帆立ごはん前のキス

 恋心もない、だけど冷たくしたくない。


 僕の心はおかしなテンション。


 カナコに抱きしめられたら、

 僕のほうが泣いていた。


 お母さんが死んじゃった時の、

 あの心細さ。



 震える肩から、カナコの淋しさと心細さがゆらゆらしてる。



 急に、

 思い出した、

 小学生の頃の夏休み。

 僕は市民プールで泳いでた。

 プールに潜った仄暗い水の奥底で、

 人の声がくぐもって聴こえてきた

 あの日みたいな、

 楽しかったものが

 急に怖くなった、あの夏。



 カナコが望むなら、

 僕はカナコがまたいつか裏切るかも

 しれなくとも


 僕が望むから、

 カナコにいてほしいんだ。



「帆立ごはん、炊けたんだ。朝ごはん食べようか?」

「夏吉くん」


 元女神は僕の唇にそっと

 柔らかな唇を合わせた。


 お互いに

 ためらいがちの、

 ちょっと震えた唇が重なる。


「泣きべそは変わらないね。……夏吉くんは優しい。人のために涙を流してくれるんだもの」


 アツアツ帆立ごはんは、

 心なしかほんのりしょっぱかった。

 ……気がした。

 涙の分だけ、だね。



 カナコが居たいだけ、

 僕んにいればいいさ。


 一人より

 二人の

 ご飯の時間が、


 こんなにあったかくて

 こんなにご飯が美味しい。

 

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