第5話 ソルウェインとイリーナ その2


「な、なんだよ」


 カミュは訳が分からずに聞き返す。自分が墓穴を掘ったことに気づいていなかった。


「あんたねぇ……。なに開き直ってんのよ」


「え?」


「え? じゃなくて。私だって宿せたんだから、あんただって頑張ればなんとかなるわよ。言われているほど、どうにもならないものなんかじゃない。しっかりと体をつくって、心の鍛練もしていけば、きちんと紋章に耐えられる器はできあがるの。自分で言うのもなんだけど、私に才能があったとは思えないもの。それに、あんたの言う通りよ。紋章なんかなくたって、団の仕事でできることはいくらでもある」


 カミュは、しまったと思った。まさか、話がそこに戻るとは思っていなかったのだ。


「まあ、その……なんだ。俺も頑張っているんだけどね。なかなかね」


 カミュはイリーナから視線を外して、目の前の石臼の取っ手を再び握る。


 イリーナに闇の紋章の話も執行人の話もしたことはない。どちらも、ブラム以外は誰も知らない。言えなかったのだ。ブラムにしても、つい最近になって鉄騎兵団の動きが活発化してきたため、頭を痛めている養父を助けるべく、やむを得ずに闇の紋章のことを打ちあけたのである。それがなければ、ブラムでさえ未だに発露した闇の紋章のこともカミュの剣技の腕前も知ることはなく、カミュも執行人になどなっていなかったはずなのだ。


 カミュの煮え切らない言葉に、イリーナは再び声を張り上げようとする。


「もうっ、あんたはいつもそうやって――――」


 イリーナが眉をつり上げようとしたときだった。


「おいおい、痴話喧嘩は扉を閉めてからやれ。外に丸聞こえだぞ」


 呆れたような声音で横槍が入った。


「痴話喧嘩なんかじゃないっ」


 声だけで誰かが分かったイリーナは、振り向きながら癇癪を起こす。


「おかえり、ソルにぃ


 カミュはほっと胸を撫で下ろしながら視線を上げた。


 その先には、まだ鎧を身に纏い愛用の長剣を腰に差したままののソルウェインが立っていた。


 カミュと同じく細身の体つきではあるものの、そこに頼りなさなどはまるでない。しなやかさだけを印象に残す。そんな彼は、イリーナが背負っていた革袋より更に大きな革袋を背負っていた。そこから、かなり大きな鹿の片足と思しきものが飛び出している。


「そうか。まあ、それならそれでいいが、レディーがそんなに大声で喚いていてははしたないぞ?」


 ソルウェインは苦笑いを浮かべながら、イリーナの頭をポンポンと二度ほど叩いた。イリーナは、まるで小さな子供のようにうーっと低いうなり声を上げる。


「兄さんは、すぐそうやって私を子供扱いする」


「そんなことはないぞ。可愛い妹扱いをしているだけだ」


 そう言うとソルウェインは、端正な顔を笑みで満たしたまま、今度はぐりぐりと少し強めにイリーナの頭をなでつけた。


「……やっぱり子供扱いじゃない」


 イリーナは、されるがままに深いため息を吐いた。


「そんなことはないさ。お前の頑張っていた姿も知っているし、それがこうして形になったのを見れば感無量だよ。ましてや俺のために頑張ってくれていたなんて聞かされればな。そんな出来た妹を子供扱いするほど、俺は無神経じゃないぞ」


「し・て・い・るじゃないの」


「はは。だから、可愛い妹扱いをしているだけだよ。で、お前には何が宿ったんだ? やっぱり、俺と同じ『風』か?」


 イリーナは再びため息を一つ吐くと、あっさりと気持ちを切り替える。彼女も兄の気質は熟知していた。


「私もそうかなと思っていたんだけどね。『水』だった。司祭様がおっしゃるには、『貴女の深き愛は、傷つき疲れた者に癒やしを与えるだろう』だって」


「へぇ。お前は体の特性よりも、心の特性の方が強かったんだなあ。お前は俺と同じで速さを武器とするから、宿るなら『風』だと思っていたんだが」


 イリーナの説明にそう感想を言うソルウェインの傍らで、


「愛? 癒やし……?」


 カミュがぼそりと漏らす。


「……カミュ。何か言いたそうね」


「いや、言いたいことなんて何もないよ。ああ、ソル兄。それは何? 今日は狩りかなんかに行ってたの?」


 カミュは必死で誤魔化した。


「まったく……」


 イリーナは、あきらめたように小さく首を横に振る。


「魔石採掘の帰りでな。野営をした時の晩飯の残りだ。イリーナにスープにしてもらおうと思って持ってきた。今晩の飯は付き合えよ」


 ソルウェインは、そんな妹を一瞥しながらカミュに答えた。


 するとイリーナは、ソルウェインの方に向き直り言う。


「兄さん。今からそれをスープにしろって言われても、下ごしらえも何もしていないんだから夕食には間に合わないわよ?」


「……カミュ。メニューの変更だ。今晩は半分を串焼きにしよう。これだけあるんだ。半分喰っても足りるだろう。スープは後日食わせてやる」


「兄さんがつくるわけでもないくせに」


「細かいことを気にするな。カミュに浮気されるぞ」


「だから! 恋人でもないカミュに、なんで浮気されるのよっ!」


 妹が顔を真っ赤にして反論しても、ソルウェインはどこふく風とばかりに楽しそうな笑みを浮かべたままだった。


「……なんでもいいけど、二人とも。俺にもしゃべらせてくれ」


 カミュは目の前でずっと言い合いを続ける兄妹に疲れた顔で言う。


 すると、ソルウェインの笑みがニカッと音がしそうなものへと変わった。


「いいぞ。ゆっくり話を聞いてやろうじゃないか。カミュ、肉を焼くから手伝えよ」


 ソルウェインは部屋の奥に座ったままのカミュの前まで進むと腕を引っ張って立たせた。そして、肩を抱きながら外に向かおうとする。


「ちょ、ちょ、ソル兄」


「ほれ、きりきり歩け。働かざる者食うべからずだぞ」


「行く。行くから。そんな押さないでよ、ソル兄」


「はっはっはっ」


「んー、もうっ。兄さんはいつもこうなんだから」


 イリーナは、部屋を出て行く二人の背中を見送りながら、今日一番の深いため息を吐いた。

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