第2話 大賢者、毒を盛られる

 褒美を受け取ることを王に無事諦めてもらうことができ、次に祝勝会の宴へと移行した。


 城の大広間にはたくさんの貴族や、師団長クラスの軍人、それに此度の戦争で活躍した一般兵などが集められ、勝利の美酒に酔いしれている。武勲を挙げた兵士が声高らかに武勇伝を語り、貴族連中がその者に声をかけ、我が家に仕える気はないか? などと勧誘しているさまが見て取れる。

 腕の良い騎士がいれば貴族も安泰と言ったところだろう。正規兵でない者はそれが分かっているので、出世の為にこういう場を有意義に使うのだ。あわよくば王国軍の正規兵として城に登用してもらえれば大出世であろうし、貴族の家に勤めることも、いち平民からすれば大いに出世したと言えるのだろうから。

 でも、今回の戦争では前線で100人ほどつっ立っていただけだったはず。武勇伝なくない? と思うが、言わないでおく。


 私はそんな煌びやかな宴をよそに、会場の端の方で豪華な料理を皿に取ってきて、人目に付かないように静かに食べている。このような催しはあまり好きではない。サッサと食事を済ませて退出したいのだが、壇上にまだ王がいる間は退出すらできないでいた。

 観葉植物と観葉植物の間に挟まり、目立たないようにひっそりと食事を頂いていると、


「お師匠様、こんな植物の陰で何をしているのですか?」


 薄いピンク色の煌びやかなドレスを清楚に着こなし、輝くような金髪の頭にティアラを載せた少女に声を掛けられた。

 くりっとした大きな銀色の瞳を向け、頬にほっそりとした小さな手をあてがい、お淑やかに首を傾げている。


「あっ、これはこれは姫殿下、ご機嫌麗しく……」


 第五王女のメリンダ殿下だ。


「観葉植物の擬態ですか、お師匠様?」

「まあそんな所です……」


 メリンダ王女は、私が隠れながら食事をしているのを面白そうに見つめている。

 メリンダ王女は私の事を、お師匠様と呼ぶ。それは言葉通り、私がメリンダ王女へ魔法を教える立場にいたからに他ならない。私は師弟の関係と思っていないのだが、彼女はそう考えてはいないようで、自分は弟子なのです、と言って憚らないのである。

 メリンダ王女は、王の子供の中でも末っ子の12歳である。王族の中でも魔法の適性がずば抜けており、メリンダ王女が5歳の頃に、王へ魔法を教えてみてはどうですか、と私が進言したところ、『それであれば、其の方が教えてみてはどうだ?』と言われ──いや、命令され──渋々教育係を引き受ける羽目になってしまったのだった。


「それでは、わたくしも観葉植物としてご一緒致します」

「ははは……姫殿下、お戯れを」


 メリンダ王女はにっこりと微笑み、私の隣に体を割り込ませてくる。

 私は乾いた笑いで応える。メリンダ王女は美しすぎて、観葉植物にしては存在感が異様にありすぎる。これでは隠れている意味をなさない。


「お師匠様は、どうしてこんなところに隠れているのですか? 此度の立役者であるお師匠様を皆探しておられましたよ」


 それならばそっとして置いてほしいものだが、彼女は意に介していない。


「私はこのような催しが苦手なだけでして……それよりも、姫殿下はよろしいのですか? 皆挨拶しに来るのでは?」


 壇上では王やその一族に挨拶をする貴族の行列が途絶えることはない。その場にいなくてはいけない立場のメリンダ王女が、何故この場にいるのか。

 12歳ともなればそろそろ婚約できる年齢でもある。貴族連中は少しでも王との繋がりを欲し、我が息子を是非とも婚約者に、などと必死になって営業をかけてくるのだ。王族の血がその家にもたらされることになれば、家格も上がる。計算高い貴族は周到な計画を立て、地味に陰険な争奪戦を水面下で繰り広げているとかいないとか。


 そう言うとメリンダ王女は、はぁ、と小さく嫌そうなため息を吐きながら可愛く睨んでくる。

 誰のせいでそうなったとお思いですか? と、表情から読み取れる気がしたが、私には思うところはない。

 王が王女を妻に、と謁見の間で言っていたが、それは適齢期を迎えまだ嫁に出していない第3王女か第4王女の話だろうと私は考えている。弱冠12歳の第5王女のメリンダ殿下を、まさか嫁に出すわけもない。なんせメリンダ王女と私では、30以上も年齢が離れているのだから。とはいえ第3王女も第4王女でも、私より倍以上年齢は離れているのだが……。

 メリンダ王女は再度小さく溜息を吐き話し出す。


「わたくしもこのような催しはあまり好きではありません。できれば早くお師匠様と魔法のお勉強をしたいのですが、父上がお許し下さらなくて仕方なく……」

「そうですか。私と一緒ですね」

「ええ、お師匠様と一緒です」


 そう言うとメリンダ王女は、にっこりと嬉しそうに微笑んだ。

 私が一緒といったのは、この催しの事なのだが、メリンダ王女は何か含んだ笑顔だった。でも私にはその心情は測りかねる。


「でも姫殿下は、魔法の勉強などしなくとも、もう免許皆伝です。私が教えることはもうありませんよ」


 メリンダ王女は、私が睨んだ通り魔法の才能がずば抜けていた。

 彼女が5歳の頃から教えてきたが、教えることはあらかた教え終わった、というのが本音である。後はご自身で研鑽を積むべき域にまで達している、と考えているのだ。

 もう教えることは何もない。だからこそ私は今後この城を出て、のんびりと生きていこうと決めているのだ。弟子が未熟な内は、まだ教えることから離れられないのだから。


「わたくしなどまだまだです。お師匠様に教わるべきことがまだ沢山あります。免許皆伝など、お師匠様の域にまで達してもいないわたくしにはおこがましくなるほどです。お師匠様は、わたくしの遥か高みにある目標です」

「おやおや、ご謙遜がすきますね姫殿下」


 確かに今の私の域にまでとなると、彼女には後十数年はかかるかもしれない。

 自慢ではないが、大賢者と呼ばれている私に、魔法に関して敵う者などこの国にはいないと自負している。そこを目標にするのは結構だが、教えることはほぼ教え尽くしている。後は自身で研鑽、研究するなりして自分を高めてほしい、そう思う。

 なにより、私はこれ以上国に関わることはしないと決めているのだ。俗世から離れ、どこか田舎でひっそりと暮らすためだけに、残りの人生を使うと決めているのだから。

 師弟関係は破門する以外、お互い生きている間は切ることはできないが、これで卒業としてもいいのではないかと考えている。なにか教えを請いたいときには、メリンダ王女には居場所を教えようと思っているので、いつでも聞きに来てくれてもいいだろう。

 これからも師弟関係は続いてゆくのだから。今は亡き私の師と私がそうだったように。


「もぅ~卒業などとおっしゃらないで下さい。お師匠様はわたくしがお嫌いなのですか? わたくしはお師匠様の事を、これほどお慕いしているというのに……」


 メリンダ王女は、ぷくぅと頬を膨らませながらそう言った。

 確かに幼少の頃からメリンダ王女の家族である王や王妃と過ごすよりも、私と過ごしていた時間の方が長い。王や王妃は公務で忙しく、教育係として私と長い時間過ごしていたのだから、下手をすれば家族よりも私に懐いているといっていいのかもしれない。それだけ彼女は私のことを慕ってくれているのだ。

 まったく……こんな元来怠け者でうだつの上がらない私を慕ってくれるなど、なんて師匠冥利に尽きるのだろうか……。


 私が城を去った後は、メリンダ王女が次の賢者、いや、大賢者として国を豊かに導いてくれたらいい。私は自分の為にもそうなってくれることを切に願っている。


「ははは……──うぐっ‼」


 手に持った食事を食べながら苦笑いしていると、食べ物が喉に詰まる。


「あらっ! お師匠様、大丈夫ですか⁉ 今飲み物を貰ってきます!」


 胸を叩きながら苦しがっていると、メリンダ王女は心配そうな表情でパタパタと給仕の所へと駆けて行ゆく。

 ちょうど近くに周囲を覗いながら飲み物トレイを持った給仕がおり、彼女は急いで飲み物を要求している。私が喉を詰まらせていると分かると、給仕はハッとした表情で飲み物を選んでメリンダ王女に渡していた。

 メリンダ王女は、私用と思われるワインのグラスと、自分用のソフトドリンクが注がれたグラスを手に戻って来た。


「お師匠様! どうぞお飲みください」


 ワイングラスを私に差し出す。

 本来アルコールは余り嗜まないのだが、緊急事態なので私はそれを受け取り、口に運んだ。


「……うぐっ……ふう~……」


 苦しくて味など吟味できずに喉に流し込むと、喉に詰まっていた食べ物が胃へと押し流された。後味が若干苦いような感じがするワインだったが、急いで飲んだアルコールなのでそういうものだろうと思うことにした。


「よかった、喉元を過ぎたようですね」

「姫殿下、ありがとうございました──うぐっ‼」


 メリンダ王女に礼を述べた途端、喉元から胃へと、まるで熔けた鉄を流し込まれたような熱さが襲ってきた。

 持っていたワイングラスと食事が載った皿が手から落ち、床に落ちてパリンと砕ける。


「──お師匠様‼」

「──うぐっ!……ぐはっ‼」


 私の異変にメリンダ王女は狼狽し、床に食器の破片が散乱しているのにも構わずに、私の腕を掴もうとする。

 苦しい、息ができない。私はそのあまりにも苛烈な苦しみに床に膝を付く。

 胃や喉の灼けるような熱さは次第に強まり、こみ上げてくる胃の内容物を嘔吐する。苦しさでのたうち、次いで徐々に体が痺れてきた。


 ──くっ! ど、毒、か……。


 そう思った時にはもう遅かった。

 意識が朦朧とし始め、視界が霞んでくる。


「──お師匠様―‼」

「……」


 床に膝を付くメリンダ王女の泣き顔と、私を呼ぶ叫び声を最後に、私の意識は遠のいてゆく。



 私が最後に考えたことは、「──姫殿下、ドレスが私の吐瀉物で汚れてしまいますよ」だった。

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