第2話



「海軍の偵察艦より入電。索敵レーダーが、何かの接近をとらえた模様です」


 通信兵が左耳のインカムを手で押さえながら、最初に聞き取った内容を報告する。


「……よく聞こえない……もう一度、頼みます。はい……はい……」


「電波状況が悪いのか? 落ち着いて報告せよ」私は若い兵士の焦りを察して忠告した。


「い、いえ、大丈夫です。失礼しました。報告致します!」


「うむ」


「潜水艦の六カイリ先に突然、大量の影が現れたようです」


「何? それは敵の攻撃機か?」


「いえ……詳細に確認させた所、そいつは『キガシラトド』でした!」


 タバコを持っていた私の右手が、ピタリと止まった。


「何だって?」


「司令官、『キガシラトド』であります!」


「……トドだと? それは、あの海にいる巨大な海獣野郎の事か?」


「いえ! 違います!」


「……通信兵! 貴様の名は何だ!」


「はい! ディックであります!」


「もう一度!」


「ディックです!」


「ディック! わかるように報告せんか! 貴様の言っている事は全く意味が通じん!」


「は、はい! 申し上げます! 司令官『キガシラトド』は野鳥の名前です! 部隊からの報告によれば、百羽の鳥の群れを、我が軍のレーダーが機影として誤認識したのであります!」


「なんだ……そんな事か! ややこしい……」


 私は最初このお騒がせな報告に憤慨したが、それも僅かな時間で、やがて怒りは失笑へと変わった。


「ふふん、高性能すぎるのだな、我が軍のレーダーは。船上の兵に伝えよ。機器の精度の調整を怠るなと」


「はい!」


「まったく……」


 このくそったれな誤報告のおかげで、高価なこいつが半分近く灰になってしまったではないか。私はシガーケースから、新たにタバコを取り出した。そして火をつけようとした時、再びアラームがけたたましく鳴り響いた。


「今度は何だ? 通信兵!」


「入電! 今度は艦隊の左前方に影です!」


「うむ。今度こそ、敵機か!」


「『トンボ』です!」


 私は一瞬、言葉に詰まった。「鳥の次は虫か! バカモン、それでも軍人か! そんな物は放っておけと伝えろ!」


「いえ、ただの虫ではありません!」


 我が軍の優秀な通信士はひるまなかった。


「では何だ!」


「『ヘビトンボ』です!」


「はっ? 気が狂ったのか? 海の上に爬虫類でもいるのか?」


「い、いえ、司令官! 暗号名コードネームです!」


「な?」


「戦闘艇です! あの、司令官の指示で収集した情報でありますが……」


 私は兵士から自分の名前が出たことで、一瞬たじろいだ。困惑した様子を察したのか、真横に直立していた士官が寄ってきて、それとなく私に耳打ちしてくる。


「司令官、『レッド・ノート』です。R国の兵器を網羅した機密ファイルです。我々はやつらの兵器名をすべて、彼らがつけた暗号名で暗記しております。『ヘビトンボ』は、R国の海上戦闘艇です」


 何事もなかったかのように、そそくさと士官が私から離れ、もとの位置に直立した。次いで怖い顔で部下をにらむ。通信兵の視線が空を泳いでいた。


「あ……ああ! うむ、『ヘビトンボ』か!」


 私はあわてて場を取り繕った。だが通信士を含め、誰もが私と視線を合わせたがらない。


 しまったと思った。情報を集めさせ、教育まで指示したものの、私自身が詳細な兵器名など、暗記しているはずがない。「敵の兵器の能力で、我が国のそれよりも優れたものはひとつもない」。報告はそれだけで十分だったのだ。


 誰もこちらを見ようとしないのを良い事に、私は椅子に座ったまま士官を手招きした。すぐさま寄ってくる彼に、顔を近づける。


「なぜ『ヘビ』で『トンボ』なのだ?」


「『ヘビ』は敵国の兵器で『海面を這うように進む、細身の戦闘艇』を意味しています。こいつらは、我が軍のレーダーを拡散する装置を搭載しております。さらに『トンボ』は同様に『平べったい円形のヘリコプター』の意味です。つまり『ヘビトンボ』は、『目的地まではレーダーに映らず海上を進み、目的地に近づくと浮上し、ヘリとして襲ってくる複合兵器』です。この特性から、艦隊には奴らが突然現れたように見えたのでしょう」


「…ややこしいな。その暗号名を一覧にした文章は無いのか?」


「機密は一切の紙媒体での保管を認められておりません。司令官のご指示です」


 ここにきて私の隙のない完璧主義が仇となったようだ。


「しかしご安心ください。『ヘビトンボ』の装甲は厚くありません。潜水艦と護衛艦の装備でも問題なく、迎撃できるでしょう」


 士官は顎の下に生やした髭をしごいて、にやりと笑った。そして彼と私の間に置いたテーブルにあるカップから、湯気の立つ飲み物を一気に流し込んだ。


 私は彼を隣に立たせておいて良かったと安心した。そのとおりだ。別に彼がいれば問題はない。それに我々の兵器が敵国よりも優秀だという事実に、何も変わりはないのだ。


 私は安心して、コーヒーの入ったカップを持ち、口にした。

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