第10話 農民の子、売られる

 私の目的、それはのんびりとした人生を送ること。


 そう言ってしまえば、お前は馬鹿だろう、と言われることが前世でもままあった。

 特に師匠からは、こっぴどくどやされたものだ。『何もできない奴が贅沢言ってる場合か! 少しは世間様に恥ずかしくないように、手に職つけて仕事でも何でもしな。のんびりしたいなら今すぐ出て行け! またふらふらと放浪孤児にでも戻るんだな! この馬鹿弟子が‼』などと酷い言われようだった。


 師匠に拾われた時の私は、孤児で今にも死にそうな、ボロボロの状態だったらしい。

 拾われる前の事は余り思い出したくない。というよりも、その頃の記憶が混濁していて思い出せないと言ってもいい。ただその記憶があるから、漠然とのんびりと生きたい、と考えていたのかもしれない。


 しかし私の中で、それは確固たる信念として宿っている。元来怠け者の私は、師匠に魔法を教わってからも、あくせく働きお金儲けをしたいなどとは少しも考えなかった。お金は困らない程度あればいいし、自給自足でもいい。のんびりと日向ぼっこをし、読書をし、時には釣りなどをして人生を過ごせたらなんと幸せだろうかと。

 物量的豊かさよりも、心の豊かさや平穏を望む。ただそれだけなのだ。


 ただ、そののんびり人生にも条件がある。これも師匠から教わったことだ。

 私がのんびり生活をするにあたり、最も重要視するのは、私の周りが平和であること。それに尽きる。

 私の近くで人々が貧困に喘ぎ、または戦乱が人々を苦しめている。そんな状況で、どうやってのんびりと生活することができようか。答えは否、である。そんな状況で心豊かに暮らせるわけがないのだ。

 怠けたい一心でどこかの森の奥でひっそりのんびりと暮らすことはできる。ただ自分だけ良ければいい、他人の不幸など自分には関係ない。そう言ってしまえばそれまでだが、私はそれができない性格なのだ。というよりも、そんな性格になったと言うべきだろう。

 戦争で師匠を亡くしてしまってから私はそう考えるようになった。一番身近で大切な人が死んでしまうような戦争がある混沌とした世界で、私はのんびりと暮らすことはできない。そう思ったのだ。


 隣の家が火事になって、自分の家は不燃材で建てた建物だからと言って、平然としてふんぞり返っていられる隣人ではないのである。火に巻かれそうな隣人がいれば助けたいし、家が燃えて生活に困るのであれば新しく家を建てるお手伝いもする。

 心静かに過ごすためには、周りの人達も幸福でなければならない。それが私の信条なのだ。


 前世では、その一歩手前まで来ていたのだが、運悪く私は毒殺されてしまった。

 目の前まできていたのんびりとできる人生が、一瞬で崩れ去ったのだ。

 そして私は転生魔法を成功させ、新しい人生を手に入れることができた。ここから私の人生再出発が始まる。

 そんな矢先知った現実は、途方もない苦労が待ち受けている世界だった。




 寒村農家の夫婦の子供として生まれた私は、極貧生活の中しぶとく生き延びている。

 そして6歳を迎えた。

 それは私が人買いに買われてゆく年齢になった、という事だ。


 今日は朝から村の空気が重苦しい。毎年この時期になると空気が重く感じられる。2歳までは気にも留めていなかったのだが、二番目の兄カーズが人買いに買われていったのを境に、この重苦しい空気が分かるようになった。

 農村の各家の親たちも、我が子を売りに出してまで生活する現状に、慣れることはできないようだ。

 我が子をお金に換える悲しみを乗り越え、家族が生きる道を選ぶ。それが当然であるかのように連綿と続いて行くのだろうか。

 それは間違っている、と簡単には言えない。もしも子供を売りに出さなければ生活も立ち行かなくなる現状であるならば、それは仕方のないことなのかもしれない。

 この農村の仕組みが間違ってはいないと思う。そうしなければ生きていけないというのならば、そうせざるを得ないのだから。

 間違っているのはこの領地、国の仕組みそのものなのだろう。


 ここで仲良くなった兵士の話では、元々この身売りも国や領主が命令したことだという。子供を身売りしなければ生活できないような重い課税をし、若い夫婦に率先して子作りをさせ、生まれた子供は6歳で売りに出すシステムを作っていたらしい。

 なにもかにもが最初から仕組まれていたのだ。


 国や貴族たちは、いったいなにを考えているのだろうか。人を人とは思えぬ扱い、いや物のように扱う事が許されるのだろうか。これでは人々は奴隷以下の扱いでしかない。

 やり場のない怒りが私の中に生まれつつあった。


 身売りされた子供がどこに連れて行かれるのかさえ今は分からない。そしてそこでどんなことをさせられるのかも不明。今は分からないことだらけだ。

 だから私は覚悟した。この先どうなるのかは分からないが、この村を出て知ることはたくさんあるはずだ。そこでこの世界を自分の目で見、そして判断しよう、と。

 私に何が出来るか、何をすべきなのか、そこで判断しようと決断した。


 そうこうしていると村に人買いの馬車が入って来た。

 今回この村から出て行くのは、私を入れて3人の子供だ。4軒隣の女の子で名前はクリス。もう一人は村のはずれの方に住む男の子でカイという名前だ。

 二人とも面識はあるがそれぞれが貧しい農家、小さな子供とはいえ大事な働き手である。そんなに遊んでなどいられる余裕すらないので、数度しか話をしたことがない。


 クリスはおとなしい性格で、可愛らしい顔をしている。貧しい農家なので身なりこそみすぼらしいが、栗色の髪に栗色の瞳は愛らしさが際だっていた。このぶんだと人買いに高く買って貰えそうだ。

 逆にカイは乱暴者のようで、言葉遣いも荒々しい。つんつんに立てた短めの赤髪と吊り上がった灼眼は、気性をそのまま表しているようだ。私の見積もりでもそんな高く買ってもらえないだろうと値踏みする。

 ただ、私が生まれた時分に比べると、村も幾分食事情は改善されているので、そんなに痩せこけてはいない。それでも前世で私の知っている普通の同年代の子供に比べれば、栄養不足で成長が著しく遅いような気がする。健康的で溌溂とした子供には見えない。


 その点、我が家は幾らかましな方だ。月に2度ほどは鳥も食べていたし、土壌改良も進み作物も他の家の畑よりも収穫量が良い。

 作物は献上する物なので食べてはいけないのだが、そこは裏技的にクズ野菜を作ることで、家で消費できるように、私が長兄のリードに密かに教えてある。

 献上する作物の質が良くなり、かつ量的に前年度を割り込まなければ、徴税官のような奴も文句は言わない。実際収穫量も増えているので、納める量を確保できたならば、それ以外の作物は傷物にしてしまえばいいのだ。虫や鳥にやられてしまったように、巧妙に細工するのだ。

 麦なども同様に収穫量が増えているので、納める量だけは確保するように脱穀時に荒く脱穀すればいい。麦藁は内職で使うので、その麦藁に脱穀し損ねた麦が残っていたとしても、誰にも文句は言われない。冬の間その麦を回収して食料にする。

 芋なども年々収穫量が増えており、収穫したと見せかけ、実はまだ畑の中に埋めている。徴税官がいなくなってから再度土を掘り起こせばいいのだ。


 とにかく納める量だけしっかりと確保さえしていれば、多少の裏技で食料は確保できるというわけだ。少し頭を使えば色々とやれることはある。ただお腹を空かせているだけではダメなのだ。


 私がいなくなったら鶏肉ももう食べられなくなる。私がこの村を去った後、妹達に少しでもひもじい思いをして欲しくない。そう思って色々と長兄リードに教えたのだ。妹のリリーにも兄のリードを手伝うように言ってある。下の妹サリーはまだ赤子なので教えることはできなかった。

 土壌改良のための腐葉土づくりをし畑に撒く。本当は貝殻などあれば、もっと肥えた畑ができるのだが、近くに海がないのでそれは無理そうだった。鳥の骨を砕いて粉状にしたものや、融雪剤代わりに竈の灰などを畑に撒き、土壌を少しでも改良したのだ。

 村の敷地外の森での食料採集は禁止されているが、竈で使う薪や冬の暖房用の薪の採集だけは許可が出ている。数人の兵士と仲良くなったので、そこで腐葉土を集めることも密かに許可を得た。食べ物でなければ持ち込んでも構わないと言われていたので、色々と手段はある。

 茸の生えている倒木を持ち込むことだってできた。薪と偽って家の裏に密かにおいて置き、季節がくれば茸だって収穫できるのだ。敷地内で採れたものは食用にしていいのだから、何も問題がない。

 要は魔法さえ使わなければいいのだ。だから私は魔法を使えなくともできることは、だいたい教えておいた。

 後は兄のリードがうまくやってくれると、妹たちがひもじい思いをしなくて済む。頑張ってほしいものだ。


「トーリ……元気でね……」


 いよいよ人買いの馬車に乗り込むこととなり、母が瞳を潤ませてそう言ってくる。

 父は腕を組んだまま、憮然とした表情で母の後ろで立ち竦んでいた。何を言葉にしていいのか分からないといった感じだ。こんな時、男親は意外と情けないものだ。


「うん! どこに行くのか分からないけど、僕とても楽しみだよ‼」


 私は人買いに売られる心境など微塵も感じさせずに笑顔で返した。

 ここで泣くようでは両親に余計な悲しみを抱かせてしまう。明るい人生が待っているというささやかな嘘を信じていると装い、必死に涙をこらえている母への僅かばかりの気遣いだ。

 とはいえ、前世も合わせればもう50年ぐらい人生を歩んでいる私が、そうそう泣く訳がないではないか。一応今世の生みの親に対しての惜別に、多少の悲しみはあるが、それを見せないようにすることはできるのだ。


 馬車は貴族などが乗るような立派なものではなく、粗末な幌がついた荷馬車だった。荷台には席などなく、荷物と一緒に床に座る感じだ。

 私達売られてゆく3人の子供が荷台に乗り込むと、両親たちは人買いからお金を手渡されていた。

 いったいいくらで私が売れたのかは分からなかったが、そのお金をぎゅっと握りしめた手を胸に、母は静かに涙を流していた。


「大きくなってお金を稼いだら、絶対に帰って来るからね!」


 私の隣でクリスが荷台から身を乗り出し、彼女の両親に向けてそう叫んでいた。

 私はそれを聞いて小さく嘆息した。

 できれば私も両親にそんな言葉を掛けてあげたいと思っている。しかし、現実はそんな甘いものではない。

 この村から出て行った者が、再度この村に戻って来たことはこの6年間を見ても一度もないのだ。次兄のカーズや姉のマリーはまだ成人していないので、戻ってこられる状況ではないと思うが、仮に数十年間もこの人買いの風習が続いているのなら、大人になったこの村出身者が一人や二人戻ってきてもよさそうなものだ。

 だが村を出て行く子供はいても、村に帰ってくる者は誰もいない。

 推して知るべし、だろう。


 その後、別れを惜しむ言葉を受けながら、馬車は村を出発した。


 ──さようなら。達者で暮らしてください。


 私は胸の内でそう願いながら手を振った。

 私達を乗せた馬車は、ガタゴトと揺れながら、村から遠ざかってゆくのだった。



 この先私達3人がどこへ向かうのか、どんな試練が待ち受けているのか……それは神のみぞ知ることなのかもしれない……。

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