1-3 ブロードの実力

 我先に、と男たちが大掲示板へ走る。

 ブロードは最後尾、広場の端から端までを視界にいれると、大股で歩き出した。

 リドゥナをとる上で大切なのは速さや腕力ではない。最前列に陣取ったからといって狙いのリドゥナをとれるわけではない。そんなことは一度セドに参加すれば誰でも理解する。だが、何度参加しても目当てのリドゥナが取れないとなると、人間というのは不思議なもので愚かな失敗を繰り返す。少しでも大掲示板に近い方が有利だと盲信し、ただひたすらに大掲示板めがけ走る。今もそんながむしゃらな参加者が列の最前列でひと固まりになって走っていた。


 対して黄色の制服を着たブラッデンサ商会の人間たちは、互いの距離を等しく保ちながら、各々与えられた場所に到達するべく走っていた。持ち場を守ることが成果に繋がると彼らは理解しているのだ。

 右側最前列を走る男が、後ろから背中を押されて転んだ。そのあとを走る数人が巻き添えになって倒れる。左側を走っていた男たちにもその余波は伝わる。走る体勢が崩され、先頭集団にばらつきが出始めた。先頭が乱れれば後ろも乱れる。


 今だ。

 ブロードは目を眇めた。すっと腰を落とし、半身を引く。次の瞬間にはするりと、最後尾の男を抜いた。

 一人、二人。

 あっという間に抜き去ると、ブロードは三人目の肩をつかんだ。強引に体を入れ替え、隙間などないはずの人の塊を一気にすり抜ける。屈強な男たちが子供に見える俊敏さだった。

 集団の中ほどまできたブロードは走りながら大掲示板に目をやった。


 二四七。

 確認できたのは四枚。そのうち三枚は、ブロードの走っているのとは反対側、右側に固まっていた。遠すぎる。

 ブロードはすぐに三枚を諦めた。一番近い、大掲示板の一番上にある一枚に狙いを絞った。

 セドにおいて大切なのは、リドゥナを全て取ることだと言われるが、そうではない。リドゥナを取るのはセドに参加する過程に過ぎない。一枚だろうと参加権を得ることが大切なのだ。

 とはいえ、最前列を走っていた男たちは、すでに大掲示板に到達し、リドゥナを取り始めている。普通に跳んだのではブロードの前にいる数十人の男たちを飛び越えることなど不可能だ。


「いいねえ」


 ブロードはにやりと笑った。人波をすり抜けながら腰の剣を鞘ごと抜くと、前を走る大男の膝の裏をついた。男は予想外の衝撃に体勢を崩され、たたらを踏んだ。ブロードは地面を蹴った。男の背中を容赦なく踏み台にし、空中へと跳び上がった。一気に何人もの男たちの頭を跳び越える。


「ブロード様!」

 大掲示板前にいるブラッデンサ商会の黄色い服を着た男が叫んだ。

「上だ!」


 ブロードは二四七のリドゥナを指した。

 心得た、とばかりにブラッデンサ商会の男が大掲示板の前、ブロードの落下予測地点に陣取った。ブロードを上まで跳ばすべく、腕を伸ばし両手を組んだ。


「いつもいつも――。させるかよ」


 会場一の大男が大掲示板前にいた踏み台役の男を引き倒し、上空のブロードに手を伸ばした。セドでは妨害は日常茶飯事。有名なブロード・タヒュウズに土をつけることは、セドに参加する男たちの中ではリドゥナを取るよりも名を上げることだった。

 ブロードは着地のために捻りかけた体を元に戻し、右足を軽く振り上げ、下から伸びてきた毛むくじゃらの手を躱した。ついでに、その手を踏みつけ弾みをつけ、もう一度、跳び上がった。

 だが、二四七には届かない。


「今日こそ目にものみせてやる」


 大男は踏みつけられたグローブの土を払い、落ちてくるブロードに目をぎらつかせた。いつの間にか、ブラッデンサ商会の踏み台役の男たちは完全にブロードの落下地点からはじきだされていた。このままでは落下と同時に大乱闘に巻き込まれるのは必至だった。

 そんなのはごめんだな。ブロードは喉の奥で笑った。腹筋に力を入れる。それだけで強引に落下の軌道を外すと、少し離れた場所で肩車をされ、リドゥナに手を伸ばしていた男の肩に着地した。

 驚いたのはブロードに急遽踏み台にされてしまった男だった。なにせ突然上から人が降ってきたのだ。ブロードを見上げ、あんぐりと口を開けた。


「わりぃな」


 ブロードは目を白黒させる相手の肩をたたくと、男の肩を踏み台に、跳んだ。その間ほんの数秒。

 ブロードは垂直な掲示板を、走るように駆けあがった。大掲示板が揺れ、何枚かリドゥナが落ちた。

 一歩、二歩。

 それはあっという間の出来事だった。

 広場に隣接する宿屋の三階からセドを見物していた観光客が黄色い悲鳴と歓声を上げた。窓から身を乗り出し興奮して手を振っている。

 拳大の幅しかない不安定な大掲示板の上に悠々と立ったブロードは愛想よく手を振り返した。


「さて」


 二四七のリドゥナまで五歩程度だ。ブロードの実力なら難しいことではないが、問題は風向きだった。この季節、城側から吹く風は時に突風で大掲示板を大きく揺らす。突風が吹けばいかなブロードといえど落下は免れない。ブロードは顔を上げ、風向きを確認した。風はない。それならば勝ったも同然だった。ブロードはゆっくりと歩を進める。危なげなく二四七のリドゥナが貼ってある場所に来ると、揺れる大掲示板の上で前屈し、二四七のリドゥナ手にした。


「どうしたものか」

 大掲示板にはまだたくさんのリドゥナが残っている。ブロードは下にいる参加者たちを見下ろした。


「やめろ、やめろ! ブロード・タヒュウズ!」

「やっちまってください、ブロード様」


 セド荒らしのブロードをよく知る者たちから怒号がとんだ。やんやの喝采を送っているのはブラッデンサ商会の人間と観光客だ。

 噴水の前には青年とジャルジュが並んでいた。


「ま、久しぶりだからな」


 ブロードは鼻を鳴らし、下に向かってぴらぴらとリドゥナを振った。道化じみたその仕草に、悲鳴と歓声がさらに大きくなった。ブロードは観光客の喝采と、セド業者からの罵詈雑言に軽口を返しながら、大掲示板の上段のリドゥナを軒並みかっさらった。

 まさに、別格であった。


「あれが、ブロード・タヒュウズ」

「はい」

 青年は呟いた。ジャルジュは短く応えた。



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