峠の主 3


 ありがとうございましたー、という店員のあいさつを背に、社と琥珀はコンビニから並んで出てきた。

 既に、時間は夜――というより、深夜。この辺りは山も近く、民家もぽつ、ぽつと、まるで疫病の感染を恐れて離れているかのように点々としか建っていない。

 街灯だけが、何か義務感でも感じているかのように夜の闇に反抗していた。


「ほら」

 コンビニで買ってきた二本の缶コーヒー。その内の一本を、社は琥珀に向かって投げ渡す。

 琥珀はそれを受け取って、タブを開けた。

「おっと、さんきゅー……死ぬほど立ち読みしちゃったヤンマガも買ってくるべきだったかな?」

「まぁ、そこは買えよ……」


 社が思い返すに、琥珀は確かに、がっつり全編、グラビアまで読んでいた気がする。立ち読みというレベルではない。

 少し早く来すぎていたのは確かだが、あからさまに長居しすぎた。コンビニの店員の白い目に、何も感じないほど、社は無感情ではない。


 そして、感じた上で、まぁそれはそれ――と、流せるのが、琥珀なのであった。

 少し駐車場を歩いた先に、奈美川から借りた車が止めてある。

 闇夜に溶け込むような、黒いセダンの乗用車。そこまで新しいというわけではないが、壊しても構わないものを、という要望を満たしたとなれば、仕方ないところだろう。


 社が鍵を使って、乗用車のロックを遠隔で開ける。すると、そそくさと琥珀が前に出て、運転席側のドアに手をかけた。

「いや、ダメだぞ」

「えー、私も峠でバトルしたいー。ドリフト野郎になろう! したいー」

「捕まるわ」

「ちぇー」


 口を尖らせて、琥珀は助手席に回って、そちらから車に乗り込む。

 はぁ――と、頭に手をやってから、社は運転席から、自動車に乗り込んだ。

「さて、行くか……峠を攻めに!」


 シートベルトを締めた琥珀は、妙に楽しそうに言う。

「なんでそんなに楽しそうなんだ、お前は」

「いや、そりゃテンションも上がるだろう? 峠でバトルだぞ? ゲーセンでしかやったことないぞ、そんなもの。私も掟破りの地元走りを見せたかったなー」


「お前なぁ……」

「テンションが上がらないなら、運転を代わるぞ?」

「それだけはない」

 そんな事を言いながら、社はキーを回す。


 車が嘶き、排気ガスを噴き出し始めた。

 社はゆっくりとアクセルを踏んで、車を動かす。コンビニの前には横一直線の道路が有る。そこを左に出ていって、ある程度道なりに。

 左に、右にとゆったりとしたカーブに従い、陸橋の下を潜る。対抗車両は無く、ハイビームが照らすのは、黒い道路だけだった。


 それはさながら、無人の荒野を行くがごとく。暗い背景はスピード感に対する意識を緩くさせ、必然、車の速度は上がっていく。

 常とは違う、有る種の爽快感と開放感。何も、自分を縛っていないという、感覚。


 なるほど、これが、夜に車を走らせたくなる理由なのかもしれない――と、社は少しばかり、峠で車を走らせる者たちへと、共感を寄せる。

「おいおい、社? 次の十字路を左だぞ? まさか忘れたわけじゃないだろうな?」

「分かっている」


 ぶっきらぼうに琥珀へと返したのは、半ばその事を失念していたからだ。言われなければ、通り過ぎていたかもしれない。

 とにかく、十字路が見えてきた。ブレーキを踏み、ハンドルを切って、左へ。

 入り込んだ道は狭く、曲がりくねっている。


 一応の人里、と言った雰囲気を備えていた先までの道路と違い、申し訳程度のガードレールの外には、草が生い茂っていた。

 ここが峠の入り口。

 この先はどうなっていることやら。考えてみても仕方がない。

 社はアクセルを踏んで、その内側へと、侵入していった。


 そして一歩踏み入れた瞬間だった。

「おっと……」

 琥珀が声を漏らした。

 無理もない――と、社は思う。何せ、峠は車で踏み込んだ瞬間には、異界と化したからだ。


「どうやら、もう勝負は始まっているらしいぞ、社」

 言う琥珀は、例によって愉快そうだ。

「さて、乗ってやろうじゃないか」

 社はそう言うと、アクセルを踏んだ。


 峠道は当然のことながら、入り口は登り、山頂を経由してからは下り、ということになる。

「確か、朧車の目撃証言は、全件ダウンヒルになってるな」

「ダウン、ヒル?」

「なんだそんな事も知らないのかー?」

 妙に得意げな琥珀の顔をバックミラーで社は確認した。


「で、なんだ、ダウンヒルってのは」

「単純な話、峠の下り道の事だよ。登りはクライムヒルな」

「本当にそのままだな」


 琥珀の言う通りなら、まずは峠を登りきる必要がある。たしかこの峠の最上部には駐車場があった筈なので、まずはそこまで行くべきだろう。

 手早く車を操り、カーブを曲がり、頂上を目指していく。


「グリップ走行も良い所だな、社」

「いや、普通に運転してるつもりなんだが」

「普通に運転しかしてないってことだよ。攻めっけが足りてないぜ?」

「そんな事言われても困るんだがな……」


 日常的に車を乗り回しているわけではない社からしたら、普通以上の速度で峠を走らせている時点で、ある意味攻めているようなものなのだが。

 どうにも、その程度では琥珀は満足しないらしい。

 呟くように、社は言う。


「これ以上の速度だと、事故るぞ。周りも暗いし」

「そうやって逃げの姿勢だからダメなんだぞ、社」

「俺は安全運転が信条なんだよ、本来」

「今このときだけでも、そんな信条は捨てるべきだぞ。どうせ異界だ、誰もお前を捕まえられやしないんだ」


「そういう問題でもないだろう」

 はぁ、と溜め息は吐きながら、社はアクセルを踏み込んだ。

 暗闇を切り裂き、両脇を走る街灯を後方へと吹き飛ばしながら、二人は山頂を目指す。

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