キレた私は沙希と縁を切った

 「私はオダギリさんと別れたばかりだっていうのに! よくそんなこと言ってこれるもんだよね! 最低! この、脳内お花畑の無神経女!」   


 沙希に入籍を知らせるメールを送ったら間髪入れず着信があり、案の定沙希だったので出たらそんなふうに一方的にまくしたてられた挙句、ガチャ切りされた。

 

 ――なんだ、今のは。


 強い口調でぶつけられた言葉の衝撃に、呼吸を乱しながら考えた。

 オダギリさんって誰だっけ。そうだ。沙希を何度も妊娠させたというしょうもない「彼氏」だ。まだ続いてたのか、ていうかやっと別れたのか。うん、それはつらかろう。いくらしょうもない男でも、失恋直後はやっぱりね。私は失恋ってしたことないから、よくわからないけれど。

 しかし、沙希が「彼氏」と別れてつらいからって私がこうまで罵られる筋合いってないのではないか。私は、あくまで淡々と事実を伝えただけだ。感情も込めずに。それを「お花畑」とは随分な言い草ではないか。そもそも、沙希の恋愛事情と私は無関係だし、入籍することにせよ、それを伝えるタイミングにせよ、沙希の事情に合わせてあげる義理だってない。


 結局のところ、沙希から一方的に受けた罵倒は八つ当たり以外の何物でもない。いつもそう。沙希は、私相手にならどんなに強気に出ても、どんなにひどい言葉を投げてもいいと思っている。

 それに、沙希は多分――私に「負けた」と思っている。自分が失恋したのに、私の恋愛はうまく行っていて、あろうことか入籍の報告まで受けてしまったから。自分より先に、「ダメなお姉ちゃん」が結婚することになってしまったから。どちらが先に結婚するか、なんてそれこそ運と縁の問題で、競うようなこともでもないと私は思うが、沙希にとってはそうではないのだろう。

 この先も節目節目で沙希に対抗意識を燃やされ、時に怒りを買いながら私は生きて行かなければならないのか。沙希もこの先結婚できたとして、その後、たとえば、出産。子供の人数、性別、成績、学歴。夫の収入。家を買うタイミング――そうした一つ一つについて、どちらがより幸せで、より成功しているか。どちらが、勝っているかを、勝手にジャッジされ続けることになるのか。

 

 そんなことは、まっぴらだ。


 私に対してだけは負けず嫌いな沙希に、「おめでとう」と言ってもらえるとは最初から思っていなかったけれど、こうまで罵られるとも思っておらず、せっかくのめでたい話にケチが付いたような気分も相まって、私は決めた。

 

 付き合いきれないから、沙希とはもう、これっきりにしよう、と。


 

 決めた私は、いわば最後通告となるメールを沙希に送った。

 

 「あなたは子供の頃からずっと私に対して強気で傲慢で偉そうで、そんな態度が鼻持ちならなかった。結局あなたは私との関係を勝ち負けで測っていて、自分の方が上でなければ気が済まない。だから、私の方がうまく行っていると思うと異常に怒る。あなたはきっと一生変わらず、私の方が下である限りはご機嫌に私を見下し続けるんだろうけど、私はあなたに見下されるのも、いつもあなたに負けていないと許されないような関係を続けるのも、もう嫌だ。付き合いきれない。だから今後一生、あなたとはかかわりあいにならない。電話もメールも拒否するし引っ越しても住所は教えない。あなたはあなたで、勝手に生きて」


 要約するとそういう内容だが、言葉遣いを敢えて慇懃な感じにして細かな過去のエピソードもをいくつも交えると、メールは千字を超えるようなボリュームになった。この内容でこの分量のメールは、読むのもさぞ怖かろうけれど、精々怖がればいい。私は、それだけ怒っているんだから。生まれてこの方二十年以上してきた沙希に対する我慢の糸が、この時をもって切れるのだと、知らしめなければならないんだから。



 メールを送信し、着信拒否の操作をしている最中、沙希からメールが届いた。一応開くと、「ごめんなさい。言いすぎました」と一言だけ、謝罪らしい文言が書かれていた。謝れば許してもらえると思うなよ、と心で呟きながら削除した後は、立て続けに届くメールに急き立てられるように着信拒否を完了させた。


 

 「だから私、もう許せなくて。沙希と絶縁したよ」

 その夜、諒太に顛末を伝え、そう結ぶと彼は苦笑いした。

 「それで、沙希さんとはもうずっと、本当にこのまま……?」

 「少なくとも当分は――だって私、もう嫌なんだもの」

 「――そうか。まぁ、しょうがないか」

 

 頷きながら私は、こんなふうにキレてしまうくらいなら、もう少し小出しに怒っておけばよかったのかな――とぼんやり後悔していた。あるいはどこかのタイミングで、そういう態度に出るのはやめてほしいとはっきり言うことができていたら。



 翌日、母から着信があった。固定電話ではなく、最近買ったという携帯電話の方からだ。


 「沙希が、『お姉ちゃんに怒られて、謝ったのに許してくれない』って、泣いて電話をかけてきたんだけど。何かあった?」

 ――その話か。私は溜息をついた。まさかこの歳になってまで、母に泣いて訴えるとは思っていなかった。私が着信拒否してしまい、やりとりができなくなったから母のところに縋ったのだとは思うが、それにしても情けない。しかも母の口ぶりからして、沙希は自分の都合のよいように話を端折って、自分に非があることを隠しているのだろう。面倒だが、説明することにする。

 「入籍するって伝えたら、なんかちょうど彼氏と別れた直後だったらしくて八つ当たりされて。『私が別れたばかりなのにそんなこと言ってくるなんて、この無神経女』とか一方的に罵られたから、そういうことばかり言ってくるならもう連絡を取りたくないって言っただけだよ」

 「それは……腹も立っただろうけど、許してあげないのかい?」

 「だってあの人、自分がうまく行ってない時に私がうまく行っているとものすごく怒るじゃない、昔から。そういうの嫌なんだよ。入籍のことだって、こっちは自慢のつもりもなかったのにああまで怒られて。だったら何。沙希には黙って入籍しちゃえばよかった? それはそれで、角が立つじゃない。だいたい私、沙希の彼氏がどうとかそんなこと知らないよ」

 「わかった。わかったから」

 私の剣幕に押されたのか、宥めるような声で何かを言おうとする母の声にかぶせるように「とにかく泣かれようが謝られようが私はもうあの人のこと知らないから。じゃあね」と早口で伝え、一方的に電話を切った。



 両家の顔合わせを兼ねた食事会と、諒太の家族との食事会。

 指輪選びにウェディングフォト撮影。旅行の手配。

 

 そうしたことは、もとより沙希とはかかわりのないところで行われるはずのことだったから沙希との仲がどうなろうが関係のないことで、私たちは予定通り粛々と片付けて行った。一生に一度になるに違いない機会を沙希に台無しにされた、という残念な思いは、手続きを一つ一つ進めて行くうちに少しずつ薄らぎ、晴れがましい気分がそれに取って代わった。


 入籍予定が二月だから仕方がなかったのだが、顔合わせにあたっては諒太の両親を真冬の北海道に連れて行くことになってしまい、申し訳ないような気もしたのだが二人は思いの外喜んでくれた。真っ白な雪景色や刺すような寒さが、むしろ珍しくて楽しかったらしい。お互いの親同士の会話もまずまず弾んだので、まずは一安心というところだった。

 

 普通のカップルより随分簡略化した結婚関連のあれこれのうち、書類上不可欠なものといえば入籍だが、入籍そのものよりは改姓の手続きに骨が折れた。「こんな画数の多い苗字もう嫌だし」という理由で私の苗字に変えようかと言った諒太を止めたのは私自身だが、こうまで面倒ならば、いっそ諒太に改姓してもらった方がよかったかもしれないと思ったほどだ。


 ともあれ私は予定通り大安吉日の二月二十九日に、晴れて井口亜希から纐纈こうけつ亜希となった。

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