第4話

 変化が起きていた。

 日に日に伝言板の前に立ち止まるひとが多くなっている。毎日なにかしらのレシピが載っていると気づいたひとは伝言板に興味を持ってくれたようで、あるときは伝言板に人垣ができていてメッセージを読むのに一○分くらいかかったこともある。

 今度作ってみようかな、子供に作ってほしいとせがまれた、そんな声も聞くようになった。当然、あたし以外の言葉も増えた。「チョコバナナココアを作ってみました」とか。誰にも見向きされていないものから、少しずつひとの注目を集めるようになっている、そのことを単純にあたしは喜んでいた。

 その日、伝言板にはチャイのホイップフロートのレシピが書かれていた。珈琲よりも紅茶が好きなあたしはチャイも好き。帰宅したら作ってみようとレシピを暗記していたら、

「つぐみちゃんってきみのことかい?」

 突然駅員さんに話しかけられた。背が高く、おそらくあたしのお父さんと同世代のひと。どこかで見憶えがある駅員さんの表情はなぜか険しい。嘘をつく必要もないので素直にうなずいた。

「困るんだよね。伝言板を勝手に私物化されちゃうと」

「どういうことですか」

 確かに返事は書いているけど私物化したつもりはないし今では他のひとだって返事は書いている。そもそも名前を書いたこともないのに、どうして名前を知っているのだろう。

「きみだろう? 毎日伝言板に変なレシピを書いて、ブログで面白おかしく記事にしてるのは」

 変なレシピとは酷い。珍しいものばかりだけど、どれも素敵なもの。けれど、この素敵さが理解できないひとがいるのは体験的に知っている。どんなに言葉を積み重ねても伝わらないだろうから、反論は我慢して訊ねた。

「……ブログってなんですか?」

 駅員さんのいうブログには心当たりがなかった。自慢ではないけど機械関係は苦手。携帯電話は通話とメールしかわからないし、パソコンはまったく使えない。ブログという言葉は知っているけれど、ただ言葉だけを知っているだけだった。

「とぼけないでくれ。ブログで紹介されてから変なのが多いんだ。お菓子作りの参考程度ならいい。人集りができ、記念撮影をし、駅構内で騒ぐ輩もあらわれ、あげく伝言板のものを作ってここで売りはじめるものもいて迷惑しているんだ」

「あたしは知りません」

「そんなはずないだろ!」

 怒声が響く。瞬間、あたしの身体は縮こまった。

「きみが最初の日から毎日伝言板に書きこみをしているのを知っている。ブログには最初の日から書かれている。無関係のはずがない」

「あたしじゃありません」

「きみじゃなければ誰が──」

 駅員さんの腕が伸び、あたしの肩を掴もうとする。それを振り払い「知りません!」と叫んでから駆けだした。背後から制止する声が聞こえたけど無視して駆けた。構内からでて自然に足が向くほうへ無我夢中で駆けた。

 無性に悲しかった。

 名前も知らない伝言板のひととの会話を全部否定されたようだった。雪乃さんとの思い出も土足で踏みにじられたような気もした。

 伝言板が注目を浴びて喜んだのは、あたしだけだったのかもしれない。もしかしたら他のひとは迷惑だったのかもしれない。

 馬鹿みたいだ。あたしひとりがはしゃいでしまって。

 いろいろな感情がぐるぐるとまわる。それをかき消すように、ただひたすらに駆けた。

 どのくらいそうしていたのだろう。いつのまにか緑が丘公園にきていた。知らず知らずにここに足が向いていたことに半ば驚き半ば呆れた。この公園は雪乃さんとの思い出の場所だった。

 駆け足から速度を落として遊歩道をゆっくりと進む。大きなアーチをくぐると目の前には噴水、右手には図書館と体育館がある。

 足を止めると涙がこぼれてきた。その場にうずくまり声をあげて泣いた。嗚咽をもらしながら泣き続けた。

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