3:聖女は滅び腐敗蔓延る(4)

 それから六日。生き残りの魔神を見ることはなく、他の土地にもよく見かける魔物に出遭ったくらいだった。

 どちらに向いても街道は遠く、田舎道を二日前に横切ったのが最後だ。今は緑の濃い中を、踏み分け道に沿って歩く。


「獣がたくさん居るのう」

「これだけ人が入ってなけりゃな。どれもごちそうに見えるのか?」

「馬鹿にするでない。自然に生きる者の美しさ、仕草を愛でておるのじゃ。もちろん食えばうまいが、それもまた自然の流れというものじゃろう」

 

 元々が山の深くで、獣を狩る人数も知れていたのだろう。

 それがウルビエからこちら。出会った大小の集落は、いずれも人影がなかった。はぐれ魔神に襲われたのか、それを怖れて先に逃げ出したかは定かでない。


「へぇへぇ。それは失礼」

「ときに。聞いておらなんだが、儂らは今どこへ向かっておるのじゃ?」

「はあ? お前、こっちから来たんだろうがよ」


 魔神の爪痕や、その周囲。それは一般に知られていない。

 功名心や火事場泥棒の目的で侵入する者も稀には居るようだが、噂以上の情報を聞くことはなかった。

 しかしミラは、こちらから来たのだと言った。入るのは禁止されていても、出てくる者を止める術はない。

 だから当然に、どんな場所かくらいは知っていると考えていた。


「言ったかの?」


 自身の発言を、とぼけている風ではない。

 土地は広く、歩く場所が少し違えば風景も違う。だから責めるつもりもなく、少女が故郷だと言ったのと同じ方向だ。

 そう話そうと思った矢先に、シャルが返す。


「わたしの使命があるのですよ」

「使命とは仰々しい。なんじゃ?」

「いくつかありますが、生き残りの魔神を見つけて滅ぼすことです」


 そこで会話を奪われては、クレフが少女の発言を責めたような形になる。

 ――ミラは細かいことを気にするほうじゃなさそうだし? オレもそんなことで、目くじら立てるほうじゃねえがな。

 と考えるものの、一応のフォローはしておきたいと思った。


「聖暦四百二十五年のことです。突如として――」

「そんなややこしいこたぁいいんだよ。要するにな、魔神戦争ってのがあった。魔神は真っ黒い怪物で、普通の人間は手も足も出なかったんだ」


 この国の常識を知らない子どもに、聖暦などと言って分かる筈もない。だから概略を教えてやれば良いのだと、今度はクレフが割って入った。

 遮られたシャルの視線に非難が浮かぶものの、気にせずミラの反応を待つ。


「その戦争は終わっておるのじゃな。すると魔神とやらの中に、負けた後も居残る者がおると?」

「そういうこった」

「そういうことです」


 肯定の言葉は、ほぼ同時だった。

 何も意味などない。その筈だが何となく、見つめてくるシャルの目をじっと見てしまう。


「しかし普通の人間ではどうにもならんのを、どうやって滅ぼすのじゃ」

「どうにもならなくはありません。簡単な相手ではないですが、戦いようはあるのですよ」


 一般に理解されているままを言ったのが、裏目に出た。ミラの方向に去っていくシャルの長いまつ毛が、何だか嘲笑っているように見えてならない。


「魔神は生きる者を恨み、見つければまっすぐに向かってきます。彼らは有利不利などを考えません」

「ふむ。ならば事前の準備や、対処の仕方もありそうじゃの」


 クレフは魔神を見たことがある。

 だが戦ったことはない。戦術も戦略も、実際に経験した者に譲るしかなかった。

 しかしそんなことは、少々気になっただけだ。これ一つでシャルと自分の価値が決まるわけでない。

 そんな言いわけを胸中に並べていると、ミラはまた疑問を提示する。気力と好奇心に満ちた、真ん丸な目で。


「するとおかしいの」

「何がでしょう?」

「魔神とやらが生きる者を尽く屠る。というならなぜ、獣が自由に生きておるのじゃ?」


 その指摘は、至極当然だ。

 だが言われてみるまで、おかしいとは思わなかった。

 魔神は命を狩る者。

 森には獣が生きるもの。

 それぞれ当たり前で、相反しているなどと気付かなかった。

 だがたしかに獣たちは、何かに怯えながら生きている様子ではない。


「そうですね……本当です。ミラさんの仰るようにおかしな話です。恥ずかしながら、気付きませんでした」

「なに。うぬらはそれを、事実として体感してきたのじゃろ? よそ者ゆえに知れることもあるものじゃ」


 シャルも同じのようだった。少女が指摘した言葉を受け止め、飲み込む表情は自然な驚きだ。


「あんた、司祭なら魔神戦争にも行ったんじゃねえのか。そこじゃあ、人も獣もおかまいなしに殺されたってオレは聞いてるが」

「いえ。わたしが司祭に指名されたのは、魔神戦争の終結したあとです。侍祭の身で従軍など、おそらく一人も居ない筈です」


 年齢的にはおかしくない。むしろ二十歳に満たないだろうその年齢で、司祭というのでさえ早すぎる。奇跡の業を使える辺りでのことであろう、とは予想出来たが。


「まあ良い。どれほど手強いものか、興味が湧いた。どこか居りそうな場所はないのか?」

「実はわたしも討伐に行ったことのない場所が、もうすぐです」


 ここまで少女は、魔物を相手にも十分以上の戦力だった。クレフが戦えるのであれば、ミラが戦えない道理はない。

 だがそのこととは別に、穏やかならぬ気持ちが芽生える。

 ――やれやれ、誰かに呪いでもかけられたか?

 そんな風にさえ思えてしまうほど。

 自分を呪いそうな誰かなど、候補が多すぎて見当もつかなかったが。

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