12節「決着 1」

「上下関係を盾にするつもりはない。だけど、出頭の勧めが部下だったお前へかけられるせめてもの情けだと心得てほしい」

 頭を下げる誠道に、大前は黙れ黙れと喚く。誰の目に見ても明らかに興奮していた。

「上から目線でかけられる情けなんかいるか。こういう時には動けと命令か?」

 ふざけるな! と、唾を吐き捨てる。

「ここまで押しこんでおいて力づくで俺を倒さない、臆病なあんたらしいよなぁ。そのくせ前にでて来て指揮官ぶる。あん時もそうだったよなぁ? あんたの、あんたの臆病に振り回されたせいで俺は、俺らは戦えなかった」

 握る拳がぶるぶると震えている。

「誰も殺せなかったじゃねえかよぉ! 何一つ獲物にありつけなかった!」

 眼球がこぼれ落ちそうなほどにまぶたが開いている。

「志願していったのに戦うな? 殺すな? ふざけるなぁ!」

 怒りの矛先は真っ直ぐに誠道へと向いている。

「他の部隊の連中は敵ぶち殺して勝って酒も女も好き勝手してたじゃねえか!」

 では、矛の根本は、怒りの根本はどこにあるのだろうか。

「俺らは欧州くんだりまで禁欲修行に行ったんじゃねぇんだよ! 戦いに行ってんのになんで衝突を避けるような指示を出されなけりゃいけないんだ?」

 当時の欧州諸国では大東和帝國軍の兵士が何と呼ばれていたか。この場の者は誰も知らぬ。だが、西の人間は海を越えて東からやってくる彼らを指して確かにこういっていた。

 東和の蛮兵と。


『帝國軍は西欧へ勇往ゆうおうせよ』

『西欧の植民地と化した友邦の解放』


 勇ましい文言に彩られていたあの大義とはなんだ。

 東和の盟主を自負する帝國の戦争とはなんだ。


『支配を強める西欧諸国を懲罰する』

『西の盟友国家より範帝国を撃攘げきじょうすべし』


 大義も戦争も、少なくとも大前にとっては犬の餌以下だったらしい。いや、彼からすれば犬も食わない吐瀉物だったかもしれない。

 どちらにせよ見向きする価値のない題目であることには変わりない。

「クソどもをぶち殺しに行ったんだぞ? お上の言うことを信じてな!」

 全ては戦争の大義を笠に着た欲望の発散でしかないと告白しながら。

「大前上等兵よ、もしかして元からそれが目的で軍を志願したのか?」

「ったりめぇだろ!」

 舌を突き出して吠える。

「でなきゃ危険な戦場なんて行こうとも思わねえよ」

 彼はただ我欲を満たすがために水平線の彼方にある戦場を志願したのだ。

 兵士としての身分の裏に己の邪悪なる願望を隠秘して。国家の下で合法的にふるえる暴力と戦場に発生する無法地帯を夢見て。だが、その願いは軍の任務と誠道の下ではついに果たされることはなかった。それがためにこうも怒り狂っているのだ。

「殺して金までもらえる。英雄様は最っ高の職場じゃねえか。てめぇのせいで最低になったがなぁ!」

 ああ、この男はゆがんでいる。それは戦争が生み出したものなのか、あるいは元々のゆがみが戦争で増幅されたものなのか。大前の過去を知る者がいないいま、それは永遠にわからない。だが、戦時にまでさかのぼって言うのならば、

「――上等兵、お前がそこまでゆがんでいたとは思わなかったぞ!」

「それを見抜けなかったあんたは分隊長失格ってわけだ! だがな、いまのあんたはもう上官じゃない。いまさら叫ばれてびびるかよ」

「お前には人としての大事なものすらないのか!」

「ねぇよ。帝都の連中も非道ひどいもんだぜ。戦争中も帝都でのうのう生きてやがった」

 大前は取り囲む人々を前に大胆に嘲笑ってのけた。

「お前のような男を歓迎する者があるか!」

「戦争は終わった、その上司ヅラが気にくわねぇ」

 大前はめちゃくちゃに刃物を振り回す。

自棄やけにならずに出頭するんだ。これ以上何かをしでかしたら罪が重くなるぞ」

「警察は金持ち保護に忙しくて機能してないだろ?……俺を見逃したら誰も傷つけねぇよ。いますぐ包囲を解かせろ」

「だめだ、それはできない」

 刃を向けられても元上司は頑として応じない。

「米売りみたいに殺されたいのか?」

「お前は自覚的に人を殺せない。米売りで初めて人を殺したんだろう?」

 誠道には確信があった。元部下の大前はこの前まで人を殺したことがない。

 そして今も、はっきりと人を殺すのに恐れを抱いている。

 でなければ、短刀をめちゃくちゃに振りまわすような威嚇などしないだろう。

 威嚇は恐れの裏返しである。

 刃物というのは手の延長線上にある武器だ。突き刺せば相手の肉は裂けるし血もしたたる。血液は刃を通じて自分の手にも伝わる。刺突した際に肉が反発して弱く押し返してくるような生々しい感触は人に独特の嫌悪感を催させ、慣れていない者にはずいぶんとこたえるものだ。

 他方、銃ならば引き金を引けば弾丸だけが射出され、肉体の延長線上を越えた遠くで的に当たる。肉を裂く感触との遭遇はない。

 誠道が率いていた大前上等兵を含む分隊は、敵との直接衝突を避け後方でのかく乱や扇動、工作部隊と協力した罠の設置等を主任務としていた。

 大前を含む一部の兵士は間近で発生した戦闘に加わりたがったが、分隊長はこれを認めなかった。分隊は編成された最初から和州へ撤退した後の再編成までの間、一度も敵と刃を交えていない。

 再編で大前がどこへ配転されたか、誠道は知らない。

 だが、目の前に立っている大前の態度から、部下だった時も再編後も今も、その性質はさして変わっていないだろうと見ていた。部下の邪悪な本性を戦地で見抜けなかったという後悔はあるが、それで手心を加える気はない。

「手が震えているぞ。やめておけ」

 誠道は手を突き出して構える。

 自首しないのならば捕縛やむなし。

「く、来るな来るな、来るなよ」

 刃を振りかぶりこそすれ、誠道へ向かって突き出されることはなかった。

 追い詰められていく大前は誠道の傍に立つ道重に気付く。即座にそちらめがけて走りだす。道重を刺し殺そうという意気あってではない。元が軍人の誠道に向かって刃物を手に立ち向かえば返り討ちにあうだろう。ならば従軍経験などなさそうな素人相手に武器をかざして行った方が、威嚇する上でも効果が高い。こういうとっさの判断である。

 突如向かってくる兇漢きょうかんを前に道重は呆気に取られる。

「大前! やめろ!」

 すぐ手前にいた誠道が身を乗り出して途上に立ちふさがろうとした。

 直後、刃が深々と、男の分厚い外套越しに突き刺さる。

 よほど勢いよく刺したのだろう、すぐ近くに立っている道重にまで血が飛び散った。突き刺した大前もおびただしい量の返り血を浴びながら、ふひぇ、と間抜けた声を上げて刃を引き抜く。

 刃が刺さっていた箇所からさらに血が流れ出て、見る見るうちに誠道の足元に血だまりが生じた。

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