樋口先輩と円上先輩を呼び出しました

 その日、十六時四十五分。

 亜貴と刻はブルームーンの見える柱の陰に潜んでいた。刻の姿を見て亜貴は半眼になる。

「ちゃっかり眼鏡してくるなんて、自分だけずるいわよ?」

「まあ、ちょっとした変装になればと思って」

「私に貸してよ」

「嫌だ」

 亜貴と刻は言い合っていたが、見慣れた姿を見つけて口を閉じた。亜貴が刻に指で合図する。

「樋口先輩、来た」

「ああ。兄貴だな」

 焔はブルームーンの扉の少し前で足を止め、辺りを見回してから腕時計を見た。

「刻はどんな風に呼び出したの?」

 こそこそと亜貴は刻に尋ねる。亜貴の息がくすぐったいと思いながら、

「兄貴とさゆり姉、どちらにも、『相談したいことがあるから、十七時にブルームーンの前に来て』ってメールを送った」

 と刻は答えた。そしてこちらに近づいて来た女子生徒を見て、

「あ、さゆり姉も来た」

と改めて柱の影に隠れた。

「今何時?」

 声をさらに潜めて亜貴が刻に問う。

「五十五分」

 



 焔もブルームーンに近づいて来たさゆりの姿に気づき、

「さゆり? どうしたの? ブルームーンに来たの?」

 と声をかけた。

「ええ。刻君が相談したいことがあるって」

「刻?」

 焔は訝し気に首を捻る。

「僕にもそう刻からメールがあって来たんだけど……」

「刻君はまだなの?」

「うん。刻は時間に遅れてくることはないんだけどな」

 焔とさゆりは顔を見合わせた。




 そのタイミングで、刻が二人に「急用で行けなくなった」とメールを送った。

 焔とさゆりはメールを知らせる音にそれぞれ自分のスマホを見た。

「何か変だね」

「そうね」

 二人がどうするか、亜貴と刻は息をひそめて見つめる。

「でもせっかくだから、ブルームーンでお茶しようか?」

「そうね、最近来てないし、久しぶりにアールグレイが飲みたいわ」

 カランと音を立ててブルームーンの扉が開き、閉まったのを見て、亜貴と刻は小さくハイタッチをした。

「二人はブルームーンに入ったけど、兄貴が告白するとは限らないぜ?」

「そうよね。でも、最近来てないって言ってたし、二人で話すことも少なかったんじゃない? だからいい機会かもしれないわよ?」

「まあ、それはそうだな」

「それにしても、どのくらいの時間いるのかな?」

 亜貴はブルームーンの方を見ながら言う。

「俺たちは暇、だな」

 刻の言葉に頷く亜貴。

「私たちもブルームーンに入ってたらケーキ食べれたのに」

 ちょっと残念そうに言った亜貴に刻はため息をついた。

「はいはい、仮定の話はなしな。亜貴趣味悪いぞ」

「べ、別に先輩たちの話を聞く気はもうないわよ?」

「どうだか」

 刻の言葉に亜貴は軽く刻を叩く。

「いてーな。暴力反対」

「……」

 話すことがなくなり、二人は黙る。段々辺りが暗くなっていく。

「寒くねぇか?」

「うん、大丈夫」

「……」

「……」

 二人は自然と顔を見合わせる。

「間が持たないわね」

「ああ」

 ふぅと二人とも息を吐いて、もう一度ブルームーンに視線を移した。

 しばらくブルームーンの方を見つめていた二人だが、一向に焔とさゆりが出てくる気配がないので、再びこそこそとしゃべりだした。

「樋口先輩と円上先輩は二人だとどんな話をするのかな? 今はやっぱり受験の話かな」

「まあ、たぶんそうだろうな」

「普段はどんな感じだったの?」

 亜貴は興味を惹かれて刻に尋ねた。

「うーん。最近はよくわかんねーな。

昔は兄貴とさゆり姉、二人でいることはほとんどなくて、渓ちゃんも一緒で三人の時が多かった。……懐かしいな。小さなころはさゆり姉もお転婆で、兄貴たちに劣らず駆けまわってた。俺も一緒に。でも、中学生の途中からかな、少しずつさゆり姉は女性らしくなって……って話がそれたな」

「ううん、聞きたい、続き」

 亜貴にせがまれて、刻はそれなら、と再び遠い目をした。

「兄貴はまあ、ああだけど、渓ちゃんは中学生まではかなり元気で。色々やらかしたのを兄貴とさゆり姉が尻拭いしてた感じだったな。まあ、一番やんちゃだったのは俺だろうけど」

「でしょうね」

 思いっきり頷いた亜貴に刻はむっとする。

「なんだよ、それ」

「いいから、続けて」

 亜貴のピシャリとした言葉に、刻は不服そうにしながらも口を開く。

「でも、高校生ともなると、あんまり二人ともうちに入り浸らなくなって。渓ちゃんはサッカー仲間とつるむことも多くなったし、さゆり姉もあんな感じで女子の鑑みたいになって」

「そっか。やっぱり女子と男子じゃずっと仲良くってのは難しいのかな」

「いや、仲は良かったぜ? ただ、昔の男同士に近いようなものじゃなくて、それなりに大人な付き合いというか……。でも、あまり二人が家に来なくなったのはちょっと寂しかったな」

「……ねえ、刻は円上先輩を好きにならなかったの?」

 亜貴はふと思いついて刻に尋ねる。

「ええ!?」

 刻は亜貴の問いに素っ頓狂な声をあげて、慌てて自分の口を塞いだ。

「ふふふ、その反応からすると……」

「いや、それは、ない。うーん、いや、ちっさなころは、さゆり姉としか女子と接したことなかったから、可愛いな、ぐらいは思ってたけど。好きとかは……」

「そうなの?  淡い初恋だったんじゃないの?」

 亜貴は楽し気に言った。

「なんだよ、楽しそーじゃねーか」

「女に興味ねーって告白されてた時に言ってたから、刻は初恋もまだなのかと思っちゃった」

 刻はため息をついた。

「……。あのな、今は別に彼女とかいなくても充実しているわけ。他にすることいっぱいあるし」

「そうね。部活とか。でも、その割には私には時間を割いてくれてるわね。ありがとう」

「ばっ」

 にっこり亜貴に笑って言われ、刻は赤くなって、反論しようとした。その刻の口を亜貴が手で塞いだ。

「もがっ」

「出てきたわ。二人」

「!」

 亜貴と刻は再び柱に隠れて、様子をうかがった。





「大丈夫?」

 焔の気遣うような声がした。

「ええ。なんだかごめんなさい」

 さゆりの声は鼻声だった。焔が白い何かをさゆりに渡している。

「あれ、ハンカチ!?」

 言ってから急に黙った亜貴を刻は見て、

「お、おい?」

 亜貴の形相に驚く。

「あ、亜貴?」

「……」

 亜貴は食い入るようにブルームーンの入り口にいる二人を見つめていた。まさに鬼気迫る感じだ。

「私、今日はこっちから帰るわ。じゃあ、本当にごめんなさい。焔が受かってるのを祈ってるわ」

「本当に大丈夫? 送ろうか?」

「大丈夫。もう、甘えていられないし」

 焔とさゆりの声が聞こえてくる。さゆりが焔を置いて先に歩いて行った。

 ーーその瞬間。

 亜貴は猛然と焔のもとへダッシュした。そんな亜貴に刻は暫し茫然としたが、はっと我に返って亜貴を追った。



「樋口先輩!」

「え? 高城さん?」

 いきなり駆けてきた亜貴に、焔が驚き、目を見張る。

「どうして円上先輩を泣かせたんですか?! 樋口先輩は円上先輩が好きなんじゃないんですか?! どうして振ったんですか?!」

 焔の両腕を掴んで揺らして亜貴は問い詰めた。

「え?」

「ばか! 待て! 暴走すんな!」

 亜貴に追いついた刻が亜貴の肩に手をかけ言った。

「刻!? なんだ? その眼鏡」

 焔は刻にも気づき、首を捻った。そして真面目な顔になる。

「どういうことかな? 二人でいったい何してるんだい?」

「いや、兄貴、これは、そのっ!」

 亜貴は黙ってまだ険しい顔で焔を見ている。刻は二人でいることをどうやってごまかそうか必死で考えていた。

「中で聞こうか?」

 焔はちぐはぐな二人を交互に見て、ブルームーンに誘った。

 店員が再度訪れた焔に不思議そうな顔をした。そんな店員の横を通り過ぎて、三人は以前亜貴と刻が座った一番奥の席に座った。

 席に着くなり、

「兄貴、俺、こいつに告白したんだ! それで、友達として付き合うことにしてもらって……。だから一緒にいただけで……」

 刻が必死に言った。亜貴は驚き、刻を見た。刻はそんな亜貴に、「お前は黙っとけ」と目配せする。

「ふうむ。まあ、刻の恋路は邪魔するつもりはないよ? でも刻に呼び出されたから僕とさゆりはここに来たんだけど?」 

 焔の言葉に対し、次は亜貴が口を開いた。

「それは……刻に二人を呼び出すように私が頼んだんです」

 先ほどまでの勢いはどこへ行ったのか、最後が消え入りそうになる。

「呼び出してどうするつもりだったのかな?」

「……」

 樋口先輩はふうと息を吐いた。

「なんとなくわかる気もするけどね。高城さんは僕とさゆりを付き合わせようと思ったのかな? 刻はそれに協力した、と」

「……はい」

 亜貴はやっと聞き取れるほどの声で頷いた。

 焔はもう一度ため息をついた。

「別に責めるつもりはないんだよ?

ただ、さゆりが泣いていたのは、僕が振ったからではないんだよ」 

「さゆり姉泣いてたのか?」

 何もわかっていなかった刻が今更そんなことを聞く。

「うん。

さゆりは渓と僕が県外に行くのが不安で辛いんだよ。それで今日、これからの話をしていて泣きだしてしまったんだ」

 さゆりの気持ちを考えると、亜貴も刻も重い気持ちで黙った。

「それから、君たちが思っている通り、僕はさゆりが好きだけれど、告白するつもりはないんだ」

 焔の言葉に、亜貴が思わず顔を上げる。

「どうしてですか?! 離ればなれになってしまうのに、このままでいいんですか? 想いを……想いを伝えなくていいんですか?!」

 立ち上がらんばかりの勢いで亜貴が言った。そんな亜貴に焔は淡く微笑んだ。そして。

「高城さん。さゆりは渓が好きなんだ。だから先程、渓に思いを伝えたほうがいいと言ったよ」

「なんで樋口先輩だけが我慢しなくちゃいけないんですか?! 円上先輩が告白して気持ちに踏ん切りをつけられるのと同じように、樋口先輩も円上先輩に伝えることに意味があるんじゃないですか?!」

 亜貴の言葉に焔は少し目を伏せて、悲しげに微笑んだ。

「気持ちはとても嬉しいんだけれど。でも、これは僕の問題だから」

 やんわりと言われ、亜貴は再び黙った。黙るしかなかった。優しく線を引かれた気がしたのだ。

 注文を聞きに来た店員が困ったようにテーブルの手前で待っているのを見て、焔は、

「あ、すみません。えっと、アールグレイ、でいい? 二人とも?」

 と亜貴と刻に声をかける。

「あ、はい」

「ああ」

「じゃあ、アールグレイを三人分ください」

 三人はそれからほとんど話すことなく、ただ、しみじみとアールグレイを飲んだ。

 アールグレイはとても美味しくて、亜貴は切なくなった。


 「帰ろうか」

 焔に言われて、刻が、

「あ、俺、亜貴にちょっと話があるから、兄貴、先に帰ってて」

 と答えた。

「わかった。じゃあ、僕はこれで」

 焔が駅の方に向かって行くのを亜貴は黙って見送った。もう辺りは真っ暗で、焔の姿はすぐに闇に溶けた。

「おい、大丈夫か?」

「え? な、何が?」

 亜貴ははっと我に返ったように答えた。

「いや、今日、結局……」

「……仕方ないよ。やっぱり外野が色々するものじゃないわね。樋口先輩は優しいから怒らなかったけれど、他の人だったら怒ったかも」

「まあ、それは、そういう人もいるかも、な」

 刻は亜貴の様子をうかがいながら言葉を選ぶ。そんな刻を亜貴はちょっと睨んだ。

「それより、刻、なんで刻が告白したなんて言ったの?」

「あ? ああ、まあ、あれね。

だって、亜貴、兄貴に告白したばかりなのに俺と付き合ってるとか兄貴に知れたら、兄貴が亜貴のことよく思わないかもしれねーじゃねぇか」

 亜貴は驚いて刻を見上げた。そんなことを考えてくれていたなんて。

「刻……。ありがとう」

 亜貴は刻は口は悪いけど、本当にいい奴だ、と思った。なんだかそんな刻の優しさが身に染みた。

「な、何泣いてんだよ?!」

 亜貴は刻に言われて、頬を拭うと確かに濡れていた。

「あれ、なんで泣いてんのかな、私」

 刻はそんな亜貴の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。

「兄貴は、あれだ。自分でどうにかするさ。俺たちにできるのはここまでだ」

「そ、そうだね。うん」

 それでもなんだか悲しいと亜貴は思った。焔は自分の気持ちすら伝えずに去るなんて。

「……うまくいかないね」

「……そうだな。

帰るか」

「うん。

刻、今日、付き合わせて悪かったわね。なんか刻は気が進まなかったのに」

 亜貴は鼻をすんと鳴らしながら刻と歩いた。

「あー、まあな。でもいいんだよ。断らなかったのは俺なんだから」

 刻は頭の後ろで手を組みながら上を向いて言った。空には半月が浮かんでいた。

「刻、今日、優しいわね」

「別に。俺はいつも優しい」

「それはないけど」

「なんだよ、それ」

「でも、本当にありがとう」

 亜貴は刻が今隣にいてくれてよかったとこの時思った。

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