Subsection A04「獲物の正体」

 ユリハの部屋から物音がしなくなり、人の気配が消えた。──眠りに付いたのである。

 外からの虫の鳴き声だけがリンリンと響いていた。

 いよいよ時は満ちたとばかりに老婆は動き出す。包丁を握り締めて立ち上がる。

 ゆっくりと足音を忍ばせながら、ユリハの部屋へと目指して歩く。

──最も、ボロ屋であるので床の立て付けは悪く、老婆が歩くたびにどうしても床板はギシギシと悲鳴を上げてしまう。

 隠密行動を心掛けたかった老婆だが、こればかりは顔を顰めたものだ。

──それでも部屋の中からは相変わらず何の反応もないので、老婆はホッと胸を撫で下ろした。できる限り物音を抑えながら、さらに部屋の戸へと近付いていく。

 慎重にゆっくりとした動作で引き戸を開けた。


──窓の外からの月明かりで、部屋の中は薄く照らされている。

 部屋の真ん中に布団が敷いてあって、掛け布団がこんもりと盛り上がっていた。そこに就寝したユリハが居るのであろう。

 老婆は口元を歪め、布団の前に立った。

 手にした包丁を振り上げ──そして、思い切りそれを布団に向かって振り下ろした。

──ザクッ!

 確かに包丁の刃は、布団に突き刺さった──。

「……んっ? なんじゃ!?」

──しかし、感触としては妙であった。肉に刺さり、骨を貫いにしては手応えがない。──老婆は、本当のそれらの感触を知っていたのである。

 でも、今回の一撃はそれらの感触と明らかに違っていた。


「……ご苦労様」

 誰かが静かな声で呟いた。

 老婆が声のした方向に振り返ると、窓枠に腰掛けて笑うユリハの姿があった。

 ユリハは毛先を人差し指でクルクルと巻きながら戯けていた。殺意を向けてきた老婆に対して驚くわけでもなく、ただその顔ジーッと見詰めていた。

「貴様っ、何故そこにおるんじゃ!?」

 面食らった老婆が掛け布団を剥ぐ。──では、この布団の盛り上がりは──?

 単に毛布が丸まって、凹凸を作っていただけのようである。

 老婆は悔しそうに歯軋りをした。

「山に住む親切なおばあさん……その正体が、本当は人間を食らう山姥だった……。おとぎ話としては、実にありきたりな展開ね」

 ユリハはクスクスと笑いながら、右手の平を上に向けた。すると、その手に黒色の炎が上がる。

 予想だにしない事態に、老婆は身動きが取れなかった。ユリハの次の動向を探る様に、警戒しながら身構えていた。

「お嬢ちゃん。あんた……何者だい?」

 老婆の質問に、ユリハはふぅと溜め息を吐いた。

「狩人が迷い人を偽って獲物に近付くなんて展開も、よくあることじゃない。それなのに、えらく気持ちが緩んでいたようね……」

「ワシの生命を狙う、刺客というわけかい?」

 老婆が眉を潜める。ユリハの言葉で、さらに警戒心を強めた。

 ユリハは手の中で揺らめいた黒色の炎を握り潰す。

 すると炎は掻き消えて、代わりに黒色の表紙をした革製の手帳が手の中に現れた。

 ユリハそれを開いて、パラパラとページを捲った。

「私のことは、ただの人間と侮らない方がいいわよ。……まぁ、懐に私みたいな死神を招き入れた時点で、今更逃げられもしないでしょうけれど……」

 ユリハはマントを翻した。

 頭からフードを被り、漆黒のマントを羽織って全身を包んだ。それが死を司る女神──ユリハ・ナノ・クレヴァーの戦闘スタイルであった。

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