鬼の道

逢雲千生

第一話 元家族


 幼い頃、母方の祖母がいつも言っていた。

 この世には普通の人には見えないものがいて、それらは私達と一緒に暮らしているのよ、と。

 

 幼い私は、祖母の話を怖がりながらも聞いていた。

 人間みたいなお化けや、動物みたいなお化け。

 時には、人でも動物でもない不思議なお化けの話もあって、毎日飽きることはなかった。


 けれど、成長していくにつれて、祖母の話を信じられなくなり、いつしか祖母と顔を合わせることもなくなっていた。

 

 それから間もなく、私は祖母の元へ帰ることになる。

 理由は両親の離婚で、母と私が家を出たからだ。

 

 それから数年、母には内緒で、父方の祖母とは時々会っていたけれど、バレてからは会えなくなった。

 

 私が小学校に上がるのをきっかけに、両親は正式に離婚した。

 それからすぐ父は再婚し、私と父方の祖母は会えなくなった。


 理由は父の再婚だったけれど、母親の違う同い年の妹ができたことで、父を父と思えなくなってしまったことが原因だった。

 父のお母さんである祖母も、腹違いの妹がいることを知っていて黙っていたことも原因だ。

 それを知った母は、その場にいない父と義母をののしっていた。


 逃げるように飛び込んだ母の実家では、祖父も祖母も怒っていて、特に祖父の怒りは相当な者であった。

「あんな男、こちらから縁を切ってしまえ!」

 けれど、祖母は何も言わず、静かに話を聞くだけだった。


 父方の祖母は、結局謝らなかった。

 母にも私にも、ただの一言も謝りはせず、いなくなっても気にしていないようだった。

 怒りはしなかったけれど、共働きの両親に代わって子育てをするため、もう会えないと言われただけだ。

 それから私と母は、父の話をしなくなった。

 

 思い出そうと思えば、良い思い出も悪い思い出も思い出せる。

 父方の祖母の笑顔も、父の顔も、母が幸せそうに微笑んでいた姿も。


 今は幸せなのだろうか。

 そう自分に問いかけてみたところで、答えてくれる人はいないし、私自身がそうなのかどうかもわからない。

 



 なぜ今さら、昔の夢を見てしまったのだろうか。

 

 通学路を歩きながら今朝の夢を思い出すけれど、嬉しいというよりも、複雑な気分になってしまう。

 少し前であれば、何とも思わなかったかもしれないけれど、こんな日に見たくはなかった。

 

 そうされた道が途中で切れて、むき出しの地面が音を立てる。

 砂利と土が混ざりあった地面はぬかるんでいて、今朝まで降っていた雨によって、歩きにくい道になっていた。


 家から学校までの通学路は、昔からこんな感じらしい。

 この町ではどういうわけか、道の一部だけがそうされていないのだ。

 

 この町に引っ越してきてからというもの、ほぼ毎日通る道だけれど、誰一人文句を言わないわけではない。

 町議会で舗装する話は何度も出たらしいけれど、すぐに無かったことにされてしまう。


 母は「やっぱりね」と、コーヒーを啜っていたけれど、友達は私と同じように驚いていた。

 大人は何かを知っているようで、会う人みんなが、「それが一番だよ」と言うくらいなのだ。


 ぬかるむ道路は歩きにくく、長靴がなければ通れない。

 普通ならダサいと思うのに、この町でこの道を通る人にとって、長靴は必需品になっているのだ。


 他の通学路を通る子も、学校に常備しているほどお世話になっている。

 おしゃな人は綺麗なブーツをいたりするけれど、すぐ泥まみれになることがわかるので、長靴を持ち歩いているというくらい、ひどいのだ。


 小学生に戻った気分になって、最初は恥ずかしかった。

 けれど、慣れてしまえば抵抗はない。

 だけれど、今日は泥が音を立てるたびゆううつになるのは、仕方のないことだろう。

 

 学校に行きたくないと思ったのは、今日が初めてだ。


 高校に上がってから、二年生になるまで、学校がとても楽しかった。

 友達もたくさん出来たし、好きな事ができる部活もあって、毎日が楽しみだった。

 

 けれど、それは先週までの話だ。

 月曜日の今日から、学校が息苦しいものに変わることを知っている。


 今日からあの学校には、この世で二番目に会いたくない人がいるのだから。


 ため息を吐きながら昇降口に入ると、いつも通り友人が挨拶をしてくれる。

 私も「おはよう」と返すけれど、違うクラスなので途中で別れることになる。

 先に教室に着いた友人に、またねと言って別れると、大きなため息を吐いて、自分の教室へと向かった。




 友人と二つ隣の教室の前で、扉越しにみみざわりな笑い声が聞こえる。

 不愉快だが、このまま立っているわけにもいかない。


 深呼吸をして扉を開けると、私に気づいた彼女が笑顔で手を振った。

「お姉ちゃん、おはよう」

 嫌な気持ちを隠しながら笑顔で挨拶を返すと、彼女と仲良くなったクラスメイトも一緒に笑う。

 それらの笑みは「仲がいいんだね」と語っているけれど、私はすぐに否定したかった。


 その子がどうして私を姉と呼ぶのか。

 どうして私が姉として振る舞わねばならないのか。

 今すぐこの場で、大声で叫んでやりたかった。


 授業が始まってしまえば、彼女の声は聞こえない。

 だけれど、これから半年以上も、同じ教室で過ごさなければならないということが、苦しくて苦しくて仕方なかった。


 それもこれも、全て父のせいだ。

 この町を選んだ、あの義理の母のせいだ。

 そして、私と母の気持ちを知らない、あの妹のせいなのだ。

 

 泣きたくなる気持ちを我慢して、ゆっくり歯を食いしばるけれど、我慢すればするほど泣きたくなる。


 けれど、泣けない。


 ここで泣くくらいなら、この場で彼女を引っぱたいてやった方がマシだ。


 そう考えながら、長い一日を耐える。


 誰も知らない、重苦しいものを胸に沈めたまま――。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る