第29話 貴族の怒りを買う

 ──バカ‼


 思わぬカイの行動に、私は勿論、ブルジンやエメーラも咄嗟にそんな言葉しか浮かばなかった。

 庶民が貴族に対し些細な無礼を働くだけでも罰せられることは珍しくもない。前世でもそうだったし、この世界では特にそうだ。貴族の私達庶民に対する冷遇を見てもそれは明らかだろう。貴族は絶対的な立場で、庶民は家畜以下の扱いを受ける世界なのだ。

 その庶民が貴族に対して反抗的な言動を働けば、どうなるかは火を見るよりも明らかである。

 カイは今まさに、踏んではいけない魔物の尾を自ら進んで踏んだことになるのだ。

 運が良ければ投獄の後に奴隷に落とされ、悪ければ処刑、もっとも気分次第では、この場で殺されてもおかしくない状況なのである。

 「バカ」という言葉しか思いつかないではないか。


 私達5班の全員には、貴族という人種の事も話している。

 魔法という言葉を発しただけで貴族から罰則を受ける世界なのだから、貴族に対してそれなりの知識を植え付けておかなければならないと考えたからだ。

 幸いカイは魔法という言葉を知らないように発言していたが、今そんなことは些細なことでしかない。貴族へ反抗的な態度を取ったことは、厳罰に値するのだ。


 貴族とはやむを得ない場合を除いて接触を極力避ける事。

 もしやむを得ず貴族と接触した場合は、なるべく穏便に、低姿勢で接する事。

 魔力、魔法という言葉をむやみに人前で使わない事。貴族に知れたら殺される。

 ふいに貴族と邂逅した場合、言葉を発してはいけない。もちろん反抗的態度もとるべきではない。逃げられる状況なら即座に貴族の前から離脱する事。

 貴族は恐ろしい、絶対に近づくな。


 そう指導していたのだが、貴族を知らない農村の子供達には、そこまでの危機感がなかったのかもしれない。それに今初めて見たヴェルゼルディを貴族と思えなかったのだろう。服装以外、見た目は少年なのだから。

 確かに私達より歳は上なのだろうが、ヴェルゼルディはまだまだ子供である。そんな子供が貴族だと子供達が考えるのは難しいのかもしれない。


 それでもカイには、口を酸っぱくして貴族とはこういうものだと諭してきたつもりである。それにブルジンやエメーラの彼に対する態度を見て、子供であろうが身分が違うと理解できなかったのだろうか。

 ああ、終わったな……と半ば諦めの心境に私が陥っていると、不意に小さな声が聞こえてきた。


「……と、トーリ……?」

「……?」


 言葉が発せられた方を見ると、そこにはヴェルゼルディの侍女の姿があった。

 侍女は私と目が合うと、ハッとしたように瞳を見開いた。


「──トーリ‼」

「……?」


 彼女は私の名を強く叫んだ。それは間違いなく私の名だった。

 先程まで無表情というよりも、少し陰鬱としながらヴェルゼルディの陰に隠れるように付き従っていた侍女の表情が、パッと華やいだ笑顔を見せた。

 彼女がなぜ私の名を笑顔で呼ぶのか。私は疑問に思いながらじっと彼女の顔を観察するが、喉まで出かかっているのだがその表情から何かを思い出すまでには至らなかった。

 緊張感を孕んだ空気だった作業室が、一瞬弛緩したかと思われた次の瞬間──パン! という音でまた険悪な空気が戻る。


「トーリが誰だか知らんが俺様の許しなく勝手な発言はゆるさん! 黙っていろ‼」


 ヴェルゼルディは侍女に平手打ちをしそう言い放つ。

 頬を打たれた侍女は、赤くなった頬を押さえながら『も、申し訳ございませんでした、ご主人様……』と深々と頭を下げ非礼を詫びた。

 ヴェルゼルディはその謝罪に満足した風もなく、フンと鼻を鳴らし再度カイへと視線を戻す。


「おいそこのゴミ屑。ゴミの分際で俺様に意見するとは、なかなか面白い奴だ」

「俺様はゴミじゃねえ、カイだ!」

「カイだと? ふざけたことを言うな。お前らゴミには名などない。お前らの胸に書かれた番号がお前らゴミの呼び名だ」

「なんだとこの野郎!」

「カイやめろ!」

「止めるなトーリ、あの野郎俺様達の事をゴミ呼ばわりしてるんだぞ? 許せねえ‼」


 相手が悪いとカイを止めようとしたが、カイは余計火が付いたように食って掛かる。


「許せないのは俺様の方だ! 一番許せないのは、伯爵家の俺様以外にゴミ屑のお前が俺様ということだ‼」


 ──そこかよ! 

 思わず突っ込んでしまいそうになるが心の中でとどめた。俺様と言っていいのは自分だけだ、そんなちびくさい理由が一番許せないとか理解に苦しむ。なんなんだよこいつ……カイに負けず劣らずの思考回路をしているのか?


「許せん。俺様の魔法でここにいるゴミ屑全員焼却してくれる!」


 ヴェルゼルディはそう言うと我々、特にカイへ向けて掌を翳す。

 ヤバい! ヴェルゼルディは炎系の魔法を撃ちだす積りだ。カイの行動でこの作業室全体が連帯責任とされそうである。


「みんな、黒板の方に逃げて‼」


 私は咄嗟にそう叫ぶ。

 焼却する、と言っているので、ヴェルゼルディは炎系の魔法を使ってくるのだろう。

 作業室の全員が私の指示のもと黒板の方へと移動する。カイも私の慌てた指示で何が始まろうとしているのか理解したらしく、皆と一緒に黒板の方へと移動を始めた。


「おいゴミ屑共動くな‼」


 ヴェルゼルディは掌を向け魔法を発動しようとしているが、全員が移動してしまった事で、狙いを定め直している。

 私はその挙動に少し疑問が過る。

 その言葉を聞き、カイは皆と固まることはせず一歩前に出、ヴェルゼルディに対して一人対峙する形になった。


「うるせえ! まほう、ってーのがなにかは知らないが、俺様が皆を守る!」

「黙れ、静かにしろ! 集中できんではないか‼」


 カイがヴェルゼルディに向け威勢を放つが、それに対しヴェルゼルディは、苛立たし気に集中できないと言った。

 その後ぶつぶつと何かを呟きながら、必死に目を閉じている。

 どれだけ途轍もない魔法を唱えるのだろうか、と警戒するまでもなかった。それは違和感でもなく、純然たる真実として目の前にいる。


 貴族は魔法を使える、と数少ない情報からそう判断していた。しかしその魔法がどれくらいの規模かは予想できていない。

 前世では、ほとんどの人が魔法を使えていたので、統計など取ったことはなかったが、貴族だからといって魔法が優秀だったという記憶はない。むしろ平民の方が魔法の得意な者が多かった気がする。

 貴族でも稀に魔法の優秀な家系もあったが、それは魔導師として国に仕える者達がほとんどだった。その他の貴族には、最低限の生活魔法すら使えない者もいたのだ。

 当然と言えば当然だ。ほとんどの貴族は国の内政に携わる者が多い中、魔法を使う事など他人に任せてしまえばいいという考えがその時代の趨勢だったのである。

 自ら煩わしい魔法など使わずとも、平民の魔導師を雇えばよかったのだから。

 平民であればほとんどの者が生活魔法なら使えた。少し訓練すれば中級程度の魔法を使える者なのどざらにいたのだ。そして魔法を覚え始めるのは6歳ぐらいから。素養がある者ならば、10歳ぐらいには中級魔法すら操るようになるのである。

 そのような者達は、魔法を生業にして生きていた。まるで息をするかのように魔法を発動し、国の為、民の為に魔法を使っていたのだ。


 それを鑑みると、目の前のヴェルゼルディは、まるで魔法を習い始めたばかりの子供のようだった。集中しなければ魔法が発動しない。狙いを定めなければ魔法を当てることもできない。なにより魔力の量がそこまで多いように感じられないのだ。

 まさにど素人そのものである。


「おやめくださいヴェルゼルディ様!」

「ここにいる子供達を傷つけてしまうと、王都へ送る子供がいなくなってっしまいます!」


 ヴェルゼルディがぶつぶつと魔法を紡いでいると、エメーラとブルジン指導員が間に割って入りヴェルゼルディを止めようとする。


「やかましい! 貴族に楯突く者など不要だ! たかがゴミ屑を殺してしまっても、王ならば快く許諾してくださるだろう。それよりも邪魔をするな! 集中が途切れてしまったではないか‼」


 二人はヴェルゼルディに睨まれ、貴族の権威を否応なしに浴びせられた。

 これ以上ヴェルゼルディを怒らせるわけにもいかない。これ以上怒らせたら、この施設ごと罰を受けかねない。二人はそう考えたのだろう。故に黙する事しかできないようだ。

 しかし、ヴェルゼルディの魔法の程度もおおよそ理解できた。会話程度で集中を途切れさせる魔導師など戦場には出ることはできない。その程度なのだろう。


 ぶつぶつと魔法を紡ぐヴェルゼルディ。魔法を知らない子供達は、今いったい何が始まろうとしているのか訳が分かっていない。ただ目の前にいるヴェルゼルディが偉い人だという事は、この数週間で教育を受けているのでなんとなく分かるのだろう。みなおとなしく成り行きを窺っている。

 我が5班だけは魔法の事を知っているし、どのような魔法があるのか多少はレクチャーしている。光源魔法は勿論、炎や水、風や土等の魔法も参考に見せているので、これから何が起こるのか少しは理解しているようだ。

 ヴェルゼルディの魔法を、固唾を飲んで見守る。ごくりと唾を飲み込む音が聞こえそうなほどに、作業室は静かで重い空気が席巻した。

 集中しぶつぶつと魔法を紡ぐヴェルゼルディ。


 ──な、長い……。


 あまりにも長い魔法の発動に、私は辟易としてしまう。

 この間合いで、これだけ長く集中しなければ魔法を発動できないのであれば、あっさりと斬り殺されてしまうではないか。斬り殺されなくとも殴り殺せる程に無防備な状態である。

 どれだけ大規模な魔法でも、これだけ長い時間はかからない。というか掛けられない。戦場で無防備になることは、それ即ち死に直結してしまうからだ。

 やむを得ず時間がかかりそうな魔法を使う場合は、それなりに周囲を味方で固め、守ってもらうことが鉄則である。

 今ならカイにですら殴り倒せるほどの無防備さだ。

 そしてしばらく待っていると、


「──喰らえ‼」


 ボッ! とヴェルゼルディの掌から炎が出現した。



 そして戦々恐々としている我々に向かって、その炎が放たれるのであった。

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