沙希はセンター試験で私に負けて怒り狂った(後編)

 ずいぶん遅く帰ってきた沙希は、母を相手に泣きじゃくった。気配を殺して、沙希に背を向けて聞き耳を立てると、数学が難しすぎたとか英語で失敗したとか、そんな意味のことを途切れ途切れに言っているらしいことがわかった。私は、もう今日の分の自己採点を済ませてしまったこと、点数がかなりよかったことを両親に伝えてあった。だから沙希も大丈夫だと思ったのかもしれない。母があからさまにうろたえているさまが窺えて、私は身の置きどころがなかった。

 もちろん殊更に話題にあげることはしなかったが、私のできがよかったことはそれでも雰囲気で伝わってしまったのだろう。ゆうに一時間は泣き続けた後、泣き腫らした目で私を睨みつけて、言った。

 「お姉ちゃん、なんで」

 模試でもそんないい点取ったことなかったくせにっ、と更に言葉を重ねて私を責める沙希を止めたのは父だった。

 「なんでもクソもあるか。――試験は水物だ。八つ当たりしてないで明日のことを考えろ」

 

 沙希は父に諫められた後は静かになったが、次の朝は一言も口を利いてくれなかった。集合時間はふたりとも同じなのに、一緒に会場に行くことすら、してくれなかった。昨日とは打って変わって朝から青空が広がっていたが、私は憂鬱だった。

 結局昨日の失敗を挽回することができなかったらしい沙希は、恐ろしく不機嫌な様子で家に帰ってきた。

 今日は泣いてこそいないが、やり場のない怒りを私にぶつけることにしたようで、目が合おうものならすごい目つきで睨みつけてくるその様子に、私は思った。

 ――これは、やっちゃったかなぁ――と。



 大学受験に向けた追い込みの時期だから通常授業は既になく、自由登校という扱いになっていたが、試験明けの月曜日は予備校に合否判定を出してもらうための手続きをしたり、出願先について相談したりといったことをするための登校日だった。自分の分の手続きを終えた後、理系クラスの滝口を掴まえて引退以来久しぶりに新聞部の部室に入った。この時間、一、二年生はまだ授業中なので邪魔が入る心配はない。話題はもちろんセンター試験の結果と、出願先についてだ。

 「俺は畜大チクダイ出願できそう。まぁ二次どうなるかわかんねぇけど」

 「畜大って、帯広の? そっかすごいね。

  ――私は、出願先を変えなくて良さそうでホッとしてる」

 「の割にあまり嬉しそうじゃないけど?」

 問われて「うん、妹がね……なんか全然点数取れなかったとかで。帰ってきてからずっと不機嫌で。家の雰囲気とかもつらい」と答えると、滝口は、あぁあのキッツい妹ね――と納得したように頷いた。

 私が文化祭の取材をしているところに沙希が押しかけてきて、好き放題口撃して帰っていった例の一件の時、私とペアを組んでいたのが滝口だった。沙希が帰った後、呆れた様子で「アレ――何?」と訊いてきた滝口に私は顔から火が出る思いで沙希の無礼を詫び、沙希がどういう子なのか説明したので、滝口は沙希の人となりを知っているのだ。


 「沙希ね多分、私に負けたと思ってる」

 私は溜息をついた。

 「志望校が違うし、大学受験なんてそれぞれの問題なんだから勝ち負けなんてないはずなんだけど――あの子はそうは思わないみたいなんだよね」

 「アホみたいだけど、あの妹ならそうだろうな」

 淡々と答える滝口に私は尋ねた。

 「私は受けてないから知らないんだけど、数学、難しかった?」

 「――意地悪な問題だったな。文系の奴にはキツかったと思う。けど、そういう時ってみんなできなくて平均点下がるからなぁ――まぁ俺はできたけど。だから気にしなくていいんでねぇかと思う」

 「――そっか」

 「お前の妹さ、単に打たれ弱くて切り替えが下手で自滅しただけって気がするけど? 一教科の失敗引きずったから他も駄目だったってだけだろ」 

 滝口の辛辣な言葉に、私は何も言えなかったが、確かにそうかもしれないとは思った。それを口に出さなかったのは、沙希への遠慮ゆえか、それとも―― 


 「向こうも今日は登校日だろ」

 続く滝口の言葉に私は我に返って、頷いた。

 「きっとまわりの奴の結果がわかって、少し落ち着いて帰ってくるよ」

 だといいけど――と私は答え、併願校をどうするのかといった話を少ししてから滝口と別れて家に帰ったが、果たしてその通りになった。

 私より先に帰宅していた沙希は、友達と話して自分だけができなかったのではないと確認できたと、明るい顔をしていた。ついでに、お姉ちゃんは楽して数学受けなかったから大変な思いをしなくて済んだんだ――と解釈したようでもあった。それは友達に言われてそう思ったのか、だとしたらそんなことを吹き込む友達しか沙希にはいないのか――と呆れたし、父の語彙を借りれば「楽したもクソもあるか」と言いたいところではあったが、沙希の機嫌が持ち直したことについては安心した。


 沙希はやはり、全く悔しくなかったわけではないのだろう、私がちょっとトイレに立っている間にシャープペンシルを壊したり消しゴムを隠したり、併願校の受験のために一泊している間にプリントをどこかに捨ててしまったりといった、実に子供じみたチクチクした嫌がらせはあった――プリントの件については、白々しく私ではないと言い訳していたが。

 子供じみてはいても、一番大事な時期にそういう嫌がらせを受け答えるのはじわじわとこたえた。沙希だけが二次試験でも失敗して浪人することにでもなったとしたら、私は一体どういう目に遭うのだろうか――と恐れもした。いつもの調子で威張り散らされるのは嫌だけれど、理不尽に罵られたりするのはもっと嫌だ。だから私は沙希のためというより、自分のために祈った。

 ――沙希が、合格できますようにと。


 祈りは叶い、沙希は合格を勝ち取り、四月からは札幌で大学生になることになった。有頂天の沙希によかったね、おめでとう――などと声を掛けながら私は心から安堵していた。 

 沙希から温かい言葉をもらうことはできなかったけれど、私も第一志望校に合格して、東京の公立大学への進学を決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る