3-13

「はあ?」


 ブロードは眉を顰めた。無実だというのなら手伝え、とは何とも乱暴な言い分だった。だが、逃げるにしろ、荷車に四肢を拘束されていては何もできない。すでにピートは用意された馬に跨っていた。


「お前も行くのか?」

 ブロードは傍らに立つジエを見上げた。

「もちろんだ。何か問題でも?」

 ジエは短刀を抜き、切っ先をブロードに向けた。微塵の迷いもなかった。

「待てよ。協力しないなんて言ってないだろ」

「行くのか?」

「もちろんだ。だからそれをこっちに向けるな」

 ジエは残念そうに鼻を鳴らし、ブロードの縄を切った。

 ブロードは返された自分の剣を腰に差した。

「見事な馬だ」

「領主館に駄馬がいるかよ」

 ブロードのために馬を引いてきた兵士は嫌そうな顔をした。

「それもそうだ」

 ブロードは兵士に軽く詫び、馬に飛び乗った。ピートの横に馬を付けた。

「なぜ逃げなかった?国境の仲間に報せるんじゃなかったのか?」

「こんな状況で俺の言葉を信じた人間を見捨てるほど落ちぶれたくはなかっただけだ」

 憮然としたピートにブロードは「そうか」と口の端を上げた。

「出発だ」

 ユースゴが号令を発した。


 ※


 国境へと続く街道の両側には麦畑が広がる。刈入れを待つ麦穂が夜風にそよぐ中を男たちは駆け抜けた。時折、ヘンダーレ領特有の夜の突風が吹き抜ける。麦穂が大鷲の羽ばたきのような音を立て、大きくうねった。

 先頭を走るピートはまた一段、速度を上げた。ユースゴと兵士たちが遅れ始めた。

「おい、待て!」

 ブロードは叫んだ。

 だがピートは馬足を緩めない。ブロードは舌打ちをし、ジエを振り返った。ジエはブロードと目が合うと、黙って一鞭つけた。速度を上げ、ブロードを追い越し、ピートに続く。

 おいて行かれるわけにはいかない。

「くそったれ」

 ブロードは馬腹を蹴った。


 街道沿いの麦畑が光陽樹へと景色をかえる。わずかな月明りを集める葉がほのかに輝く中をさらに走れば、ナジキグ地域との国境の平原だ。普段は見晴らしのよいその場所に、今はナジキグの鮮やかな色の天幕が立ち並ぶ。

 先日視察に来た時よりも増えている天幕の数に、ユースゴは眉を寄せた。兵士を叱咤し、速度を上げた。


 落ちるように馬を下りたピートは、馬を放置し、一目散にひと際大きな天幕の入口の熊革をはね上げた。

「ピート、お前どうやって」

 壮年の男を中心に車座になり話し込んでいた男たちは、いきなり現れたピートに驚きの声を上げた。後ろに続くブロードたちの姿を認めると、さっと腰の大刀に手をかけ腰を浮かした。ピートが片手を振った。男たちは厳しい目のまま、ゆっくりと大刀から手を離した。

「何があった」

 ピートは壮年の男の横に座る少年の前に立った。歴戦の猛者といった風の男たちの中、甲冑が似合わぬなよやかな少年は、一人、敷布を見つめたまま肩をびくりと震わせた。


「砦の奴らがきて女が連れていかれた。長引く避難で疲れただろうからと言っていたがあれは――」


 答えたのは壮年の男―ナジキグ第三兵団団長、フォン・オラン―だった。武人らしき体躯に貫録のある風貌ながら、どこか柔和な印象の漂う男の顔には、その落ち着いた声に反し、生々しい傷があった。

 ピートはフォン・オランを見返すと、少年のつむじを睨んだ。


「何人死んだ?」

 少年はおずおずと顔を上げた。

「……いません」

 ブロード達をちらりと見ると、小さな声で答え、また下を向いた。

「なんだと?」

 ピートは眉を顰めた。

「死んだ者はいません。女たちが自らついて行ったので死んだ者はいません」

 これだけの人数がいて女を何もせず渡すなどありえないことだった。ブロードとジエも息をのんだ。


「……抵抗もせず、連れて行かせたのか? これだけ頭首そろえて、唯々諾々と女を差し出したのか?!」

「……っ! だれが、好き好んでそんなことすると思うのです! だけど、ここには年寄りも子供もいる。奴ら、子供を見て言ったのです『元気な子供だなって』。……それに、女たちが自分で行く……と言ったのです」

「自分で行くといった? そんな言葉を真に受けたなどと馬鹿なことを言うつもりじゃないだろうな」


 ピートは少年の胸倉を掴み上げた。


「ならば!どうしたらよかったと言うのですか。いくら俺たちがナジキグ兵団だと言ったって、それで三千もの人間を守って戦うなんて不可能です。避難してくる人間も増えている。それに女といったって全員じゃない。たった十人だ。それだって子供のいる母親や恋人のいる娘じゃない女だ。たった十人でほかの人間には手を出さないと約束したのです!」


 少年はつま先立ちになったまま、ピートを睨んだ。なよやかな見た目とは裏腹に力強くピートの手を振り払うと、拳を握りしめ、声を震わせた。そんな約束は信じていないのに、自分に必死に言い聞かせている様に、ピートは振り払われて赤くなった手を見て息をついた。フォン・オランに視線を移した。


「あなたが許可を?」

「勿論だ」

 フォン・オランは平然と頷いた。

「なぜです?たった十人。それがどういう意味を持つか。最初の十人に甘んじれば、次は二十人、三十人と増えていく。見捨てられた女たちは見捨てた者を恨み、残った女たちは、次は自分の番かもしれないと怯える。そんな人間を守ることの方がどれほど大変か、ナジキグ第三兵団団長たるあなたなら、分かっていたはずだ!」

 ピートは憤りを露わにした。

「生き残りがいたのか」

 

 ユースゴは呆然とつぶやいた。ブロードとジエも目を見張った。

 ナジキグ第三兵団。それはナジキグにおいてもっとも勇猛果敢と知られた兵団だ。ナジキグがマルドミ帝国に攻められ陥落したのは、海から攻めてくるマルドミ軍に兵力を分散したのが原因だという話はヘンダーレ領にも届いていた。

 フォン・オランは苦笑を浮かべ立ち上がると、ピートの肩に手を乗せた。

「それ以上言うな、ピート。イリシャ様自ら行かれたのだ」

 囁かれた内容にピートは目を見張った。勢いよく少年を振り返った。

 少年は唇を噛みしめ頷いた。

「すまない」

「それで、ピート、こちらはどなただ?」

 短く謝罪をしたピートを横目に、フォン・オランはユースゴを見ていた。

「ヘンダーレ領主名代のユースゴ殿です」

 その言葉に男たちは一斉に立ち上がった。フォン・オランは胸に手を当て膝を折った。

「ナジキグにて第三兵団団長を務めておりました、フォン・オランと申します」

「ユースゴ・ナイティル・ラオスクです」

 ナジキグ兵士の最高礼に、ユースゴもまた普段は名乗ることの少なくなった名を名乗った。

「ラオスク? それでは――ラオスキー侯爵は」

「兄です」


 フォン・オランは息をのみ、深々と頭を下げた。



 急遽設定された会談の支度を整えるために男たちが忙しなく天幕と外を行き来する様子を眺めながら、何もすることがないブロードは同じように天幕の隅に立っているジエに近寄った。


「どういうことだ?あの男がラオスキー侯爵の身内?」

「知らないのか?」

 怪訝そうに眉を寄せたジエにブロードは頷く。

「ラオスキー侯爵の父ラオスキー公爵は王家の傍流だ。貴族の妻を迎えたが、真実愛したのは侍女だったユースゴ殿の母親だ。貴族同士の子供でなければ名を継げないのを不憫に思った侯爵がラオスキーにちなんだ名をつけたのは有名な話だろう」

「そうなのか」

「本当に知らなかったのか。ブラッデンサ商会もヘンダーレ領とは付き合いがあるだろう」

「そういうのはジャルジュがやってくれてるんでな」

「お前のところの職員の苦労がしのばれる」

 ジエはため息をついた。

「でも、ラオスキー侯爵には息子がいただろう、確か」

「サラエウス卿は王都だ。一年前にラオスキー侯爵が息子に公爵位を譲って、ヘンダーレ領に引っ込んだことくらい知っているだろ」

 ブロードは頷く。公爵位を強引に返上し、侯爵となることによって王位争いから距離を置いたラオスキー侯爵の話はブロードでも知っていた。

「ということは領地のことはラオスキー侯爵の管轄ということだな」

「何が言いたい」

「いや」

 よく見れば髪色こそ違うがユースゴの目はどことなくラオスキー侯爵に似ていた。


 ※


 急ごしらえの会談の場はナジキグの旗とヘンダーレ領の旗が交差するだけの簡易的なものだった。

「敵襲を報せていただき感謝いたします」

 上座の椅子に座ったユースゴが形式的に頭を下げれば、敷布の上に綿布を二つ重ねた上に座るフォン・オランもまた形式的に頭を下げた。

「ヘンダーレの皆さまには食糧や物資など格別の配慮をいただいております。当然のことをしたまで。それで直々にいらっしゃるとは何かございましたか」

「今日、領主館に火矢が放たれました」

「では――」

「幸い大した被害もありませんでしたが、犯人を捜しております。火矢を放ち、痕跡一つ残さずその場を後にできる人間に心当たりは?」

「……火矢が放たれた距離はいかほどで?」

「500テミ」

 ユースゴは端的に答えた。フォン・オランの顔の真新しい傷がひくりと動いた。おもむろに顎に手をやった。

「素人ではありませんね」

 500テミの距離を飛ぶのは、同じ弓でも遠矢と呼ばれる強弓で、一朝一夕に使えるものではない。屋敷に火矢を皆が同じ距離から放ったとすればそれなりの人数がいる。


「ええ、500テミの距離から過たず兵舎に火矢を放ち、鍛え上げた兵から逃げ切ることのできる人間はヘンダーレにはおりません。正確にいえば、そんなことのできる賊はすでにすべて捕えてあります」

「……我らをお疑い、と?」

 フォン・オランの目は穏やかながら、修羅場をくぐり抜けてきた者だけが持ちうる目だった。ユースゴも修羅場の数なら負けてはいない。静かにフォン・オランを見返した。


「犯人だというわけではありません。ですが、ひと月前、私がここを視察したときここにいたのは、国境の村の民だけで、あなた方ナジキグ兵はいませんでした。そして今日、我が領主館に火矢が放たれました。これが事実です」

「……なるほど。確かに私でも疑わしいと思いますね。ですが何のために領主館に我らが火を放つのです? 情けない話だが、我らはあなた方から援助していただいている身。感謝こそすれ、あなたたちに弓引く理由などない」


 フォン・オランは自虐の色を滲ませて笑った。


「理由がなくとも矢は放てます」

「なんだと!」

 淡々と返したユースゴに、フォン・オランの横に控える男たちが腰を浮かした。武器からは手を離しているが、いつでも動けるように身構えたその様子に、ブロードとジエは数歩、ユースゴ側に立ち位置をずらした。

「やめよ」

 フォン・オランは男たちを制し、目の前の杯に水を注いだ。

「飲みませんか」

 フォン・オランはユースゴに水を勧め、自らも目の前の木の杯に手を伸ばす。温い水を飲みほし、薄汚れた杯からした土の匂いに、フォン・オランは杯の淵、小さく彫られた紋に親指を乗せた。

「少し我らの話をしてもよろしいですかな?」


 ※


「このような状況でいうのも烏滸がましいが、我らナジキグ第三兵団はナジキグ兵の中でも精鋭ぞろいです」

 ユースゴは黙って頷いた。ナジキグ兵の強さは有名だった。だからこそ、ナジキグの都が落ちたという報はギミナジウスでも驚きをもって語られていた。

「あの日……、我らのもとにマルドミ来襲の報せがあった日、我らは何も疑いませんでした。かねてからマルドミのマグリフィオ帝の領土拡大路線は有名でしたから。海からとは思いませんでしたが、我らは急いで出立しました。まさかそれが嘘とも知らずに」

「嘘?」

「ええ、我らが一昼夜かけて襲われたという港にたどり着いたとき、海にいたのは呑気に網を直す漁師たちでした。村が襲われ、港を奪われ、河口を占拠されたと聞いていたのに、そんな気配は一つもなかった。慌てて都に戻れば、都の入り口にはマルドミ国旗とマルドミの皇太子の旗がありました」

「それで諦めたと?」


 一兵団を率いておいて戦わないとはどういうことだ。そんな言外の疑問にフォン・オランはぎりっと奥歯を噛み、拳を地面に叩きつけた。


「……城門に、王の首が晒してあった。ご丁寧に処刑した者たちの名前まで張り出されて。我らにできたのはこれ以上殺される者を増やさないように逃がすことくらいでした」


 フォン・オランは取り繕うことを忘れたように、呪詛にも近い言葉を吐いた。王の精鋭とも呼ばれる第三兵団を率いる人間が戦わずして逃げる汚名を選んでまでも逃がすほどの人間。それが民の命などであるわけがない。ユースゴはフォン・オランの横で息を殺す少年をちらと見た。くたびれた服を着て少年従者といった風だが、どう見ても守られる側の人間だ。

 ナジキグは代々血族よりも実力で王を選ぶ国だが、今代の王は自分の子供に王位を譲ろうとして、家臣たちと軋轢があったという噂は聞こえていた。生き残った王族の誰かというところだろう、ユースゴはあたりをつける。フォン・オランとしてはこの少年を守らなければならない、だが同時に三千を超す難民を束ねる者として、ヘンダーレ側への誠意を見せなければならない。だから少年の正体を匂わせた。そういうことだろう。ユースゴはこれまでの諸々の会話を思い返し、席を立った。

「らしい」人間が「いる」ということと、矢を射た人間がここにいないことが分かれば十分だった。

「そうですか」

「はい」

 ユースゴはフォン・オランと目を合わせると、少年から露骨に視線を逸らした。フォン・オランとナジキグの男たちが小さく頭を下げた。

 王位に連なる者の存在を黙認するかわり、いざというときは見殺しにする。そんな冷酷な取引を視線と短い返事だけで取り交わす。ユースゴは手短に辞去を述べ、天幕の布に手をかけた。


「お待ちください!領地で敵に女が攫われて放っておかれるのですか!」

 少年の声に、ユースゴは天幕の布を握りしめた。

「我が領の者ではない」

 ユースゴは振り返らず言った。男たちが少年を諫めたが少年は止まらない。

「なんだと!それでも為政者か!ならばナジキグ第三王子、サライスカの名において要請する。我が姉第一王女イリシャと女たちの救出にご助力いただきたい」

 いくつもの息を呑む音が重なった。正式に名乗られれば、対応しなければならない。

 ユースゴはきつく掴んでいた天幕を離すと、彼を守るために彼の臣下が払った努力を無に帰した愚かな王子を冷たい目で振り返った。


「お断りいたします」






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