第10話 日課

 天気が良くても悪くても、雨戸を閉ざした部屋は朝から薄暗く、壁もドアも、棚に並んだ様々な収集物も、隙間から差し込む鈍い光にぼんやりと照らされて黄色く、まるで夢の続きか記憶の中にいるみたいだけれど、朝の日課をこなすためにはそのまま微睡まどろんでいるわけにもいかない。

 砂はもう、容赦なく家の中に入ってくるようになり、ベッドで体を起こすとシーツに積もった砂がしんしんと音を立てて流れ落ちるし、ベッド脇に置いたピッチャーから水を注ぐとグラスの中できらきらと舞うほどで、そのきらめきが底に落ち着くのを待って表層の水をそっと口にふくみ、細かい粒子のひっかかった喉をうるおすのが、いわば最初の日課だった。

 日によっては、ガラス窓を開けると同時に、一晩のうちに溜まった分がサッシのレールからどっと流れ落ちたり、雨戸を開けてみると一晩のうちに砂表面が窓枠ぎりぎりまで来ていたりする時もあり、そんなときには家の周りの砂かきをしなければならないのだけど、何をしたところで砂は押し寄せ続けるし、大きな嵐があと一回来れば、どのみちこの家も放棄しなければならなくなるはずだった。

 かつてこの住宅地にあった家々は、三年前、砂が来る前に県庁の指示で取り壊され、住民は去り、木々もみな枯れてしまったから、周りにはもう何もない。

 この家に残されているのも二階の二部屋ふたへやだけで、一階はもうすっかり砂に呑まれてしまい、階段も一番上の二、三段だけを残して埋もれ、その堆積の下に、かつて家族で過ごした居間や、寝起きしていた和室や、キッチンや風呂場や玄関などがおそらくそのままの形で残っているのだけれど、仮に掘り出したところで、半日もしないうちにまた砂が流れ込んでくるに違いなかった。

 それでもこうしてひとりで留まることが認められているのは、ここが県によって地区の監砂台として認定されているおかげだから、もともと自分の家とはいえ、住み続ける以上は監砂員として日々の務めを果たさなければならない。

 パンとチーズやハムなどの朝食を済ませたあと防砂服に着替え、窓枠をまたぎ越えて砂の上に足を踏み出すと、長靴は一気に足首まで沈むが、その下のもう少ししっかりした層に体重を支えられながら、大きな歩幅で家の周りを歩き、まず砂位計を――といっても長い杭に目盛りが刻まれただけのものだが――見て砂の高さを記録し、それから風向風速計の記録紙を回収し、空中砂量計のフィルターについた砂をケースに集め、これは持ち帰って後で天秤ばかりで計量する。

 観測業務の他にも日課はあり、鉄パイプを組んだやぐらに登って水タンクの残量を確認し、配管の水漏れもチェックしてから、また窓から家の中に戻り、物置部屋の食料やガスボンベなどの在庫とバッテリーの電圧を確かめておかないといけない。県の連絡員が二週間に一回来てくれるとはいえ、数キロ四方に他の人間が一人も住んでいないこの砂の広がりの真ん中で、嵐が続けば孤立してしまうし、備蓄が切れると困ったことになる。

 天候の悪い日は、そこまでで日課は終わり、連絡員が来ない限り誰とも会うことはないし、ラジオ放送も去年突然途絶えたきりだから、あとは部屋にこもって家事や読書や収集物の整理で過ごすほかない。

 電気は貴重だから、真っ暗になるまで待ってから、照明のスイッチを入れるのだけど、電灯はひとつだけ、遭難者や旅人に監砂台の位置を示すために、水タンクを置いた鉄塔の上にあって四方を照らしており、家の中には窓から差し込んで来るだけだから、夜は窓辺に座って水の入ったピッチャーをテーブルに置き、そこで食事を取り、本を読み、時には電気のいらないプレイヤーでレコードを聞いたり、収集物のひとつを選んで、たとえば時計だったり、陶器のかけらだったり、すり減ったおもちゃの指輪だったり、透き通るほど薄くなった女生徒の制服だったりを調べながら過ごし、そして深夜になると雨戸を閉じてベッドに入るのだ。

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