1-4 脱走


     ◆


 ニールがなけなしの金で小型ジェットをチャーターし、二人で秘密裏にペルーに入国する。民間の秘密空港で、管制塔がある以外はただの平地だ。舗装もされていない。

 短いタラップを降りると、そこで目当ての女が待っていた。

「久しぶりだな、ユキ」

 彼女、ユキは不機嫌そうに歩み寄ってきて、俺が握手を求めるそぶりをすると、そっけなく俺の手を取った。

 俺の後に降りてきたニールは、嬉しそうに笑ってやはり握手をした。

「あんたたちが組むとろくなことがないわよね」

 いきなりそう切り出す彼女に、俺とニールは視線を交わして、

「お前が関わってもろくなことにならんよ」

 と、俺が代表して口にした。ますます不機嫌そうになるユキに、もう一度、ニールが手を差し出す。

「俺たちが預けた金を持っているよな? そうだろ?」

 ハァーっと息を吐き、腰に手を当てて、彼女がニールを睨みつける。

「百万ドルをいきなり私の口座に放り込まないでよ。それも違法に手に入れたお金を。私のところに警察が来て、やり過ごすのに苦労したわ。幸運にもブラックリストに載っちゃったしね」

「その件はこちらのリライターの発想だ」

 そうだと思ったわ、と今度はこちらを睨みつけるユキ。

 仕事が失敗する寸前、俺は手元にあった資金の一部を、マックス・コード社の南米支店の口座に強引に送りつけた。そこのアドレスから密告があったと、わかったからだ。

 俺も彼女を見た。

「元はといえばユキ、お前が国連に密告したのが悪い。仕事の邪魔をしたから、そのツケを払わせたんだ」

「自分の足元でことが起こっているのに何も知らない彼らが哀れだったからよ」

「素晴らしく高潔な精神の持ち主だな」

 ほら、とニールが手を動かすと、渋々という感じでユキは彼の手に小さなデータカードを手渡す。ニールの顔がほころんだ。

「で、ユキはこのまま帰るの?」

「まさか、マックス社長はカンカンに沸騰して、もう手に負えないわ。私も逃げる。そのジェット機に一緒に乗ってもいいかしら?」

 良いザマだ、と危うく言いそうになる俺をよそに、ニールがユキをタラップの方へ丁寧に案内していく。

 三人で乗り込み、離陸が始まる。あまりに機体が振動するので、足が折れるのではないかと不安になった。それでもふわりと機体は宙に浮き、雲の向こうは空だけになった。

「さて、どれくらいあるのかな」

 三人でシートに横一列に座った状態で、真ん中の席のニールが受け取ったばかりのデータカードに指を当てる。小型の接触端子から情報を読み取っている。

 ユキが窓の外を見て、動かない。

 嫌な予感がした。

「おい、エドワード、ちょっといいか?」

 ニールが不思議そうに言う。

「お前、いくらをマックス・コード社の口座に放り込んだ?」

「百二十万だ。きっちりな」

 おいおい、と呟いて、ニールがカードを俺に手渡す。不審に思いつつ、俺の指が接触端子に触れる。

 カードに入っている電子マネーは、二百万を超えている。

「おい、ユキ」まだ女は窓の外を見ている。「もしかしてマックス・コードの金を掠めてきたのか?」

「悪い?」

 堂々とこちらを振り返ったユキは、ふてぶてしい笑みを見せていた。

「そこに追加しておいたお金はマックス社長の秘密資産の一部よ。だから会社はダメージを負わないし、報道もされないし、もちろん警察も動かない。まぁ、マックス社長は殺すつもりで追ってくるでしょうけど」

 物騒じゃないか……。

 それなら警察に追われるほうがマシだ。

「ま、こうなったら仕方ない」

 あっさりと気持ちを切り替えたらしいニールがニコニコとを俺とユキを交互に見る。

「どこかに逃げて、面白おかしく暮すとしよう」

「俺はこれでも当局の監視官との面談が、月に一回は最低でもあるんだがな」

 思わず口にした自分の言葉が、なんとも虚しく響いた。

 俺が本当に自由になる日はだいぶ先になりそうだ。

 急にニールがユキの手を掴み、次に俺の手を掴んだ。

 そして三人の手が重ねられ、グッと力が込められた。

「エドワードは仮出所だが、こうしてまた仕事を始めた。ユキも戻ってきた。そして俺も楽しい。また前みたいに、非合法に稼ぎまくろうぜ」

 私は堅気でいたいのよ、とユキがぼやくが、俺も同意見だった。

 もっとも、同意見ならマインド・コンテンツ・インターフェイスを再活性化させるわけもないのだから、人間とはつくづく、矛盾した生き物だな。まぁ、俺の心が弱い、という指摘は甘んじて受けるとしよう。

「それで、これからどこへ行くの?」

「メキシコで給油して、とりあえずはアメリカに戻る」ニールがまだ三人の手を重ねたまま、そう言った。「エドワードが大人しくしているっていう偽装工作をしなくちゃいけない。そのあとは、まぁ、決まっちゃいない」

「無計画だこと」

「だからこそ面白いのさ」

 ニールがそう言って、俺たちの手をやっと放した。俺もユキもさっと手を引っ込める。

 ユキはまた窓の外を見ている。俺も反対側の窓から、外を見た。

 雲の中に入って、見晴らしは良くない。そのどことなく不鮮明な空が、俺たちのこれからを示しているような気がした。

 はっきり見えない道を、ただ進む。

 合法、非合法、何も構わずに、生きていく。

 軛を抜けることと同時に、常に鎖がそんな俺たちを縛るために、行く先で待ち構えているわけだ。

 でも慣れているじゃないか、と不意に思った。

 そう慣れているのだ。

 俺はリライターで、犯罪者で、それをやめられない。

 なら走れるだけ、走ろう。

 不意に視線を感じ、そちらを見た。いつの間にかニールは眠りこけている。

 彼の向こうからユキはこちらを見ていた。

「一応、言っておくわ」

 何を言うのか、身構える俺に、美貌を柔らかく綻ばせ、ユキが言った。

「お帰りなさい、エドワード。最高のリライター」

 どう答えるべきかわからなくて、少し黙ってしまった。

 でも答えるべき言葉なんて、一つしかない。

「ただいま」

 うん、と頷いて、ユキがまた窓の向こうに目をやったので、俺もさっきと同じように窓の向こうを見た。

 雲を抜け、今度は抜けるような青空がいっぱいに見えた。下には雲が白い草原のように広がっていた。

 お帰りなさい。ただいま。

 そうか、俺は帰ってきた。

 また世界に、解き放たれた。

 やってやろうじゃないか。

 俺は青空を見ながら、マインド・コンテンツ・インターフェイスを活性化させ、無線で情報ネットワークに接続した。

 遥か彼方まで、無数の信号がやりとりされているのを意識して、そこに俺は故郷を幻視した。

 雲の海の上の自分と、情報の海を眺める自分。

 二人の自分の中で、熱が蘇るのを、俺は確かに感じた。




(第1話 了)

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