母がいた。父を慕い、自身を危険にさらしても自分を信じてくれる者がいた。彼にはもう、それだけでよかった。20年生きた中で、その瞬間ほど暖かい気持ちに包まれることはおそらくなかっただろう。彼はガラス越しに母親に抱かれていた。レメディオスはガラス越しに夫と息子を抱いた。

「ずっとあんたを探していた気がするよ」とレメが言った。

「懐かしいね、まだあんた、目に見えないくらいのただの『円』だったのにさ」目を細め、彼女は穏やかに笑う。

「まあ、そりゃね」ディーンも笑った。

「ディーン、大きくなった君を見た時は大層驚いた」ティムはディーンに微笑んだ。

「私は恥ずかしいことに、君のことを間接的にしか知り得なかった。私はレメとの結婚を大々的に知らせることを拒んだ。私自身と君、レメの出自は極めて異例と言える。王族としても、人間としても、だ。お前が大きくなれば暗殺の対象になることも危惧していた。そのため、私は大事な親友でありかつての研究者仲間であったシリウスに君のことを頼んだんだ」

「シリウス……義父さんのことか?!」ディーンは思わず叫ぶ。

「シリウスのことも知っていたのか」ティムはさほど驚きもせずに淡々と答える。

「いや、つい先日、僕の部屋の窓際に鳩が来たんだ。それが父さんだった」

「そうか、今、奴は鳩なのか。一度シリウスとも久々に会わねばならないな」ティムがぼそりと呟く。

「とにかく君は20年間生き延びた。辛いことも楽しいこともあっただろう。その20年を、今私は全て知ることができない。しかしお前にはずば抜けた知性がある。もとより、お前はレメの『記憶の羊水』に浸かっていたから、人類の英知を吸収することはお前にとっていとも容易いことなのだ。知っての通り、レメが自由に生息でき、かつ彼女を構成する血はあの湖の『記憶の羊水』だ。あれは人々の記憶の集合体なのだ。私の血もそれを少々含んでいる。

 君は……『フラスコの中の小人(ホムンクルス)』とレメ一族から生まれた第一世代だ」

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