第6話 帰りたかった場所

〈エルシャ、バルアダンへの贈り物を買う〉


 もうすぐ日が暮れそうになり、わたしとセトは家路を急ぐ。家ではツェルア母さんが美味しいごちそうを作って待ってくれているに違いない。そう、今日はわたしとセトが祝福を受けた、記念日でもあるからだ。

 そう言えば、バル兄にとっても記念日だ。クルケアンの誰もが憧れる飛竜騎士団への入隊が叶ったのだから。


「ねぇ、セト。バル兄へのお贈り物を買っていこうよ」

「それは大賛成だけどさ、財布がすっからかんなんだ。エル、手持ちある?」

「普段から無駄遣いするからよ。訓練生になることだし、大事な時のために節約することね」

「人のお金で屋台の食べ物を食べまくったのは誰だよ!」

 

 奢ってくれたのはセトの善意なので、わたしが要求したわけでもない。屋台の側で少し袖を引っ張っただけだし。とはいえ、素寒貧で可哀そうなセトのために、お金を貸してあげた。こういうのは二人のお小遣いで買ってこそ意味があるのだ。だから後日きっちりと取り立てることにする。

 わたしたちは立ち寄ったお店で小さな木彫りのフクロウを買った。闇や魔獣など恐ろしいものから守ってくれる神の御使いだという伝承もあり、騎士になるバル兄にふさわしい贈り物に思えた。


「お買い上げありがとう、嬢ちゃん、坊ちゃん」

「ふふっ、もうお嬢様じゃないわ。もう祝福を受けたから訓練生なの」

「おお、おめでとう、ではイルモートのご加護を」

「ありがとう、イルモートのご加護を!」


 店を出ると、セトが立ち止まってなにやらぶつぶつと呟いている。どうやらフクロウのお守りに祈っているらしい。


「ほら、さっきのおじさんにもしてあげたでしょ。バル兄にも何か御利益があればと思って」

「今度はどんな思いを込めているの?」

「フクロウにバル兄を守ってねって。ほら、いつも僕らは守られていたからさ」

「素敵ね、わたしも祈る!」


 夕日を背に祈るセトの前に立ち、フクロウを一緒に握ってお祈りをする。向かい合っているのでセトにお祈りをしているように感じて吹き出しそうになる。


 神様、御使い様、どうか、バル兄を守ってください……。

 二人でしばらくお祈りをしていると、やっぱりなんだかおかしくなって笑い出す。笑いすぎて目に涙が出てしまった。


「これだけ祈りを込めたんだもの。このフクロウはきっとバル兄を守ってくれるわ」


 そう言って顔を見上げた瞬間、沈む夕日を背にしたセトの目が赤く光っていた。


 驚いて、目を閉じて、

 ――落ち着いてから目を開ける。


 でも目の前には夕陽よりも赤いセトがいた。


「だめ、セト、はやくその赤光を抑えて!」


 幼い頃に灯台で光を発した時は周りに誰もいなかった。でも今は街中だ。早く何とかしないと、通報をされてセトが神殿に連れ去られてしまうかもしれない。

 セトの目からほとばしる光を、わたしの体で抑えつけようとして胸に掻き抱く。それでも隙間から光が漏れ出しているのを見て、わたしは叫び声を上げていた。


 その時、世界が青く光ったように思う。

 気付けば西に沈みかけていたはずの太陽が空の上にある。

 いや、それもまた東の方に沈み、夜が来たのだ。

 何度も何度も繰り返し、やがてわたしは炎に包まれている街にいた。

 煙の向こうに大神殿が見え、わたしはあたりを見渡した。


「ここはクルケアンなの? でも何か違うような……」


 そうだ、天まで高く届くあの大階段がない。中層から上は存在せず、大神殿の周りを取り囲むかのように壁があるばかりだ。夢か現実化と戸惑う中、兵士の声が聞こえてくる。その方向に目を向ければ、巨大な魔獣が街を破壊しながら暴れていた。


「そんな、魔獣がクルケアンを破壊しただなんて――」

「エリシェ、諦めるな!」


 いつの間にか隣にいた、黒い髪の青年が私の肩を揺さぶった。


「大神殿からラシャプの呪いが膨れ上がっている。あれを抑え込まない限り僕達に勝利はない」


 セトに似ているその人は、神官が使う権能杖を振り上げ、祝福の力を大神殿に向けて放出した。赤黒い光の膨張が僅かに抑えられ、兵達の歓声が上がる。


「エリシェ、しっかりしろ。東側を抑えてくれている王妃やオシール達の負担を少しでも減らすんだろう?」

「う……ん、そうよね、トゥグラト」


 トゥグラト?

 なぜわたしはその名を呼んでしまったのだろう。

 似ているならセトと呼べばいいのに、教皇様の名前を呼ぶなんて。

 色々とごちゃまぜにしたような光景を前にわたしは結論付ける。つまりはこれは夢で、自分の恐れや不安が作った幻なのだろう。これが夢ならば、目の前に迫った、戦斧を振り上げている恐ろしい巨人も幻であって欲しい。でも巨人の足が起こす地響きは家やわたし達を揺るがしていくのだ。そして巨人は皮肉気な目をわたし達に向けた。


「情けないことだ。ヒトの名で呼び合うまでに堕ちるとはな」

「ダゴン、やはり生きていたか」


 青年はわたしに呪いを抑え込むよう頼むと、権能杖を振るい巨人に向かって赤光の刃を放ったのだ。人のいないクルケアンの建物を粉砕していくその一撃は、しかし巨人の顎でかみ砕かれてしまう。


「ヒトの体で我に敵うと思うのか。せめて地下にある体を取り戻せば互角の戦いができたであろうに」

「ヒトの王に敗れたお前が何を言う。いいや、王がいなくなったからこそ、偉そうに吠えられるのだな」


 巨人が怒り、戦斧を振り下ろす。通りに巨大な陥没ができ、壊され舞い上がった石や煉瓦が雨のように降り注いだ。青年はわたしを飛礫からかばい膝をついてしまう。慌てて駆け寄りその体を抱きしめるも、石畳に大きな影ができていることに気付く。見上げると人の体ほどもある戦斧が頭上にあって、いやらしい笑顔を浮かべた巨人がいた。わたしの中の誰かが精神の中で悲鳴を上げる。


 あぁ、ここで死んでしまうの。

 王妃、アドニバルごめんなさい――。

 


「エリシェ様!」


 その時、飛竜に乗った騎士達が突撃槍を構えて巨人に飛び掛かった。飛竜騎士団が助けに来てくれたのだと喜ぶが、クルケアンの市民なら一目で分かる騎士団の鎧をつけていない。異国風の、どちらかといえば軽装の鎧を着ているのだ。そしてわたしは初めて聞く騎士団の名を叫んでいた。


「ハドルメ騎士団の皆さま、どうしてここへ? 王妃の護衛はどうしたのです」

「その王妃からの命令です。友人を守ってくれといわれまして。それに……」

「それに?」

「ギルアドの城では貴女の悪戯に大いに悩まされました。だからこれ以上悩まされぬよう、ここで大きな貸しを作っておこうと思いましてな」


 そうすればあと五十年は静かに暮らせるのだと騎士たちは笑う。そして槍も鎧も、竜でさえも血に塗れた騎士団は倒れた巨人に向かって再度突撃を行った。


「草原の蛮族共め、このダゴンを舐めるな!」

「ダゴン、トゥグラト殿とエリシェ様の邪魔はさせぬ!」


 竜の首が叩き潰され、騎士たちの腕が飛ぶ。槍を剣に持ち替え巨人に這い寄る騎士達は、その死と引き換えに巨人の足を串刺しにしていった。


「みんな、逃げて!」

「エリシェ様、そのお力を大神殿に……」


 大神殿からの赤光がはち切れんばかりに膨れ上がっていく。

 わたしは泣きながら、トゥグラトは悔しさに唇を噛みながら権能杖を振り上げた。巨大な呪いに吹き飛ばされそうになるのを必死で踏みとどまっていると、次第にその圧力が弱くなっていった。


「光が王妃のいる西側へ集まっている!」

「こちらへの力が弱まったのはそのせいか? このままじゃ王妃が――」


 その時、巨人が騎士達の死体を弾き飛ばして、戦斧を横薙ぎに払った。

 祝福の力で直撃は避けるものの、地面に叩きつけられ血の味が口の中に広がっていく。

 顔だけを上げて愛しい人を捜し求めると、その人はたった一人、巨人に向かって歩いていくのだ。呼び止めるわたしの声に青年は少しだけ振り返る。


「エリシェ、また会おうな」


 その人は傷だらけの顔でそう笑い、わたしは意識を失った。



「……エル、…エル!」

「うん、トゥグラト……」

「もう、何を寝ぼけているんだい。もしかして祝福の儀式で疲れちゃった?」

「え、セト?」


 気づけばセトに背負われて家の近くまで来ていた。

 どうやら意識を失っていたらしい。もしかして、セトの目が赤く光ったあたりから夢を見ていたんじゃないだろうか。


 心配したんだから、と呟くセトの背中に、わたしはおでこをつけて謝罪する。その時、胸にあのフクロウのお守りが揺れていることに気付いた。気のせいか、淡い光がぼんやりと消えていったように思う。


「エルを背負うのに手がふさがっていたから、お守りは首に掛けさせてもらったよ。悪夢から守ってくれたかな?」

「え、悪夢?」

「だって、ずーとうわごとを言うんだもの。最後は、また会いましょうって言っていたよ。かっこいい人とでも別れちゃったの?」

「……忘れなさい」

「ん?」

「そんな恥ずかしい寝言をセトに聞かれるなんて! いい、家に帰るまで、ううん、あと三歩の内に忘れるのよ!」

「了解、了解。一歩、大きく飛んで二歩……。あ、もう家に到着しちゃった! 忘れようとしていたのに残念だなぁ」

「え、ちょ、ちょっとセト!」

「ただいま、バル兄、ちょっと聞いてよ! エルがさぁ」

「セト!」


 騒がしく帰宅した私達を、家族は笑顔で迎えてくれた。


 ……あの二人は恋人だったのだろうか。

 夢の続き、結末までは見られなかったけれど、

 夕食の香りが立ち込めるこの家のように、

 その最後は帰るべき場所にいられますように。


 だが、まぁ夢のお話よりも目の前の惨事だ。

 逃げるセトの頬を抓るため、わたしは両手を広げて飛び掛かった。

 ふふん、わたしから逃げられると思わないことね、セト。

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