そう言うつもりで言ったんじゃないから!

 雨がしとしと降って、寒い朝になった。桜は蕾のまままだまだ咲きそうにない。

 亜貴は刻にメールを入れる。今日の昼休みは書道教室で食べると。

「了解。

そうだ、前期の国公立の合格発表は卒業式の次の日らしい」

 刻からすぐに返事が来た。

(樋口先輩が卒業した後じゃ、私には何も出来ない。卒業式の前に何とかしないと)

 いつもの時間の電車に乗って、いつもと同じように駅から学校へ歩く。傘にあたる雨粒の音が亜貴の思考を邪魔する。雨の日は薄暗くて心までどんよりしてしまう。亜貴は一度考えるのを諦めて足を早めた。

 授業中も焔の今後の日程をノートにメモして、それをもとにいつ二人を喫茶店で会わせようかと考える。

(受験生って、前期の入試後すぐに後期の勉強にとりかかるのかな)

 そうであるなら後期の受験が終わるまで何も出来ないままになるのだろうか。それでは流石に遅い、と亜貴はシャーペンでグリグリとノートの一角を塗り潰す。入試直後はどうだろう。

(当日は無理かな、やっぱり。円上先輩は地元の大学だからいいかもだけど、樋口先輩は新幹線で帰ってくるなら疲れてるだろうし、何時に帰ってくるかもわからないものね)

 では翌日はどうだろう。

(後期の入試日よりそっちの方がいいかも?

刻と話して……って、今日は一緒にお弁当食べないんだった)

 付き合いだしてからはいつものように会っていたから、なんだか会わないというのが妙な感じがする。

(変ね。親しい友人でもないのに、なんだか刻といるときは気を使わないのよね。

っと黒板消されちゃう!)

 亜貴は慌てて黒板を写した。最近授業をまともに聴いていない気がする。試験前は大変そうだ。

(樋口先輩は成績優秀みたいだけど、刻はどうなのかな)

 写し終わった頃に終業のチャイムが鳴った。亜貴は弁当箱を手に久しぶりに書道教室へと向かった。


「あれ? 亜貴だ! 久しぶり!」

「……久しぶり」

 書道教室には安藤美和子が一人。亜貴はホッとして美和子の隣に座った。そして美和子同様、弁当箱を開ける。

「今日は少ないね?」

「部室の方に行ってるんじゃない?」

「美和子一人で良かった」

 美和子は亜貴の友人で心を許せる数少ない一人だった。

「まあ、そう言いなさんな。亜貴が男子と一緒にいるなんて初めてだし、皆んな興味があるのよ。私も含めて、ね」

「美和子もなの?」

「もちろん!」

 悪びれもなく笑って言い切る美和子に、なんだか毒気を抜かれて亜貴は嘆息した。

「……色々あって、付き合ってるのよ。一ヶ月間だけね。それでどちらかが相手に惚れたら負けって勝負をしてるの」

 美和子は呆れたように笑った。

「勝負? 何だか亜貴らしいといえば亜貴らしい。で、負けたら何をするの?」

「そういえばそれは決めてなかった。盛大に笑われるぐらい?」

「なんだ、それだけ?」

 拍子抜けしたように美和子は言った。

「まあ、それだけだと思うけど……?」

「色々のとこが聞きたいけど、あえて聞かないでおくよ。で、今のところどちらが有利なの?」

「私は好きな人がいるし、あいつも私を好きになってる様子はないから引き分けになるんじゃない?」

「なあんだ、面白くない」

 美和子は残念そうに言って、あ、でも、と再度目を輝かせた。亜貴は美和子のその目を見て嫌な予感を覚える。

「亜貴の好きな人って誰なの?」

「それは内緒!」

 とりつく島もない亜貴に、美和子はふーんと目を細め、意地悪く笑った。

「内緒、ね。

樋口君、いいと思うんだけどなあ。亜貴の好きな人ってそんなにいいんだ?」

「私にとっては、ね!  美和子こそ、刻のことそんな風に思ってたんだ?」

 亜貴は驚き目を丸くして美和子を見た。

「樋口君て言ったらそりゃ密かに想いを寄せてる子たち多いんじゃない?

背は高いし、顔も整ってるし、女に興味がなさそうなのが逆にいい」

「ふーん。容姿はともかく、口悪いよ?」

 と思わず言い返してしまった。本人がいないところでこんなこと言うもんじゃないとは思っても、なんだか胸がザワザワして面白くなかったのだ。

「それ、彼女が言うセリフ」

 美和子にシラけた顔で言われて、亜貴は真っ赤になる。

「そう言うつもりで言ったんじゃないから!」

「そういうことにしてあげる」

 美和子はニヤリと笑って言った。亜貴は頭を左右に振って否定する。

「本当に、別に、刻にはそんな気持ち微塵も!

あ、予鈴!」

 亜貴は急いで弁当箱を片付けると、じゃあね、とだけ言って逃げるように書道教室を後にした。

「亜貴?!」

 今更ながら自分の言ったことが恥ずかしくなって亜貴は美和子を振り返ることなく教室へ急いだ。「彼女」だから言ったんじゃない。真実を言っただけなのに。亜貴は熱を持った頬を手の甲で押さえて足を早めた。

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