第7話 逃亡奴隷、お人好しに救われる。


 どのくらい進んだのだろうか……


 周りはもう真っ暗だ。

 この辺りは、最初の繁華街とは別の盛り場のあかりが灯っている。


「……あっ!」


 べしょっ!


 くぅ~、痛ッ~!

 ちょっとした段差でバランスを崩してしまった。


「はぁ、はぁ……」


 あれ? 何か、体に力が入らない。

 結構、体力を消耗しているみたいだ……上手く、立てない。


 一度、倒れ込んでしまうと、世界がぐわんぐわんと回ってしまう。


「ぜひ、ぜひっ……」


 小休止、小休止。


 ああ、でも、早く立ち上がらないと。


 僕は、ちらり、と道の反対側の酒場のような食事処に目をやる。

 そこで食事をしている人たちの三分の一くらいは、此方をチラチラ見ながら不快感を露わにしているように見える。


 きっと、自分の視界に獣人が入る事が不愉快なのだろう。


 この町では、獣人がかなり……いや、とても嫌われている。

 すれ違うだけで、舌打ち、暴言は当たり前。

 中には、僕に水を掛けて来たり、唾を吐きかけたり、時には追って来て蹴ろうとする酔っ払いも居た程だ。


 ……あれは、ビビった。

 秘儀ゴキブリ走法で逃げ切ったけど、初代の杖はその時投げ捨ててしまった。

 まぁ、少し進んだ所に、松葉杖に向いたY字の枝が落ちていたから良いけど。


 ホント……この町の住人の獣人嫌いは徹底してるんだよなぁ……

 ちょろっと【鑑定】してみても、ほとんどの人に「性格:亜人嫌い・獣人嫌い」って出るもんね。


「はひゅ、はひゅっ……」


 あー、もー、一生懸命、息、してるのに、苦しい……


 だが、弱音を吐いている余裕は無い。


 よーいしょ~! どっこいしょ~! うおりゃ~っ!!

 気合で何とか、立ち上がる。


 よし、行くぞ。




 ……どちゃっ。


 ……うぅ……第一歩目でコケたでござる。

 やば、目も霞んで来やがった。


 僕が警戒していた食事処から、一人の人間が近寄って来るのがぼんやりと見えた。


 また、蹴られるのか!?

 せめて、防御せねば、と思うのだが、ガチでもう身体が言う事を聞かない。


 しかし、緊張に体を強張らせた僕に投げかけられた言葉は、意外なものだった。


「……大丈夫っスかぁ? うわぁ、酷い傷っスねぇ……」


 !?


 何か、この世界で、初めてかけられた優しい言葉に思わず目を見開く。

 ……が、残念。

 逆光な上に、目が霞んでよく見えない。


 ただ、咄嗟に発動させた【鑑定】の文字の一部を読み取る事は出来た。


 性格:お人好し・楽天家


 お ひ と よ し !


 こ、これが最後の希望かァッ!!

 僕は、残る力の全てを振り絞って、4つの音を形作る。


「……タ……す、け……テ……」


 暗く、歪んでいく視界と消える音。

 その瞬間、僕は意識を手放していた。





「……! ……、……い……」


 ん? 何だろう? 自分の左足をふにふに、とつつかれる様な感覚。

 と、同時に全身から脳髄に溶岩を流し込まれたような激痛が襲いかかって来た。


「ッ、くギィッ!!」


「あ、ごめんっス! 痛かったっスよね!?」


 何かが左足から離れる感覚に、痛みのシグナルがほんの少しだけ小さくなる。


「これ、痛み止めと薬っスから、飲み込んで欲しいっス~。」


 誰?

 あれ? 見えない??


 声の感じだと、そこそこ若い男性……かな。


 津波の様な痛みに揉まれて、千切れ飛びそうになる思考回路が、なんとか起動して、僕を抱き上げている人についての予想を巡らせた。


 その瞬間、唇に何か温かい器が触れ、そこから液体が口内に流し込まれる。


「ごほっ、げほっ、えほっ……はぁっ、はっ、はぁっ……」


 気道に入り込んでしまった液体にむせ返る。


 あああぁぁぁぁ、咳するだけで、全身が砕け散るような激痛ががが……!


「あー……、もう一杯~。ゆっくり、ゆっくりっスね、は~い。あーん。」


 掛け声と同時に、例の液体がまた口の中に広がった。

 味は……しない。

 白湯のようだ。


 だが、温かい液体が、こんなに美味しいと思ったのは始めてだ。

 腫れて熱を持つ喉も、湯が触れると痛みがホロホロ溶けて行く。


 ……こく、こくん。


「……はぁ、……はぁ」


 僕が飲み込み終わると、また温かいお湯が口元に運ばれてくる。

 一口ごとに、痛みの震源地が減って行くのはありがたい。


 しかし、何だ? 目が開けない。

 条件反射でまぶたを擦りそうになる手をやんわり止められた。


「あー、ダメっスよ、両目とも炎症が酷いっス。一応、傷薬を塗って、包帯巻いてみたっス。」


「……ァ、…ひゅぅ、い、……とぅ、ぇひゅ、ま、ス……」


 ありがとうございます、が無残な発音になってますな。


 だって、上手く声が出ないんだもん!

 呼吸も息苦しくて、まともに出来ないし!


「でも、これ、町に行ったらちゃんと薬屋か神殿で診て貰った方が良いっスね~。」


 そう言って、柔らかな布の上から僕の身体を優しく撫でる。

 触覚的に、他の傷口も治療してくれてるっぽいぞ?

 素肌に触れているものが、残念ワンピースじゃなくて、ふわもこしてる気がする!

 

 見ず知らずの獣人である僕に対して、この親切さ!!

 感動で涙がちょちょ切れるぜ!


 ありがとう、お人好しな人ッ!!!


「うーん……まだ、喋れないみたいっスねぇ?」


 おっと、どうやら、お礼の台詞は伝わってないか……

 まぁ、音がほとんど出てないからな。


 僕は、小さく首を引いて、頷いてみる。

 これでYESの意思が伝われば良いんだけど?


「そっスか。無理しなくて良いっスよ。」


 よし、伝わった!


「あ、俺、リーリス・リンって言うんス。君は何て呼べば良いっスかねぇ? ん? ……奴隷№021?」


 あ……

 ちょうど今、僕が自分の鎖骨辺りを触っていたタイミングと名前を尋ねられた瞬間が被ったな。


 リーリスさんが怪訝そうな声を上げる。


 はッ!! 

 逃亡奴隷だとバレたら、またあそに戻されるのか!? 


 不安で、体が一瞬強張った。


 ど、どうしよう、隠した方が良いのか?

 軽くパニックを起こして硬直する僕の態度をどう感じたのか……

 相手の顔色すらうかがえないって怖い!!


 結局、僕は無言のまま体を震わせる事しかできなかった。

 だが、そんな僕の心配をよそに、彼は呆れたような軽い調子で、


「それは~……名前じゃないっスねぇ……

えーと、レイ・ニ・イチだから……レイニーで良いっスかね~?」


 と、ちょっとズレた発言をかましてくれた。


 この人……もしかして、少し天然も入ってないか?

 まぁ、名前としては、僕自身も「レイ」だから、響きも近いし問題は無い。


 こくん。


 僕は小さく頷く。

 その態度に満足したのか、「じゃ、レイニーっスね、よろしくっス」と、軽いノリで僕の頭を撫でる。


「レイニーは何処に向かっていたんスか? ……って、今はまだ声が出なかったっスね。」


 リーリスさんは、僕にそう問いかけたものの、一人で勝手に納得する。

 そして、独り言のように呟いた。


「えーと、レイニー、お父さんかお母さんは居るっスか?」


 ふるふる。

 僕は、小さく首を横に振る。


「そっスか。ん~……となると、この辺りで亜人の子供を受け入れてくれる孤児院はダリスまで行かないと無いんスよねぇ……」


 どうやら僕をこのまま、何処かの孤児院まで連れて行ってくれるらしい。


 本当……お人好しだわ。

 きっと、僕のこの惨状からそんな判断をしてくれたに違いない。


 思いやりに満ち溢れた人道的推察ッ!

 じ~ん。あ、マジで泣きそう。


「どのみち、俺ん家ダリスだし。……とりあえず、ダリスに向かっちゃって良いっスか?」


 こくっ! こくっ!


 僕は必至で頷いた。

 むしろ、願ったりかなったりですっ!!


「良かったっス。じゃ、次はコレ、毒消しとポーションっスよ。はい、あ~ん。」


 痛み止めと同じように、温めた液体を僕に飲ませてくれるリーリスさん。

 こちらは、最初甘くて、飲み込み終わると口の中に少しほろ苦さが残る。


 子供向けの風邪薬みたいな味だ。


 日本人の味覚からすると、決して美味しい味ではないが、この身体には、久しぶりに感じる甘みだ。

 舌が喜びに打ち震えている。


 リーリスさんが飲ませてくれる分は全部ぺろりと平らげました。


 げふぅ……もう飲めない。

 あ~、でも、お腹の中が暖かいって幸せ。


「これで、また少し休むっスよ。そしたら、ちゃんと良くなるっス!」


 ふわり、と抱かれたまま布のようなものを掛けて貰った感覚。

 視力は封印されてるし、全身を襲う痛みは弱くなったし、お腹はいっぱいだし……


 僕が眠りに落ちるまで、時間はほとんど必要がなかった。




 そして、この時……僕はまだ知らなかったのだ。

 次に目を覚ました時には、現実を思い知る事になる……と言う事を。


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