卒業式前日カラオケで不安を発散しました

「刻!」

 亜貴は前を歩いている刻に声をかけた。卒業式前日。気持ちよく晴れた日だ。

「おう、おはよう。

……眠れてるか? 亜貴?」

 振り返った刻が神妙な顔をした。

「え? 目の下、クマできてる? やだな」

 どきりとして亜貴は誤魔化すように笑う。最近の刻は鋭い、と亜貴は思った。

「いよいよ明日だからな。卒業式」

「うん……」

「俺、今日は部活行くのやめよっかな」

「え? どうして?」

「別に~。

亜貴は授業終わったらなんか予定あんのか?」

 刻は亜貴の方を向いていた足を学校の方に向けて、歩きながら言った。

「特にはないけど……」

「カラオケとか、亜貴行く?」

「うーん、あんまり行ったことない。最近の歌で歌えるものないし……」

「行かねー? 今日」

 亜貴は驚いて目をしばたたかせた。

「……いいけど……下手だからって笑ったりしないでよね!」

「あはは。大丈夫! 俺も上手くないから! じゃ、決まりな」

 亜貴は真剣な顔になって刻を見つめた。

「刻、私に気使ってくれてるでしょ? 私が落ち込んでるからって」

「べーつにー。俺が行って発散したいだけだけど?」

「……ならいいけど……」

 亜貴は刻がそう言うならそういうことにしておこうと思うしかない。

「そろそろ試験の答案、返ってくるな」

「それは英語以外は刻のおかげでいつもよりいいはずだから心配してない」

 亜貴はちょっと胸を反らして言った。

「おー、そりゃ頼もしい」

「刻は今回かなり頭いいってのが分かったから、順位表張り出されたら見とこう」

「別に一番とかはとれないぜ?」

「一番とるような奴だったら、私これから刻に軽口たたけないよ」

「お、それいいな。今度は一番狙おうかな。刻様って呼べよな」

 刻がにやにやしながら言った。亜貴は想像して首を横に振る。

「ああ~そんなの絶対やだ」

「冗談だよ。

じゃ、お昼にな」

「うん」

 いつのまにか教室の前についた二人は、それぞれの教室に入っていった。


 授業中に返ってきた自分の答案用紙を見て、亜貴は思わず違う生徒のじゃないかと二度見した。特に数学は自分だけで勉強した以前の試験より十五点も上がっていた。答案を返してもらうとき、先生に「よく頑張ったな」といくつもの教科で言われた。英語だけが散々で赤点ギリギリだった。

 でも、全体的に結果が上がると気分も上がる。

 亜貴は上機嫌で刻と昼食を食べてるベンチに急いだ。

「お、その顔は、試験結果、まあまあ良さそうだな」

 先に来ていた刻が笑った。

「そうなの! 数学なんて、十五点もあがったのよ!」

「おー、すげーじゃん!」

「英語は悪かったけど、赤点は免れてた」

「まあ、それは良かったってことにしておこう」

「全体的に点数が上がったのは刻のおかげよ!

本当に感謝してるわ」

「今日はやけに素直だな?」

「だって刻、自分の勉強時間割いて私の勉強見てくれたから」

「まあ、そうだけど、大丈夫。俺も復習になって良かったから。

昼食べようぜ」

「うん」

 亜貴と刻はそれぞれ弁当箱を開けると「頂きます!」と言って食べだした。しばらく食べていると、亜貴にとっては見慣れた後ろ姿が視界に入った。

「樋口先輩だ」

「ああ。兄貴だな」

 亜貴は焔を目で追いながら、

「私、樋口先輩が円上先輩に想いを伝えること、まだ諦めきれてないの。円上先輩、尾崎先輩に振られたし、もしかしたら結果が変わるかもしれないじゃない?」

 と刻に言った。

「亜貴まだそんなこと考えてたんだ」

「バカな奴って思ってるでしょ?」

 探るような亜貴の目に、刻はふっと笑った。

「別に。

亜貴が後悔しないようにやりたいことやればいいじゃないか」

「ほんと?」

「ああ」

 刻が頷く。亜貴は元気を貰えた気がした。意を決したように箸を置く。

「じゃあ、私、行ってくる! 残りの私のお弁当食べていいよ?」

 亜貴は刻に弁当箱を渡すと、焔の方へ駆け出した。

「ほんと、暴走女だな」

 と残された刻はポツリと呟いた。


「樋口先輩!」

 亜貴は焔の背中を追いかけ、声をかけた。

「高城さん。どうしたの? 息切らして。大丈夫?」

「大丈夫です」

「それで、今日はどうしたのかな?」

 焔がゆっくりと優しい声で先を促す。

 亜貴は一つ大きく息を吐いた。

「樋口先輩の問題なのは重々承知してます。

でも言わせてください」

 すうっと亜貴は大きく息を吸い込んだ。

「私は樋口先輩に告白してよかったです。告白できないままだったらきっといつまでも引きずってしまうと思う」

 焔は黙って聞いている。

「きっと樋口先輩もです」

「……さゆりの重荷になりたくないんだよ」

 焔が苦しげにそう言った。

「だから身を引くんですか? 樋口先輩、いい人すぎです! 自分を、もっと大切にしてください! 自分の気持ちを封印して県外に行くなんて悲しすぎます!! もう一度考えてください!」

 亜貴は叫ぶように言って一礼すると、焔の返事を待たずにその場から走って立ち去った。

 自分でもこれで良かったのか分からない。なんでいつも暴走してしまうのだろう。気持ちをぶつけてしまわずにはいられないのだろう。でも焔には後悔してもらいたくない。

 走っている亜貴の腕を優しくとる誰かがいた。亜貴はすぐにそれが刻だと思った。

「おい、大丈夫か?」 

 亜貴の瞳からは涙が溢れていた。そんな亜貴を見て、刻は少し驚いたが、亜貴を引き寄せた。

「泣くなよ。亜貴は後悔しないために頑張ったんだろ?

……よくやったな!」

 亜貴はうん、うん、と頷きながら刻の胸で泣いた。刻はそんな亜貴の頭をポンポンと叩いた。

「……そろそろ午後の授業だ。顔洗ってこいよ」

「う、うん。ごめん、刻。ありがとう」


 トイレで顔を洗い、少し落ち着くと、今度は亜貴は刻の胸で泣いてしまったことを思い出し、恥ずかしくて顔から火が出そうになった。鏡に映る顔が赤い。

 午後の授業の間、放課後刻とカラオケに行く時どんな顔をして会えばいいか、そればかり考えていた。

 が。

 刻は普通だった。

「おう、亜貴、授業おわったか?」

 亜貴のクラスに刻は亜貴を迎えに来た。

「いこーぜ、カラオケ」

「う、うん」


 駅までの道を並んで歩く。

 亜貴は黙っていた。

「どうした? 具合でも悪いか? 行くのやめる?」

「具合は悪くないんだけど……」

「けど?」

 刻のシャツはもう乾いていた。今更持ちだす必要はないと思っても亜貴は気になってしまう。

「刻は平気なの? あの、その、私、刻の胸で泣いてしまったけど……」

 亜貴の言葉に、

「だって、お前泣いていたから……」

 と刻は答えた。その顔がほのかに赤く染まった。

「……刻は誰にでもああいうこと、できるの?」

「ばか! 誰にでもするわけないだろ?!」

 刻は即答して、気まずそうに口を閉じる。

(誰にでもするわけではない……。おかしいな、私、少し安心してる)

「その、前、亜貴が言ってたみたいな感じだよ」

「なんて?」

「兄弟みたいな感じってやつ」

「ああ、そういえば言ったわね。そういう感じね」

 亜貴は安堵と落胆を覚えて、もやもやした。

 最近、刻のことを考えるともやもやすることが多い気がする。

(変ね)

 黙った亜貴に、

「なんだよ?」

 と刻が声をかける。

「なんでもない」

 亜貴はそう返して、改札口に入る。刻もそれに続いた。


「よし、歌うぞー!」

 亜貴は困ってしまう。歌える曲……。刻は何を入れるのかなと思っていると、

「亜貴は何歌う?」

「え?  刻が誘ったんだから、先に入れてよ?」

「や、やっぱ?

うーん、どうしよっかなー」

 刻がデンモクを手に悩んでいる。

「まあ、いいや、これにしよう」

 刻が選んだのは星野源の『恋』だった。

「なかなかこのダンス、覚えられずに終わってしまった」

 と、分かるところだけ踊りながら歌う刻を見て、亜貴は、

「ここはこうじゃない?」

 とダンスに参戦する。

「おー、亜貴上手い! 書道部なのに」

「書道部関係ないから!」

「ほら、亜貴次入れた?」

「今入れるとこ」

 デンモクから転送されて、前奏が流れると、

「これ、エヴァの曲?」

 と刻が聞いてくる。

「うん。『残酷な天使のテーゼ』。私、アニソン中心に歌うわ」

「ちょっと意外!」

 亜貴は声を張り上げて歌った。

「おー、なんかシャウトがカッコいいぞ、亜貴!

俺次何にしよう」

 刻が転送すると前奏が流れ出す。

「あー、これミスチルの『シーソーゲーム』だよね?

聞いたことある! 私も大好き!」

 二人は一緒になってジャンプしながら歌った。

「亜貴は次は」

「『タッチ』入れた」

 亜貴は歌いながら、なんだか切なくなってきて涙を拭った。

「バーカ、何泣いてんだよ!」

「だって、歌詞が切なすぎるんだもん」

「もっと明るい歌歌おーぜ!!

ブルーハーツ、『リンダ リンダ』! 転送!」

「え、知らない!

っていうか、何この歌詞!」

「親父が好きで俺も好きになった曲! ほらお前も歌え! リンダリンダのところはずっと同じだから分かるだろ?」

 二人でリンダリンダ~! と歌いながらまたジャンプした。

「カラオケって結構疲れるわね」

「だからストレス発散できるんだろ? 俺しか聞いてないんだから遠慮なく歌えよな!」

「『アタックナンバーワン』とかでもいい?」

「何でもいい!」


「次はなににする?」

「えーと、じゃあ安室奈美恵行ってもいい?」

「いーじゃん! どんどん入れちゃえ!」

 亜貴は『Hero』を始めとして、いくつか安室奈美恵の曲を歌った。

「あ、これ聞いたことある。『ひまわりの約束』、だっけ?」

 今まで歌っていたうるさめの曲と違う曲。刻の低めのテナーの声が柔らかく響いた。

「上手いね! 刻!!  きっとこんな曲を自分のために歌われたら女子は恋に落ちちゃうんじゃない?」

「で、お前はどうなんだよ?  俺に恋に落ちたか?」

 刻は亜貴の目を見ずに、何でもないことのように言った。

「え?  私?  ……正直わからない」

「なーんだ。でも、よく分かった。切ない曲を歌えば、心を鷲掴みにできる可能性があるんだな?

そしたら、そういう歌で攻めてやる」

 刻はそういうと熱心にデンモクを見る。そんな刻が亜貴はなんだか可愛く思えた。

「次はback numberだな。最近好きなんだ。切ない歌詞がまた曲と合ってていいんだわ」

「ふーん。刻、結構音楽とか聴くの?」

「ああ。好きなのをずっと聴いてる。

よし、『高嶺の花子さん』から行くぞー!」

 刻はカラオケが好きなのだろうか。いつもよりテンションが高い。

「へえ、なんだか可愛い曲。アブラカタブラな力でって。なんか、歌の主人公、応援したくなるね」

「だろ?

次亜貴は?」

「安室奈美恵の『Don’t wanna cry』にする」

「いい曲だよな」

「よし、次俺、『わたがし』」

 亜貴は刻が歌うのを黙って聞いていた。

「あー、なんか情景が浮かんだ。切ないね~」

「だろ? だろ?」

 また刻の声がいいのだ。思わずうっとりしてしまう亜貴だった。

「次亜貴は?」

「刻歌って!  私ちょっと疲れた」

「じゃあ遠慮なく。『クリスマスソング』」

「クリスマスじゃないのに?」

「歌詞をよく聞いとけ」

 亜貴は言われた通り歌詞に集中した。が。

(これって思いっきり告白の歌じゃない?)

 亜貴はなんだか聞いていて恥ずかしくなってきた。刻はどういうつもりでこの選曲をしたのだろう。ただ単に好きな歌だからなのだろうか。 何度も刻と目が合う度になんだか恥ずかしくて亜貴は目を逸らした。

「良い歌だと思わねー?」

「う、うん。素敵な歌ね」

「よし、じゃあ明るい歌、一緒に歌ってから帰るか!

『YOUNG MAN』」

 これなら亜貴も歌える、とマイクを手に取った。二人でYMCAのところで体で文字を作りながら歌った。


「どうだ? 少しはストレス発散できたか?」

 駅まで歩いている時に刻が尋ねてきた。

「うん。カラオケって結構エネルギー使うね~」

 辺りはすっかり暗くなっていた。亜貴が人にぶつからないよう刻が外側を歩く。カラオケ店がある付近はゲームセンターやパチンコ店もあり、夜でも賑やかだ。人も多い。

「兄貴に何て言ったか知らねーけど、兄貴にも亜貴が兄貴のために一生懸命なのは伝わってると思うぜ。だからあんまり気に病むな」

「刻~、あんまり優しい言葉かけないで!  涙がまた出ちゃうから」

「はあ~。本当、涙もろいな、亜貴は」

 刻はポンポンと亜貴の頭を優しく叩いた。亜貴はぐすぐすと鼻を鳴らして、自分の涙を手で拭った。


 明日は卒業式。

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