第二話 ハイジ、犬を説教する

 わたしを引きずり込んだ事情はわかったけど。それに付き合う義理はこれっぽっちもないんだ。さて、どうする? どうするもこうするもないよね。早くここから脱出しないと、船に乗せてくれた漁師さんたちやおばあちゃんに迷惑かけちゃう。

 高校生って言っても、わたしはリケジョ系なの。見るからにアタマが単純そうな犬男を丸め込むのは難しくないと思う。でも、ちんけだって言っても神様だし、怒らせて本当に生贄にされちゃったら一巻の終わりだ。まずは、きちんとコミュニケーションを取ろう。


「で。そもそもあんたの名前は?」

「あんた、だと?」

「あんた以外の呼び方ないじゃん。どこぞの国みたいにいきなり拉致やらかすやつにさあ」

「う……」

「神様として敬って欲しかったら、それ相応の振る舞いとか態度とかが必要だと思わない? あんたも龍神のことなんか言えないよ?」

「す、すまん」


 最初は偉そうにしてたけど、どんどんメッキが剥げて小物っぽい地が見えちゃう犬男。


「俺の名前は長すぎて、自分でも名乗るのが面倒なんだ」

「なんちゃらかんちゃらのみことってやつ?」

「そういう感じだな」

「じゃあ、愛称でいいよ。名無しはめんどくさいでしょ」

「愛称、か。神に愛称はない」

「めんどくさ」


 こう、なんつーかさ、もっとざっくり行こうよ。神様らしいのは服装だけなんだから。わたしがぷうっとむくれたのを見て、犬男が慌てて付け足した。


「愛称ではなく、代称というのはある」

「だいしょう?」

「そう。俺のいる御座みざの呼び名だ」

「お店の屋号みたいなものかなあ。なんていうの?」

「神家の犬だから犬神家いぬかんや


 なんとなく犬っぽい雰囲気だったけど、やっぱり犬だったか。いぬかんや、ねえ。舌噛みそうな呼び方だなあ。却下!


「呼びにくいー。なんか堅苦しいし。タロでいいよ」

「タロ?」

「犬なんでしょ? 一番ポピュラーな愛称じゃん。猫ならタマ。鳥ならぴーちゃん。それともポチの方がいい?」

「いや、タロでいい」


 納得してしまうあたりがいかにも犬の思考だよなあ。いいけどさ。


「わたしは、拝路紀子。ノリでいいよ」

「ノリ、だな。わかった」


 態度がでかいのは龍神と同じじゃないか……わたしにそう言われたのがこたえたのか、だいぶ砕けた話し振りになってきた。


「ねえねえ、タロ。さっき言った犬神家っていう代称、あれって他の神様も使うの?」

「そうだ。猫なら猫神家。鷹なら鷹神家だ」

「ちょっと……そんなの本当にいるわけ?」

「いる。猫は猫鮫ねこざめ、鷹は鷹羽鯛たかのはだい

「あ、そうか。生き物の名前がそのまま使われてるんだ。じゃあ、龍もあるの?」

「あるが、忌み名だ。人間だけでなく、俺らも永遠に使わんと思う」

「そうだよねえ……」


 乱暴な龍神のとばっちりを食ってたのは、わたしたち人間だけじゃなかったってことか。考え込んでいたら、タロがにじり寄ってきた。


「そういうことで、俺の嫁に……」

「話が別っ!」

「む」

「タロ、おすわりっ!」


 さすが、犬。主人ぽい命令には逆らえないらしい。タロは、わたしの前にすたっと正座した。わたしもきちんと正座して、膝詰めの形にする。なにより先に、タロには現代の社会常識というものを叩き込んでおかなければならない。理論体系をわたし側に持ってきておかないと、ここを出る理屈が通らないからね。


「ねえ、タロ。今は、龍神がのさばってた頃と時代が違うの。いろいろと社会的な制約てのがあるわけよ」

「なんだ、そのしゃかいてきせいやくというのは」

「あんた方は、ここを共同統治してるわけでしょ?」

「そういうことになるな」

「当然、個人領域の確保とか、お互いにどう仲良くするかとか、いろいろ取り決めがあるわけじゃん」

「確かにそうだ」

「ここだけじゃなくて、わたしたちのところにもそういう取り決めがいっぱいあるのよ。たとえばね」

「ああ」

「今の日本の法律では、女性が結婚できるのは十六歳から。でも成人するまでは、結婚に親の同意が必要なの」

「し、しらなかった」


 呆然とするタロ。まあねえ。古代ではそんなこと誰も気にしなかったんでしょ。古文で習ったけど、十歳で結婚させられるなんて話もあったみたいだし。ひどい話よね。


「わたしは十六になったから一応結婚できるけど、親の同意が必要なわけね」

「ううむ。そうだったのか……」


 神家の空間の中では、本来わたしたちの常識なんか一切通用しないと思う。でも、性格が単純そうなタロはそれに気づいてない。しめしめ。


「ともかくね。嫁取りの第一歩は、わたしや親に男としての甲斐性見せることだと思うよ」

「かいしょう?」

「そう。タロは、もしわたしを奥さんにしたら何をくれるの?」

「う……」


 そう来たのかって感じで、タロがのけぞった。


「だいたいさあ、古代から今に至るまで、男は女に一生懸命奉仕やら貢物やらをして口説いてきたわけでしょ? 女に生贄だって脅迫するようなやつは、龍神と同じじゃん。そんな男を夫にしたいと思う?」

「うう……」

「稼ぎもない。将来設計もない。いやいや、それのずーっと前にさあ」


 タロの顔の前に指を突きつける。


「あんた、わたしのどこが好きなわけ?」

「……」

「論外だよっ!」


 わたしが全力でどやしたこと。それは、言い逃がれようがない正論だと思う。わたしじゃなくたって、みんな同じことを言うでしょ。だってタロがわたしをどう思っていて、どうしたいのか、わたしには一つもわからないんだもん。


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