第4話 ぴんち!

 目が覚めたら窮地に陥っていた。いや、そのせいで目が覚めたというべきか。


 腹部になにやらえぐりこむような違和感を感じて目が覚めた。痛いというより、吐き気の強烈な奴、胃袋が裏返しになるような感覚といったらわかってもらえるだろうか。


 ミー君は俺より早くそれが始まったようで、向こうの茂みからあまり俺に聞かせたくはないだろう、女神様にはあるまじき効果音が聞こえてくる。きっと今頃虹色の滝を大地に注ぎ込んでいることだろう。


 ミー君はきっと『聞かないで』というのだろうが、俺だって出来ることならば聞きたくはない。


 だがまあ、上からの音で良かったじゃないか。下からの音だったら……おっと、だめだ。意識しないよう務めていたがそれを聞いているうちに……俺も……完全に貰ってしまった。くっ……ッ! もう耐えるのも限界だ……ちょっと向こうの茂みに……。


 ◇◆◆


「ナツくん……はい……白湯よ……」


「ああ、すまないねえ……ミー君……」


 焚き火の前にぐったりと横たわる2つの影。結局上からも下からも滝のように色々と出し切ってしまった我々の姿だ。服は汚していない……と思いたい。


 二人仲良く弱っている理由、それはどう考えても山菜だろう。あのどれかが、もしかすれば全部が毒草であり、中毒症状を起こしたのだろうと思う。


 ミー君が言っていた「似た世界なのだから食べられるものも似ている」という言葉に騙されたとは言わない。


 過信しすぎたんだ。冷静に考えてみれば良く分かる話だ。


 日本においても、山菜の誤食による食中毒は良くある話。ニラと間違えて水仙を売ってしまった販売所なんて耳を疑う話を聞いたこともある。


 異世界の未知の植物なのだから、少しずつかじって様子を見るとか、パッチテストをしてみるとか保険のかけようはあったはずなんだけど、まあ、腹減ってたからね。ガン無視しちゃったわ。


 だから俺は今回の件でミー君を責めることはしないぞ。採取をして調理をしたのは俺だしね。


 ただ、何かのときに理不尽にデコピンを食らわすかもしれないけれど、それは今回の事とはきっと関係のないことだ。責めないと決めたのだからな。うん!


 しかし参った。本当にまいった。ミー君によれば、今の時刻は日本における朝4時くらいで、もう夜が明けているらしい。


 ザックからスマホを取り出す力も惜しいから時間を教えてくれたのはありがたい。


 森の中は薄暗いので、夜が明けているかどうかはまあ、別にどうでも良かったのだけれども、朝になったらしいのに我々は体を動かすことが出来ないわけだ。


 幸いなことにミー君が水と火を出せるし、俺も塩や砂糖は持っているので、数日間はそれらをお湯に溶かして飲めば最低限の生命維持が出来そうだが、そういった緩やかなピンチのより先に野外ならではの……いや、異世界ならではのピンチがやってきたようだ。


「ねえ、ミー君……。俺の勘違いであってほしいのだけれども、何かフレンズの声が聞こえないかい」


「奇遇だね、ナツくん。私の耳にも聞こえるよ。ただ……あれをフレンズと呼ぶと怒られちゃうなあ」


 我々を取り囲むように聞こえる複数の呼吸音。荒くゴフゴフと聞こえるため、てっきりイノシシ系の何かヤバい連中に囲まれているのではないかと思ったのだけれども、どうやら違うようだ。


 何故違うと判断できたのかと言えば、呼吸音に混じって、なにやらギャリギャリとした鳴き声……いや、会話をしているような声が聞こえたからだ。


「ミー君や。参考までに教えてほしいのだけれども、俺にくれた【言語翻訳】は魔物にも聞くのかい」


「今はリソースが足らないからまだむりだね、ナツくん。でも私にはナツくんが何を言いたいかわかるよ。そうだね、私達を取り囲んでいるのはナツくんが考えている通りの奴らだよ」

  

 やっぱりか。そして弱々しい声からそうかな、やばいのかなって思ってたけど、どうやらミー君は結構ギリギリの状態のようだな。


 その根拠としてわかりやすく現れているのが結界の範囲だ。目に見えるわけじゃあないけれど、ギャリギャリとした声がどんどん内側に近づいてきている。


 ミー君が得意げに言っていた『私が極端に弱らない限りは維持されるよ』というセリフが見事にフラグを回収しやがったというわけですね。


 ギャリギャリと話す言葉の意味はわからないが、めちゃくちゃピンチなのだけはわかる。


 ああ、声がどんどん近づいてくる。ミー君は……だめだ……既に気を失っている。


 俺も先程から意識が朦朧としはじめて……ああ、あかん……これ……このまま……死ぬ奴だ……わ……。


 ……

 …


 ……む、光だ。


 ぼんやりとした記憶を探ると、何やらヤバ気な状況に陥っていたような気がする。


 そうだ、もうろうとする意識の中、何やら魔物に取り囲まれて……その後の記憶は無いが、恐らくはどこか別の場所に攫われたのだろうな。


 眼に飛び込む光が眩しい。


 明らかにキャンプ地では無い場所に、鬱蒼とした森を抜け、何処か空が見える場所に連れてこられているようだ。


 あんな事食中毒があったから体に力は入らないが、特に怪我などは無いようで、体のどこかが痛む様子はない。さらにありがたいことに毒草由来の吐き気や目眩も収まっている。


 ただ、やたらと頑丈な植物で編まれている何かカゴの様な物に閉じ込められているらしいのだけはいただけないが……それでもカゴの目が荒く、そこから周囲の様子を見ることが出来るのだけは幸いだな。


 隙間から隣のカゴを覗いてみれば、だらしのない顔をしてすやすやと寝息を立てるミー君の姿が見えた。


なんだか幸せそうな顔をして眠ってやがるな……あの様子なら、ミー君も中毒症状から回復しているのだろう。


 別の方向を見ると、同じ様なカゴが幾つも並べられていて、傷だらけの人間がそれに収められ、皆同様に悲痛な表情を浮かべている。


 服装からするとこの世界の一般的な村人なのかな。俺たちと違って傷だらけなのは多少なりとも抵抗をしたからかもしれないな。


 俺たちは……その、死にかけで森に落ちていたようなもんだからなあ。栗か何かのノリでそのままヒョイっと担いで運ばれ来たのだろうと思う。


 さらに別の方を見てみれば、何やら広場のようなものが目に入る。そこには緑色の肌をした小柄の人形、まあゴブリンだよね。奴らが嬉しそうにキャンプファイヤーの様に大きな火を焚いていて、何やら宴の用意をしているようだ。


 ゴブリンのくせにそれなりに知能は高いようで、すごく大きな皿に果物が盛り付けられているが……その中央にはなにやらメインディッシュが乗せられそうな空間が空いている。


 きっとこの後シェフがやってきて、自慢の一品をドスンと置いて完成となるのだろう。


 わあ、俺たちをもてなしてくれるのかなあ? 体調も良くなったし、実はさっきからはらぺこでー


 違うよな。俺たちがあのお皿に乗るんだろうな。


 ミー君なら食料以外の用途で生存チャンスがありそうなものだが、それはそれで後々悲惨な事になるだろうからまずいことには変わりはない。


 いやあ、めちゃ冷静に考えているけれど、どうしたもんかねこれ。何故だかザックは剥ぎ取られずにそのまま背中に張り付いているけれど、それを漁る体力はないし、中からナイフを取り出したとしても、うじゃうじゃと居るゴブリンをどうにか出来る気はしない。


 そう言えば、死ぬ目にあっても死ぬことはないような話をされたと思うけど、それって調理されて食べられてしまっても有効なんだろうか? 流石にそこまでされたら……無理だよなあ……。


『ねーー! ナツくーん。これどういうことー?』


 むう、頭の中でミー君の声が聞こえる。この現状に耐えきれなくなってとうとう幻聴が……


『聞こえてるよねー? これは念話だよ念話。今貴方に直接語りかけていまーすってやつ』


『む……こうか? テステス、テステス聞こえますかミー君』


『はいはい聞こえるよナツくん。で、どうしちゃったのかなー? 彼ら、私達をおもてなししてくれるのかなー? なんか宴の用意っぽい感じだよね』


『だったらいいね。でも、どうやら俺たちが体を張っておもてなしをする感じになりそうだよ』


『ですよねー』


 む……? ミー君のくせにこの状況の割になんだか余裕だな? もっと狼狽えると思ったんだけどな。まさかミー君には隠された力があり、それでこの窮地を?


『ふふん。忘れているかもしれないけれど、私は女神だよ。こんな時はゲートを開いて天界に一時退避をすればいいの』


 なるほどその手が! しかし何か引っかかるな。なんだろう? ああ、そうだ。そんな真似が出来るなら、アレだけ死にかけたときに一度天界に戻って回復を待っても良かったんじゃないかな? そもそも森に降り立った時点で一度戻ってやり直しても良かったんじゃないかな?


 ポンコツ過ぎて今まで戻れることを忘れていたのかなあ? でもミー君だってそこまで馬鹿じゃないような気がするんだよなあ。


『ねえ、ナツくん。私大事なことを忘れてたよ。追い詰められて都合が悪いことを忘れて現実逃避しちゃっていたみたい』


『そうかい。それで、一体何を忘れていたんだい』


『どぼじよおおおおお! ナツくうううん! 地上でゲートを開くにはリソースが足らないんだったよおおおお! じゃなかったらとっくに戻ってやりなおしてたもーーん!』


『そうだね、やっぱそうだよね。そんなこったろうと思ったよ……』


 隣のカゴでハラハラと涙を流すミー君。


 いやあ、俺としても女の子がああやって泣いているのを見るのはミー君と言えども胸が痛む。でもなあ、俺はモブに毛が生えた雑魚だからな……。


 中毒で消耗した体でろくに動けないのもあってほんとこれはどうしようもない。


 うん、詰みだ! 手札はカス! 場にふせられた都合の良いトラップカードも無い! あるのは動かない体と折れかけている心のみだ! ちきしょう! ずっとゴブのターンだよ!


 そうこうしているうちに広場にどんどんゴブリンが集まっていく。ああ、何やら一際体格が良い個体が偉そうに歩いてるな。あれでしょう? キングゴブリンとか王種とか、そういう上位個体的なアレでしょう? これからあいつに俺たちを捧げて宴をするんだ。 知ってるんだから。


 他のカゴを見ると、既に諦めてじっとしている者、なんとかしようと中で暴れて外から蹴られているものと様々だ。


 俺も一つ暴れてやろうかと思ったけれど、やっぱりどうにも体が動かない。


 ああ、少しでも動けば奴らに一太刀くらいは! 弱って動けないからそれも叶わないが、あー、くそ体が動けばなあ……胃に毒草が刺さってなければなー……ほんとだよ? 


 言ったもん勝ちだとかそんな事無いぞ。


 う……どうやら終わりの時が来たようだ。


 ゴブリン達が何体かこちらにやってきて、カゴを品定めするかのように見ている。あの表情、何を考えているかわかるぞ。俺が鮮魚コーナーで晩飯になるお魚さんを選んでいる時の表情とよく似ているからな。


 うわあ、いよいよじゃん? やっべえじゃん? 


 どうしよ、覚悟を決めたような感じでクールぶってたけど無理だって。 生きたまま調理されるんだろ? 無理無理! 


 隣のカゴではミー君が号泣しているし。あいつもこれから何が起きるか察したんだろうなあ。


『うわあああああああん! ナツくううん! ごべんねえええええ! あだじがちゃんと設定じでいればああああ! わだじもやられちゃったら、ナツくんのリズボーンだってでぎなぐなっちゃうしいいい』


『良いんだよ、ミー君。もう良いんだ。全てにおいてミー君のせいだろうということは変わらないけれど、それに関して責めることはしないぞ。ああ、だいたいミー君が悪いけどな』


『うわああああん! 責めてるじゃないのおおお! でもごべんねええええ! なにもできなくって、ほんとごめんねえええええ!』


 わんわんと声を上げて泣きながら泣き声の念話をするとは器用な奴め。


 号泣しているミー君をあやしたり、弄ったりしているうちになんだか少し冷静になれてきたけれど、今更冷静になれた所で助かる妙案など浮かばない……畜生、言語翻訳でどうやって切り抜けろってんだ! 


 と、色々と諦めかけた時だった。


 広場のゴブ共がざわめき始め、なにやら慌てたように右往左往している。


 誰か侵入者でも現れたのだろうか? ゴブ共は武器を拾い、バタバタと何処かへ駆けだしていく。


 ドサッと言う音に驚き、顔を向けてみれば頭に矢が刺さったゴブが力なく転がっている。高台に居た見張りが射られたのだろうか?


 これはもしかしなくても助かったのでは。


 そしてそれはすぐに確信に変わった。わあわあと騒がしい声と共に多くの人間たちが広場になだれ込む。


 彼らはバッサバッサとゴブリンを斬り捨て、また、なにやら魔術で焼いたり飛ばしたりと大暴れだ。いいぞ! やれやれ!


「どりゃあ!!」


 威勢のよい掛け声とともに剣を持った男が現れ、カゴの前をチョロチョロしていたゴブリンに斬りかかる。


 その一撃は強烈で、肩から縦に半身を切り離されたゴブリンは盛大に紫色の体液を吹き上げ、俺達にそれをシャワーのように浴びせながらドサリドサリと音を立てて地に伏せた。


「大丈夫か? お前ら、後少しの辛抱だからな!」


 剣を握った男はそう言うと、そのまま何処かに駆けていってしまった。アレはいわゆる冒険者という人間なんだろうか。彼らのおかげで助かりそうではあるのだけれども……。


 ちらりと隣のカゴを見ると、ミー君は泣き止んでは居たけれど、今度はひどくえづいている。


 だよなあ、しょうがないよ。俺も正直気持ちが悪い。


 動物の解体すらまともに見たことがないんだぜ? 無修正にも程があるレベルで臓物をぶちまけるゴブリンを見て平気で居られるはずがない。まして我々は頭から血だか体液だかをかぶり、ゴブの素敵な香りを全身で味わう羽目になっているわけですよ。


 ああ、とうとうミー君が虹色の滝を……くっこのままでは俺も貰ってしまう……いや、その前に……なんだか……耳鳴りが……ああ、だめだ貧血だ。情けないかな、消耗していたのもあって……意識がまた……持ってかれる…………。


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以後、隔日で投稿予定です。

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