第三章:聖女は滅び腐敗蔓延る

3:聖女は滅び腐敗蔓延る(1)

 ウルビエの聖堂から北東には、罪人を見せしめにする磔場がある。さらに行けば古い倒壊寸前の建物ばかりの貧民街があって、その最果ては墓地になっていた。

 簡単な柵で囲われただけのそこに、墓守は居ない。花を手向ける者がなければ、新しくそこで眠る者も居ない。

 古都の歴史に埋もれ、忘れられた場所だ。


「間違えずに来たようじゃぞ」

「オレたちだけじゃ、市壁の外へ出られないからな」


 新しい墓地。と言っても、それでさえ百年以上も経っているが。そちらはまた別にある。

 その辺りの事情を聞いて、ミラはずっと落ち着かずに居たのだ。シャルは誤らず、こちらへ来るだろうかと。


「ミラさん。ご無事で――とは言えませんが。またお話出来て良かったです」

「こんなもの、痛くも痒くもないわ。舐めておけば治るしの」


 枝鞭を引き締める塩水で、身体じゅうがミミズ腫れになっていた。少女は腕の傷を、実際に舐めて見せる。

 シャルは手袋を外し、一つ一つの傷をなぞるように手を翳していった。そうしつつ、唇から静かに音を零していく。

 神聖語と呼ばれる、聖職者が神との対話に使う言語だ。


癒しの光コンゾラーム


 最後の言葉で、シャルのなぞった手の軌跡が淡く光る。透明感のある草色のそれは、包帯のように傷を覆い、やがて消えゆく。


「あんた、奇跡のわざも使えるんだな」

「ええ。癒やしたからと、わたしの罪まで消えはしませんが」

「見事なものじゃ。傷も痛みも、全くなくなってしもうた。いや痛みは元々なかったが」


 この次、何を言えばいいのか。シャルは言葉を見つけられずに居るらしい。

 傷を癒やした自分の両手をじっと見つめ、ちらとミラを盗み見る。


「アマルティアとは、うぬらの崇める神の名か?」

「え、ええ。そうです」

「ふん。碌なものではないのう」


 聖職者にとって最大の侮辱は、信仰する神を貶められることだ。本心でそう思っていなくとも、体裁上は誰もがそれに怒る。

 だがシャルは、ミラの急な問いに頷いた。


「ミラさんがそう仰るのも、無理からぬことです。わたしの信じる母なるアマルティアと、今の教会はかけ離れています」

「オレも驚いた。前はあれくらいで捕まるなんてなかったからな」


 その驚きが、クレフにとってのミスだった。心の底から聖職者や神を憎んでいるのに、どうして一部分でも信頼してしまっていたのか。

 ミラを救い出せたから良いものの、もしも失敗していたら。またも自分自身のミスで人を、しかも子どもを死なせてしまうところだった。


「魔神戦争の影響か?」

「そうですね、長引くイセロス会との戦争もですが。人望と実力を備えた方たちが減り過ぎたのです――かく言うわたしも、人のことは言えません」


 悲しみの濃い自嘲が、夜の冷えた風に馴染む。別れている間にこちらが失言をしたからと、それがシャルの罪になどなる筈もないのに。

 それとも何か、聖職者らしい汚い行為でもしているのか。クレフはその仮定を、想像しにくいと思った。

 彼女は善悪の判断に、潔癖な面が見える。不正の中にも筋を通そうという部分もだ。

 けれどもそれと、クレフを同行させた手口とには落差がある。どちらかが芝居と考えるにも、彼女は不器用すぎる気がした。


「そのイセロスだの、アリシアじゃったか? なんじゃそれは」

「アマルティアを崇める、二つの会派です。元は一つの教団だったのですが、解釈の違いによって分裂しました」

「何だか退屈そうな話じゃな」


 そんなセリフの真実性を証明するように、ミラは寝転ぶ。砂に還りかけた墓碑へ頭を乗せて。

 これも聖職者ならば、直ちに説教をせねばならない行為だ。だがシャルは、苦笑いで何やら袋を差し出した。


「ミラさんに食べていただこうと思って、あれこれ買っていたのを思い出しました」

「なんと! そのような物があるなら、どんな話も楽しく聞けよう。いや違う。大事な話であるから、腰を据えて聞かねばということじゃ」


 袋の口を大きく開いて、ミラは中身を両手に取り出した。複数の種類がまとめて入れてあっただけに、焼き菓子やパンばかりだ。

 少女はそのいくつかを口に放り込み、反対の手にあった物はクレフとシャルに勧めた。


「この国は、来年で聖暦せいれき四百三十年を迎えます」


 土が付くのも構わず、シャルはその場に座った。寝る子に昔語りを聞かせるように、自身の思い出を語るように柔らかく。


「長いのか?」

「そりゃあな。オレがどれだけ長生きしたって、六十か七十が限界だ」


 シャルの話す邪魔をせぬ為に、ミラは声を潜めて聞く。クレフも釣られて、ひそひそと。


「聖暦元年は、ある女性の亡くなった年です。ある日ふらりとトロフの町に現れた彼女の名は、アガーテ」

「ほう、アガーテか」

「奇跡の業でさえどうにもならない病も傷も。アガーテは、たちどころに癒やしました」


 ミラの問いにゆっくりと頷き、聖職者には事実として伝わる歴史が語られる。

 クレフには四百年以上も前のことなど、嘘や誇張や勘違いがあって当たり前と思えるが。


「やがて聖女と呼ばれた彼女も老い、亡くなります。そこでそれまでの王国暦から、聖暦へと改められました」


 ミラの齧るクッキーが、ぱきり。乾いた音を立てて割れる。この話は少女の耳へどれだけ届いているのか、表情に窺えない。


「それから間もなく、教会に論争が起こりました。アガーテとは、直接にアマルティアの祝福を受けた人間とするアリシア派」

「アガーテ当人が、アマルティアの化身だって言うイセロス派。だな」


 それくらいはこの国で生きる者なら、誰でも知っている。どんなに教会を嫌っていてもだ。


「なるほどのう。それでどうなった」

「どうもなりません。それからずっと、二派は争っています」


 理解しかねた風に、形のいいミラの眉が中央に寄る。

 無理もない。本を正せば、たったそれだけのことなのだ。しかも真実を知っている当人が亡くなってから。


「……くだらんの」

「ええ、そう思います。そんな解釈の違いだけで、二つの会派は四百年以上も殺し合いを続けているのですから」


 呆れたという顔のミラ。唇を噛み、現状を憂うシャル。二人とも、それが偽らぬ心境だろうと見えた。

 しかしクレフには、そう単純でない。


「ああ、全くくだらねえ。どっちが正解か言い争ってる同士なら、好きにやりゃあいいさ。だが巻き込まれるほうは、たまったもんじゃねえ」

「で、あろうな。なぜ殺し合うまでするのか、なぜそこまで長引くのか、儂にはさっぱり分からんが」


 子どもだからなのか、生来持ち合わせたものか。少女は分からぬことを分からないと言い、くだらぬことをくだらないと言う。

 欺瞞と詭弁しかない聖職者とは正反対のミラを、クレフは好ましく思う。


「この国が腐ってるからさ」


 だから少女がどう感じるのか。聞いてみようと思った。

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