1-8 忠誠と商魂のリドゥナ

 総史庁の青い制服に、ラオスキー侯爵は馬足を緩めた。右手を上げ、後続を止める。付き従っていた私兵が十人、それを合図にずらりと横に広がり道を塞ぐ。

 ラオスキー侯爵は一人、馬を進めた。


「御苦労だね。少し、セドについて彼らと話をしたい。時間をもらえるか」


 許可をとる体だが、否やを言わせる気がないのは私兵の物々しさからも明らかだった。穏健派と名高いラオスキー侯爵だが、国境を守る領主であり、将軍職にもあった男だ。ユビナウスはフリューゲルスに目をやり、フリューゲルスは黙って馬を脇へ寄せ道を開けた。

 ラオスキー侯爵は馬を下り、参加者たちの前に立った。


「私は、センシウス・ナイティル・ラオスキーという。このセドのリドゥナを誰か私に譲ってくれないだろうか」

「辺境の大貴族様!」

「仕方がないウィスキー狂」


 男たちが歓喜の声にハルが続いた。誰もがぎょっとしたようにハルを見る。ぶっふぉ、青年が噴出した。


「ばか、ラオスキー侯爵だ、ラオスキー侯爵」


 ブロードはすぐさまハルの口を塞いだ。大きな図体を小さくし、ハルを引きずりながらラオスキー侯爵から距離をとった。

 ラオスキー侯爵は噴き出した青年を見下ろした。青年は視線に気づくと、笑いを収め動揺一つ見せず微笑み返した。ラオスキー侯爵は青年とハルを見比べ、ついと大物の登場に舞い上がっている男二人に向き直った。


「今回のセドは国が売りに出されている。王もなんの気まぐれか、国を売りに出されようとしている。ご自身が御璽を押されたわけでもないのに、だ。現在、誰がこのようなセドを画策したのか総史庁では恐らく調査している」


 視線を向けられたユビナウスは黙って頷いた。


「お主たちはただいつものようにセドをしただけだろう。それは私もそう思っている。だが、このままそのリドゥナを持って、セドに参加し続ければ疑いの目も向けられるだろうし、調査も入るだろう。私は王の気まぐれで苦しむ民を見たくはない。できればこの国を良くしたいのだ」


 滔々と語られる言葉に男たちの顔に生気が戻っていく。


「あの、それでしたら、これをもらっていただけますか」


 ひげ面の男がリドゥナを差し出した。どんな保身と打算の結果かは聞くまでもなかった。セドにおいて、取ったリドゥナを誰に譲ろうと自由だ。一セド業者に重すぎるセドだというのも確かだ。ユビナウスは事の成り行きを見守った。

 ラオスキー侯爵はリドゥナを受取り、懐から金貨を一枚取り出した。


「あの、これは?」

「ただでリドゥナを渡してはお前の暮らしも成り立たぬだろう」

「あ、ありがとうございます」


 命の安堵か打算の結果か、男の目に涙が浮かんだ。


「あの、ラオスキー様。私のリドゥナも」


 出遅れた赤い髪の男が口を開いた。


「そうしたいのはやまやまだなのだが――」


 ラオスキー侯爵は言葉を濁した。

 そんな、と男の顔に絶望が浮かんだときだった。


「では、そのリドゥナ私がいただきましょうか?」


 ラオスキー侯爵の私兵の後ろ、王城に納品をした帰りなのか後ろには空の荷馬車を従えた男がいた。


「ニリュシード・ラオロン」


 こんなところにいるはずのない男の登場に、ブロードは目を見開いた。ほかの面々もぎょっとしたように、目の前の年齢不詳の小男を見た。

 ニリュシード・ラオロン。その名を知らぬものはこの国にはいない。一代で財を築き、今や国一番の金持ちである。金に困ればセドの前にニリュシード・ラオロンに相談しろと言われるほど商いは手広く、また商才に長けた男だ。投資する金も大きければ、見切りをつけるのも早く、冷酷無比な金の鬼とも言われていた。

 その手広い商いからセドにも進出しており、ニリュシードの率いるトルレタリアン商会とブロードたちのブラッデンサ商会で一、二を争っている。商売敵でもあった。


「奇遇ですね、ブロード殿。このようなところでお会いするとは」

「それで、おいくらで買っていただけるので」


 好々爺然と笑ったニリュシードに、男が駆け寄った。欲を隠そうともしなかった。


「買う?冗談を言われては困りますよ。別に私はそんなリドゥナ手にしなくとも構わないのです。ですが、あなたはお困りのようだ。ですからお金をいただければそのお困りごとをお引き受けしましょうと言っているのです」


 ニリュシードはわざとらしく目を丸くした。男はぽかんと口を開けた。先ほどラオスキー侯爵が金貨一枚を支払ったのを見ていたからなおさらだった。おずおずと訊いた。


「……俺が金を払うんですか?」


 ニリュシードは、その反応こそが心外だとばかりに大仰に体をそらした。


「それは、もちろん。私が国売りのリドゥナに参加して何のよいことがあります? 話に聞けば王が気まぐれで許可を出したとか。そのようなものに参加しては、総史庁から疑いの目を向けられるは必至。私どもトルレタリアン商会もセドをしておりますからね。後の禍根になるようなことは避けなければなりません」


 おわかりでしょう、とニリュシードは男の顔を覗き込んだ。ならばなぜ買おうと声をかけたのだ、というところだが、切羽詰まった男には考えが廻らなかった。完全にニリュシードに呑まれていた。青を通り越して白くなっていく男の顔に、ニリュシードは優しく言った。


「そのようなものに参加するなど本来は願い下げですが。ここで行き合ったのも何かのご縁。人様のお困りごとを解決してこそ商売人というものですからねえ」

「そんな! ラオスキー侯爵様は金貨一枚で買われると!」

「物の価値は人によって変わるもの。セドをする人間がそのようなこと、ご存じでしょうに」


 ニリュシードは笑顔のまま首を振った。おもむろに懐中時計を取り出した。


「ああ、もうこんな時間だ。私も暇ではないですからね。そろそろ行かねば。無事今日という日をあなたの才覚で切り抜けられることを祈っておりますよ。それでは。行きましょうかね。ほら、どいてくださいな」


 ニリュシードはラオスキー侯爵の私兵を脇に寄らせ、荷馬車を従え歩き出す。無駄な時間を過ごすことを是とする人間ではないという噂通りの行動だった。

 うまいな、ブロードはことの成り行きを眺めた。


「待ってくれ、いや待ってください。いくらで」


 案の定、焦った男はニリュシードに声をかけた。その時点で勝負は決していたといっていい。

 ニリュシードは足を止めると振り返った。一本指をたてた。

 男はごくりと唾を飲んだ。


「銀貨一枚ですか?」

「桁が違いますよ」

「金貨だと?そりゃがめ過ぎだろう」


 ブロードが思わずこぼした。ニリュシードは穏やかな笑みを貼りつけたまま、ブロードを鋭い眼光でねめつけた。そんなものにたじろぐブロードではなかったが、人様の交渉に口を出すものではない。肩をすくめて謝罪にかえた。

 ニリュシードは笑みを浮かべ、小首を傾げた。


「何を驚く必要が?これから行く場所は命をかけて向かう場所。あなたの命はそんなに安いものですか?」


 男はぐっと返事に詰まった。心をくすぐる言葉だった。金貨一枚が、面倒事の解決の値段ではなく、自分の命の値段だといわれ、自分の価値が金貨に値するといわれているような気になったのだ。銀貨に値引くということは自分が安い男だと自ら宣言するも同じで、なけなしの誇りがうずいてしまった。


「手持ちがない」


 男は唸った。


「あなたは優秀な方ですからね。後日でもよろしいですよ」


 ニリュシードがもったいぶって言えば、男は頷いた。


「では、契約を」


 荷車の側にいた男が、さっと書面を取り出し、リドゥナの受け渡しの契約書を作ると男に署名させた。


「それでは、よい一日を」


 男を見送ったニリュシードは、早速自らの名前をリドゥナに書いた。

 ニリュシードは参加者を見渡した。


「さて、皆さまお手柔らかにお願いいたしますね。私としましても久々のセドですのでね」

「はい、よろしくおねげーしま!」


 照りつける太陽の下、ハルの元気な返事が響き渡った。

「何がどうしてそうなった」

 ブロードは一人、空を仰いだ。

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