月の歌

ひじりあや

第1話

「──」

 あたしは言葉を失った。

 大事な相談があると雪乃さんに呼びだされて、あたしは今、下北沢にあるファミリーレストランにいる。雪乃さんから聞かされた話は、あたしの顔を蒼くさせるには充分すぎた。思いきりかぶりを振る。絶対に無理。上手くいくはずがない。

「安心して。悪いようにはしないからさ」と真向かいに座る雪乃さんはやわらかく微笑する。

「いい悪いじゃなくて──」

「大丈夫だって」

 あたしの言葉を途中で遮って雪乃さんが断言する。手元にあるアイスティーを一口飲んでから、優しい声色で続ける。

「つぐみは自分で思ってるほどつまんない子じゃないよ。美人だしさ。顔も性格も」

 思いきり溜息をついた。事あるごとに雪乃さんは美人だといってくれるけど、あたしにはその自信がなかった。

 夢村月海と書いて「ゆめむらつぐみ」と読む、まるで芸能人のような名前以外は、春休み明けには高校二年生になるというのに身長が一四七センチと小学生並に低いことくらい。内気で友達は片手で数える程度しかいなくて、いつもひとりで本を読んでいる高校生で、喩えるならあたしは太陽よりも月。

 世の中には二種類のひとがいる。物語の主人公になれるひとと、なれないひと。月であるあたしは後者。だから雪乃さんの話にはうなずけなかった。

「つぐみが不安になるのはわかるよ、つきあいが長いんだから。『あたしは物語の主人公にはなれない』でしょ?」

「だったらどうして──」

「だからこそだよ。つきあいが長いからこそ、わたしは知ってる。つぐみも主人公になれるんだって。ちっとは信頼してくれないと、それはそれでショックなんだぞ」

 なれないよ、とはいえなかった。最後は冗談めかして笑っていたけれど、雪乃さんの言葉が本心なのはあたしも知っている。つきあいが長いのだから。

 そう、雪乃さんとはつきあいが長い。はじめて出会ってから五年近くたつ。最初のきっかけを考えれば、今もこうして顔をあわせているのは不思議に感じる。よく交流が途絶えないなあと我ながら驚いてしまう。

「返事は?」

「……勝手にしていいよ」

「じゃあ、勝手にします」

「失敗しても知らないから」

「失敗なんてしませんから」

 言葉とは裏腹に雪乃さんはくつくつと笑っている。あたしには理解できないけど、よっぽど自信があるのだろう。あたしを主人公にすることに。

 小劇団に所属している雪乃さんは舞台の脚本を書いている。大事な相談というのは、あたしの物語を書きたいということ。正確にいうなら、あたしの初恋と雪乃さんの物語を。

 雪乃さんとは変わった出会いかたをしている。

 今では絶滅危惧種といえる駅の伝言板を通じて、あたしたちは知り合った。五年前、当時でも数える程度しか残っていなかった伝言板が地下鉄緑が丘駅にあった。その伝言板に一言メッセージを残すのが当時のあたしの日課。

 その日に食べたもの、読んでいる本のこと、ラジオで耳にした音楽のこと、そのときどきの独り言。友達が少ないとはいえ我ながらさみしい趣味だと今だからこそ思うけれど、あるとき返事がきた。それが雪乃さんだった。

 あたしは小学六年生で雪乃さんは高校三年生。今ならわかる年齢差は、名前も性別も年齢も伏せた文字だけのコミュニケーションでは気づけなかった。

 雪乃さんはあたしを同世代だと信じていて、あたしは雪乃さんを二、三歳くらい年上のひとと勘違いしていた。それだけではなく顔のみえない雪乃さんに淡い想いも抱いていた。正直にいうと初恋だった。

 このエピソードを雪乃さんは舞台にしたいのだという。面白くなる予感があたしにはしないのだけど、雪乃さんは失敗するなんて微塵も思っていないようだった。

 作者の頭のなかにある次回作はいつだって大傑作で、いざ書きはじめると──みたいなことにならなければいいのだけど。

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