第32話 失楽園

 病院の外は、痛いような緊張感で肌がぴりぴりするほどだった。平和で綺麗な街並みだと思っていたのに、今は銃を構えた警官だか軍人だかが屯して、通信機で何か話し合っている。迷彩に塗られた戦車――っていうのか装甲車とでもいうのか、ごつい車両は、白を基調とした第七天アラボトの街では悪目立ちとしか思えなかった。

 中の様子は、どれだけ知られているんだろう。他所の病院からでも集められたのか、医療関係者と思しき白衣の人たちや、赤い十字がペイントされた救急車も集まっている。治療が必要な人たちがいると分かっているからか、それとも、テロリストをなるべく生かして捕まえるつもりだからかしら。ドクターが射殺した以外にどれだけの人数が病院を占拠しているのか、私にはさっぱり分からない。


「マリア、目を閉じて横になっていてくれ。意識がないフリをして、決して口を開かないように」

「はあい」


 私は、物々しい光景を救急車の中、カーテンの隙間から覗き見ていた。他所から集められたんじゃない、この病院にもとから所属している車両だ。病院内の構造を知り尽くしているドクター・ニシャールが、私――と、お腹の子たち――を人目につかないように駐車場まで導いてくれたんだ。第七天から逃がして、って私の頼みを聞いたこの人の決断も行動も、びっくりするほど早かった。


 これから、私たちはテロリストの目を盗んで逃げだしたフリをして、第七天を後にする。……最高に、ことが上手く運べば。こんな風に軍隊に囲まれたテロの現場から逃げてきました、なんて言ったら、中の様子を尋問されない訳がない。怪しまれるであろうことはもちろん、沢山の人の命が懸かっていることなんだから。ドクターの肩書と、私の膨らんだお腹で、緊急事態ってことで切り抜けられるかどうか――賭けるしかないと分かっていても、心臓のドキドキが止まらない。ドクターに言われるがままストレッチャーに横たわって目を閉じた私の顔色は、演技するまでもなく緊張に引き攣って青褪めていることだろう。


 ――マリア……。


 ああ、でも、しっかりしなきゃね。せっかくテロリストの魔手からも銃撃戦の銃弾からも無事に逃れられたのに。私が心配し過ぎて胎児に負担と不安を与えちゃいけない。私よりも、子宮の中で外の様子を窺うことしかできないあんたの方が怖いよね。


「大丈夫だよ……」


 って言っても信用できないかもしれないけど。私の本音も、見えちゃってるんでしょうけど。ええ、怖いわよ。不安で震えてるわよ。でも、何もできないほどじゃない。あんたたちを守るために最善を尽くすって誓うわ。

 目を閉じて、お腹を撫でながら心に念じたところで、車が静かに動き出した。ホルツバウアー家の車もこの救急車も、走っているっていう振動がほとんど感じられないのが凄い。下層に出回っているような車は、こっちからしたらもう何世代も前のやつなんだろうな。……こんなことを考えるのも、現実逃避なんだろうけどね。


 最新鋭の車は、動き出した時と同様、止まる時も静かなものだった。だから、私が今の状況を知るのは機械音ではなく人の声によってだった。誰か――男の人の低い抑えた声が、救急車を止めさせたんだ。


「何者だ!? 内部から出てきたのか……!?」

「急患だ! すぐにも処置が必要だ。通してくれ!」


 わ、多分銃を持ってる相手だろうに、ドクターってば強気に出るのね。でも、白衣と急患って言葉は効果あるのかも。ドクターも着替えてまっさらな白衣姿に戻ってるし、信じて、通してもらえるかしら。


「だが――あんたは、何者だ? 本当に病人か……!?」

「妊婦だ。早くしないと胎児も危ない!」


 窓が少し開けられたらしい。閉じた目蓋に感じる風には、鉄と火薬の臭いが混ぜってる気がした。最近の銃や兵器がそんな臭いを漂わせてるのかどうかは知らないし、気のせいかもしれないけどね。そんなことはともかく、ドクターは外にいる声の主に私の姿を見せたいんだろうと思って、わざとらしく顔を顰めて唸り声をあげて、とどめに身体を丸めてみたりする。大きなお腹が見えるように、身体の位置をずらしながら。


「――妊婦だそうですが。少なくとも医者の方には話を聞かないと――」

「彼女の主治医は私だ。他の者に事情を説明する時間が惜しい!」


 軍人さんか警官さんは、どこかに判断を仰いだのかな。それを遮って急かすドクターの演技は迫真のものだ。私は――余計なことをしたら邪魔になりそうだから、目を閉じて転がったまま、耳に全神経を向けてドクターたちの会話に集中した。お腹の子も息を潜めているみたい。精神感応テレパスの声は聞こえないけど──きっと、私と同じ思いなんだろう。


「ですが――本当に? いえ、そうおっしゃるならば――」


 どこかとの会話の首尾が良い、のかな、私たちにとっては。車の外から聞こえる戸惑ったような声に、私の心臓がうるさいほどに高鳴ってしまう。この病院にいる妊婦ってことは代理母じゃないかって、誰かが思い至ってくれれば良い。人の命には本来上下はないんだけど、第七天の中でも裕福で権力のある人のお子様かもしれないって気付いてくれたら、無理が通ったりもしないかしら。


「……通って良い。ただし、身分証の提示を」

「どうぞ」


 やった! この人自身は納得していないのかもしれないけど、とりあえず通れるみたい。通信機の向こうの偉い人が、気を利かせてくれたのかも。ドクターは本物のこの病院のお医者だものね、身分証だって疑われる余地なんてない。これで、第一関門は突破、できたと思って良いの!?


「どこに行くつもりなんだ」


第二天ラキアへ。この女性の家族がいる場所の方がストレスが少ないから」


 ドクターはすかさず嘘を吐いた。私の出身はもっとずっと下だから。でも、完全な嘘とも言えない。とにかく、第七天より下の方へ、というところは合ってるから。まるで失楽園ね、なんて思ったりもする。楽園を追い出されるんじゃなくて、自分から出て行こうとしてるんだけど。

 最終的な行き先がどこかは、まだ誰にも、ドクターにだって分からない。比較的安全な中層で良いのか、もっと下に隠れるか――追々、地獄と呼ばれる最下層ゲヘナにまで、ドクターや「神の子」は行きたがるのかもしれないけど。私は、できれば勘弁してほしいと思ってるんだけど。

 そんな交渉も、この場を切り抜けて、胎児とあの子を切り離してからのことだ。

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