記憶の章

クレフの炎(1)

 ――十二年前。

 全てを見ていた。

 ただ。

 オレが稼いだ金で、あいつらにうまい物を食わせてやりたかった。

 小さな町の小さな教会が、寄付金だけを頼りに開いた孤児院。そこに居る、血の繋がらない弟や妹たち。

 オレは追い出された身だから、町民の目にも止まらないよう、慎重に歩く。街の外縁を、教会が見える場所まで。

 わあっ、と。突然に大音声だいおんじょうが響いた。大勢の人間があげる、鬨の声。

 驚いて、物陰に身を潜めた。

 鉄環鎧リングメイルに身を固めた集団が駆けてくる。

 それは騎士。教会の抱える、聖騎士。

 二十……四十……無理だ、数えきれない。

 その手の盾には、円に囲まれた三つの炎が描かれている。奴らイセロス会の聖印は、憎悪の象徴になった。

 聖騎士達は真っ先に礼拝堂へ入り、雄叫びをあげた。だが何も見つけられなかったらしく、今度は宿舎に向かう。

 そっちにはオレの弟たちが居る。ダメだ、行かないでくれ。

 聖騎士の去った礼拝堂の壁が、扉のように開いた。

 見覚えのある、三人の聖職者が姿を見せる。孤児院を運営していた、アリシア会の連中だ。

 隠し部屋にでも身を潜めていたのか。それぞれ大事そうに包みを一つ抱いて、我先に逃げ出していく。

 中の一人が力をこめすぎたのか、荷物の口から中身をこぼした。男は拾おうとするが、他の者がそれを制す。逃げるのが先だというように。

 奴らが去ったあと、落ちた物を拾った。また物陰に戻って確かめると、それは金貨だ。

 聖職者が。神を崇拝し、民にその恩恵を伝えるなどと公言する奴らが。礼拝堂にある他のどんな物よりも先に、銭を持ち出したのか。

 いつも孤児たちへの食事は、目を凝らしてようやく色の分かる豆のスープ。寝る時は薄い布きれ一枚だった。

 その結果が、あの大量の金貨なのか。

 すぐ先で、遅れてやってきたイセロス会の聖職者達が、建物に火をつけていく。

 小さな町だ。木造の家がほとんどで、火はすぐに大火となった。

 いつの間にやら、宿舎へ行っていた筈の聖騎士も町のあちこちを闊歩している。手当たり次第に家の扉を破り、中へ入っていった。

 当然のように、住人の悲鳴が響き渡る。男の悲鳴は数秒で止むが、女の悲鳴は当分の間続く。

 宿舎は。宿舎はどうなった。

 見つからないようにどうにか回り込むと、既にほとんど焼け落ちて、火は消えかけていた。

 物陰に隠れながら、一歩、また一歩。慎重に近寄っていった。

 崩れた壁の向こうが、少しずつ見えていく。

 そうしていると、何を恐れているのか分からなくなってきた。聖騎士たちに見つかることか、この先を見ることか。

 黒焦げの床。焼け落ちた梁。瓦礫ばかりで、弟や妹たちの姿がない。

 どこかへ出かけていたのかなどと、ある筈のない希望を抱いて絶望する。瓦礫と同じ、真っ黒になったのがそうだ。

 ここにも、そこにも。何人もが倒れ、どれもに剣で刺した跡が何箇所もあった。

 燃え残りの多い一角も、床から天井まで煤と炎に黒く染められていた。そこに固まって、また何人もが死んでいる。

 死体の様子からすると、小さな子たちを年長の子が庇ったらしい。

 うずくまった格好の死体に覆いかぶさって、オレと同年代くらいの子が死んでいた。やはり背中には、何度も剣を突き刺した跡がある。

 その死体を引っ張って床へ仰向けにした。顔は熱でただれ、煤で真っ黒になって誰だか分からない。

 庇われていた小さな子たちも、煙と炎に炙られたのは結局のところ同じだったらしい。顔は黒く歪み、刺し傷もその子たちに及んでいた。

 わけが分からない。どうしてこんなことが起こるんだ。顔を押さえると、オレは泣いていた。

 ぐしょぐしょに濡れた頰を拭う。じゃりっと小さな異物の感触がした。

 手を見れば、焼けた皮と煤で真っ黒になっていた。死体を引っ張ったときに付いたのだろう。

 膝が震えて、涙が溢れ出す。

 その時、背後で誰何すいかの声がかかった。振り返ると、明らかに俺を目指して、数人の聖騎士が向かって来ている。

 まだ遠い。しかし人の声とも思えぬ奇声を出す聖騎士たちを、オレは怖れた。今でもその声は、耳元で発せられているかのように聞こえることがある。


「すまん」


 一言だけ残して、オレは駆けた。

 野山にさえ入ってしまえば、幼いころから自由に走り回った、オレの遊び場テリトリーだ。

 相手も、たかが子ども一人と思ったのかもしれない。追っ手を撒くのに、それほどの時間は必要としなかった。

 オレは、全てを見ていた。

 イセロス会も。

 銭の亡者であるアリシア会も。

 オレの弟や妹を守ってくれなかった神さえも。

 等しく敵だと、深く心に刻み込んだ。

 しかし子どもの俺にとって復讐はおろか、その日その日を生きることすらも、時代は厳しい。

 時に泥水をすすりながら、オレは生き延びた。

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