1-14 思惑とたくらみ

 街灯のない道を馬車が走る。微かな蹄鉄の音に御者は振り返った。


「旦那様」

「なんだ?」

「後ろを」


 夜の寒さのせいだけではない強張った声だった。旦那様と呼ばれたニリュシードの目配せをうけ、同乗していたジエは馬車の後ろの小窓を上げた。褐色の肌の無口な男で、鷹を相棒にしているニリュシードの懐刀だ。耳を澄ませば、規則正しい馬蹄の音に交じり、鐙に触れ合う金属音がした。武装している。


「何人だい?」

 真っ暗な街道でそれは無茶な問いだったが、ジエはじっと耳をそばだてた。

「二人、多くとも四人ですね」

 やりますか、と無口なその目で問うた。

「いや、誰か分かるかい?」


 ジエは腰に下げた袋から閃光玉を取り出した。御者に速さを緩めるよう伝えると、扉を開ける。扉から身を乗り出すと、急に速度が緩んだことに困惑し、近づきすぎた相手めがけて投げた。


「走れ!」

 ジエの合図で馬車は一気に速度をあげた。

「四人、一人は落馬。鐙の形状はマルドミのものです」

「タラシネ皇子か」

「おそらく。どうしますか」

「私たちは商人だ。セドをするだけだよ。血なまぐさいことは彼らに任せておこう」

「彼ら?」

「ああ、彼らだ。急ごう」


 ニリュシードは懐中時計を取り出した。



 ※


 屋敷に戻ってきた主の顔色が優れないことにラオスキー侯爵家の王都の屋敷を管理するユーイはすぐに気付いた。

「カバロンから今年のワインが届いております。今年は当たり年だと申しておりましたが、確認されますか」

「そうだな」


 ラオスキー侯爵が執務室の長椅子に腰を下ろせば、ワインはすぐに運ばれてきた。有能な家令の采配に、ラオスキー侯爵はグラスをとった。


「若いな」

「ですが、時がたてば、よき味わいとなるでしょう」

「そうだな……」


 中庭の林檎の木はよく繁り、夜の庭に影を落としていた。もうじき甘い実をつけるだろう。ラオスキー侯爵はくるりとグラスを回した。


「王は真に国を売るおつもりらしい」


 ラオスキー侯爵は口にして初めて自分の声が沈んでいることに気づいた。王位争いの末に宰相たちに連れてこられた王は、元はラオスキー侯爵とは反対の東を守る辺境の領主だった。何代も前の彼の祖先が時の王に疎まれ辺境へと追いやられたのだ。その時、ラオスキー侯爵の一族は静観をした。穏健派、良心派ともいわれる今の立場はこれまで政変があっても動かずにいた。それだけのことだった。

 今回の王位争いも継ぐものがいなくなって初めて中央の貴族たちは王を担ぎ出した。中央の権力争いに無縁のラオスキー侯爵には、王は気の毒な人物に見えた。

 国境の領地を治めながら、領民には慕われていたときいていたからだ。えてして、国境は争いの元となりやすい。小競り合いでもあれば、最初に犠牲になるのも、駆り出されるのも国境に住む者たちだ。だからこそ、目立たない領主であるということこそ、平穏に治めているというなによりの証だとラオスキー侯爵は思っていた。


 即位した王は違った。戴冠式で王冠を戴いた王は、将軍も宰相もまるで目に入れていなかった。堂々と前を向き、バルコニーで空へとゆっくりと手を突き上げた。その姿はまさしく王だった。王というのは育ちではなく血なのか、とラオスキー侯爵は膝をついたのを昨日のように覚えている。


 だが、王は変わった。謁見の際に膝に女を抱えているのは生やさしいものだった。王の機嫌ひとつで官吏が首になった、罪もないのに殺された。そんな都での噂を耳にしながらも、自身も冷遇されているラオスキー侯爵は、聞こえぬふりで自領にのみ専念した。都に関わらずにいたせいか、そのうちラオスキー侯爵には貴族の最後の良心などという二つ名がつきだした。

 それでもこの国に王たるべきものはいなかった。平民から貴族へとその才覚ひとつで上りつめた宰相も、家柄も実力も申し分ない将軍も、王を下ろし自ら国を導くことを選びはしなかった。


「だからこそ、今、あの王が王のまま在り続けるのだ」


 ラオスキー侯爵は唇を噛んだ。突然の雨に濡れながら、嗤う王の姿が脳裏をよぎった。窓枠にハル・ヨッカーを押し付けながら笑い、振り返ったその顔が頭を離れなかった。


 対価。


 ラオスキー侯爵は執務机に向かった。  

 自分が国を預かったらどう治めるのか。領主として辺境を治めてきた自分が王となる。それは状況こそ違えど現王と同じことだった。

 ならば自分が王となったとき、現王と同じ轍を踏まぬために整えなければならない。

 辺境の領主としての有能さが国王として有能であるということとは別である。六十を越えようというラオスキー侯爵ではすぐに後継問題が再燃するのは目に見えている。きなくさい隣国との関係も一層注意が必要になるだろう。必要なのは自分のかわりに動くことができる信頼できる人間だった。


「ユーイ」

 家令は静かにあらわれた。

「サルナルド将軍と宰相とゾニウス侯爵に面会を申し込め」

「はい。用向きについてはなんと」

「私は国王となる。この国の今後についてだ」

「ハッ。それとひとつ」

「なんだ」

「ニリュシード殿が面会を求めていらっしゃいます」

「さすが商人動きが早いな。それでいつだと?」

「いえ、すでに門までお越しです」

「通せ」


 ラオスキー侯爵は少しだけ変色した靴の先に視線を落とした。


「ユーイ、私は王になる」

「かしこまりました。そのように」


 忠実な家令はワインを頼まれたときと同じように礼をとると、ニリュシードを迎えるため退出した。

 ラオスキー侯爵は、グラスに目を落とした。まだ若い赤色は夜の闇をまとって、戦場で見た血を思い起こさせた。

 出世も栄誉も欲したことはなかった。だが、この国をよくするために王という地位が必要ならば、王になる。

 ラオスキー侯爵は暗い庭に繁る林檎の木を見つめると、まだ酸いワインを飲みほした。


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