第6話:ご招待

「奥の扉……」


 ロゼの手が指し示す方向へと目を向ける。

 暗闇の向こうに入り口にあった物と同じ扉があるのがぼんやりと見えた。


「あそこから出るだけでいいのか?」

「はい」

「出ればお前が何者かも、何が目的なのかも白状するって事だな」

「はい」


 短く答えるロゼの顔からは既にさっきの極わずかな微笑は消え失せている。


 奥の扉へと向かって、ゆっくりと一歩踏み出す。


 木で出来た床から鈍い軋むような音が小屋の中に鳴り響く。


「お持ちいたします」


 ロゼがそう言って、俺に向かってその白く綺麗な手を差し出してくる。


「え? あ、ああ……」


 一瞬遅れて、俺が手に持っているランタンを指しているのだと気がつく。


 まるで俺がもうどっちの扉を選ぶのか、心の中まで見透かされているような気持ちになる。


 ロゼにランタンを差し出すと、彼女はゆっくりとした上品な所作でそれを受け取った。

 一瞬だけ彼女の手と俺の手が掠るように触れ合う。


 人形のような見た目から受ける印象とは真逆の、高い体温が触れ合った部分からしっかりと伝わってきた。


「どうされましたか?」

「い、いや……なんでも……」


 女性の手に触れて感慨にふけっていたなんて言えるわけもなく適当にごまかして再び奥の扉へと向き直る。


 状況こそ不可思議だが、これはどう見ても普通の扉だ。


 どちらの扉から出るなんてのはただの二択を分かりやすくしただけで、外はただの森だ。

 後で話を聞いて、納得が行かなければ帰ればいい。それだけだ。


 そんな考えとは裏腹に、剣の柄を握る手の中にじわっと嫌な汗が浮かんでくる。


 更に一歩、一歩と扉に近づいていく。

 どれだけ近づいてもただの扉だ。


 近くにある小窓からは外にある森も微かに見えている。


 大きく深呼吸をして、扉に手をかける。


 それを一気に押し開く。


 最初に感じたのは、鼻を刺すような強烈な花の香りだった。


「なっ……!?」


 眼前に広がるのは漠々たる庭園。


 木や低木の茂みに咲く色とりどりの花々。

 月光を反射して怪しげに輝く葉に垂れた雫。

 曲がりくねった石畳の小道。


 どこかに小川か噴水でもあるのか、絶え間なく流れる水の音も聞こえる。


 そして、更に奥にはまるで城と見紛うような程に大きな屋敷が鎮座していた。


 さっきまで居たはずの獣の声が鳴り響く森の姿はどこにもない。


 慌てて後ろを振り返る。


 そこにあの木造小屋は無く、俺の渡したランタンを持ったロゼだけが何事も無かったかのように直立している。


「何をした!?」


 考える前に即座に剣を抜き、ロゼの眼前にそれを突きつける。


 形式的に尋ねはしたが、魔法によるものなのは明らかだ。


 しかしロゼが呪文を詠唱したような気配はなかった。


 と言うことは扉か小屋自体に術式が仕込まれていたと考えるべきだろう。


 剣を突きつけられてもロゼは表情筋をピクりとも動かさずに、またゆっくりと唇だけを動かす。


「フレイ様のこれからの職場となる場所へとお連れいたしました」

「まだ話を受けるなんて言っていないぞ」

「それは早とちりをしました。申し訳ございません」


 ロゼはそう言いながら切っ先がすぐそこにある事を気にする様子も見せずに僅かに頭を下げる。


 信用にたる要素は一切無い。 


 にも拘らず、淡々と紡がれるその言葉からは何故か裏や敵意のようなものは全く見えない。


 目と目が再び合う。


 じっと見ているだけで吸い込まれそうな程に真っ黒な瞳。


 互いに黙った静寂の中、わずかに吹く風の音とそれに伴う葉のさざめきだけが聞こえる。


「……もう少しだけ詳しく話を聞かせてくれ」


 腰の鞘に剣を収める。


「かしこまりました。ですが、その前に御目に掛かって頂きたい方々がいらっしゃいます」

「そいつが依頼主なのか?」

「会って頂ければ分かります」


 今はまだ答える気がないのか、それとも百聞は一見にしかずという事なのか。


 ロゼは俺の質問に答えずに、ランタンを持ったまま石畳で作られた小道の上を歩き始めた。


 とりあえず今はついていくしか無さそうだ。


 こんな大掛かりな芝居じみた事を仕掛けてきた奴がどこのどいつなのかは知らないが、依頼を受けるにせよ断るにせよ顔くらいは見てやらないと気がすまないのも確かだ。


 ロゼに続いて庭園の中を歩く。


 どうやらあの大きな屋敷の方へと向かって進んでいるようだ。


 互いに一言も発さない、あるのはただ石畳の上を歩く音と芳醇な花々の香りだけ。


 屋敷に近づいてくると、遠くから見ていた時よりも更にはっきりとその威容が分かってくる。


 前職の都合上、大きな屋敷を目にする機会はこれまでに少なからずあったが、この屋敷はそれらと比べても全く遜色がない。

 一つ気になる点があるとすれば夜中であるとは言え、この屋敷からは生命の気配がほとんど感じられないことだ。


「これだけ大きな屋敷って事はあんたみたいな使用人が他にも?」


 妙な緊張感に耐えられず左前方を歩くロゼに何気ない世間話を振る。


「いえ、この屋敷にいる使用人は私ともう一人だけです」

「こんな大きな屋敷なのに二人しかいないのか!?」

「はい」


 驚愕する俺に対してロゼはさも当然であるように答える。


「じゃあこの庭園の手入れも……?」

「庭園の手入れは私が一人で行っております」


 大きな庭園を見回す。


 これを一人で手入れするなんて事が可能なんだろうか……。


 それに加えてこの大きな屋敷だ、他にもやらなければいけない事は山程あるだろう。

 確かに見た目からして有能なメイド感はあるが、流石に信じられない。


 そんな事を考えていると、屋敷の入口――大きな扉の前に到着する。


「どうぞ、お入りください」


 ロゼが扉を開いて、俺を中へと誘う。


 隙間から見える屋内は僅かな灯りだけで照らされていて、一度足を踏み入れたらもう二度と出られないのではないかと思うような不気味さを醸し出している。


 だが、この先で何が待っていたとしてもあの時より最悪な事はもう起こらないはずだ。


 覚悟を決めて、その敷居を跨ぐ。


 外よりも更に静寂な屋内。


 暗くてあまりはっきりとは見えないが、至る所にある装飾品の数々は学院にあった物と遜色のない高価な物だと分かる。


「こちらへ」


 いつの間にか中に入ってきていたロゼが再び俺の前に立ち、先導するように屋敷の奥へと進んでいく。


 ランタンの光を頼りに、薄暗い廊下を歩く。

 コツコツと地面を叩く二人分の足音だけが聞こえる。


 そうしてしばらく歩いていると、視界の先にロゼが持っているランタンからのそれとは違う光が見えた。


 その光は廊下の先にある扉についた小さな窓から漏れ出ている。


「どうぞ、お入りください」


 ロゼが扉の前で立ち止まるが、今度はその扉に手をかけずにじっと俺の方を見ている。


 なるほど、ここは自分で開けろって事か。


 腹はとっくに括っている。


 小窓から中の様子を確認するような事はせずに、旧懐を感じさせる横開きの扉に手をかける。


 そのままガラガラと音を立てながら開いた扉の先へと足を踏み入れた。

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