another side ー 浩太の場合 ー

 奈良橋浩太ならはしこうたは彼にしては珍しく思い悩んでいた

 あまり物事を深刻に捉えすぎない、どんな時でも「何とかなるさ」が信条の彼にとっては、あまりらしくない悩み方だと自分でも思っていたが、それでも悩まずには居られなかった。

 朝食のときも口数が少なめで、普段の彼を知っている母親からは「いまいちらしくないわねぇ」とあれこれ詮索されそうになったが、浩太は取り合わず、ぼんやりと気の抜けたような表情のまま学校へと向かった。



 そもそもの発端は、昨日の夕方である。

 来月に迫ってきた学園祭の演物に必要な物のリサーチということで、浩太を含むクラスメイト何人かで駅ビルの100円ショップを訪れた帰り道、浩太はたまたま幼馴染の白板京しらいたきょうこの姿を見かけた。

 浩太の方は条件反射で京子の方に声をかけようとしたのだが、京子の方はしげしげとこちらの方を見つめた後、何を思ったか突然視線を外すとそのまま足早に出口の方まで立ち去ってしまったのだった。

 浩太が呆気にとられてその場に立ち尽くしていると、たまたまここまで一緒に同行していたクラスメイトの鈴村恵美すずむらえみが声をかけてきた。

「ちょっとちょっと、一体どうしたの? 急にポカーンとしちゃってさ?」

「ん? あ、いや……知り合いが居たんだけどさ」

「え? ……ひょっとして今そこにいたS高の制服をきた女の子のこと? 随分奈良橋くんのことをジロジロ見ているなぁ、とは思ったけど、何だ、知り合いかぁ……」

 鈴村さんは微妙に残念そうな声色でそう言った。

「……何を残念そうにしてるんだよ?」

「べっつにぃ~。……でも、奈良橋くん、これは大変なことかもよ」

「えっ、何が?」

「何がって、さっきの女の子のこと。きっとすごい誤解してるんじゃないかしら?」

「誤解? 何をだよ?」

 ここまで来て、まださっきの事態の本質に気がついていない浩太に、鈴村さんは露骨に呆れたような表情になった。

「……奈良橋くんは、ほんっとうにこういう時だけ妙に鈍いわよねぇ……」

「どういう意味だよ!」

「そのまんまよ……」

 とはいえ、このままでは浩太に事態がいつまでも伝わらないので、鈴村さんは仕方なく分かりやすい言葉で解説することにした。

「……要するに、あの子は私と奈良橋くんが一緒にいるところを見て、私たちが付き合っているんじゃないかって誤解しちゃったのよ」

「はぁ!? そんな訳無いだろ!」

 そう言って驚く浩太に、鈴村さんは内心で小さくがっかりしながらも指をチッチッチと振ってみせた。

「甘いなぁ。実際がどうなのか、なんてのは関係がないのよ。その時にどういう風に見えてしまったのか、が大事なのであって」

「だって、たまたま一緒にいたってだけだろ!?」

「それはあくまで私たちから見た話でしょ? あの子はそんなことなんて知らないんだから、上辺だけ見て付き合ってると判定しても不思議ではないって思うけど」

 まぁ、あの子はなかなか思い込みが激しそうだけど、という言葉を言いかけて鈴村さんは何とか踏みとどまったが、浩太は話を聞いて深々と肩を落とした。

「……ったくもう、あのバカ!」

「まぁまぁ、どっちが悪いってわけでも無いし、何とかなるんじゃないかって私は思うけどね」

 浩太があんまりにも落ち込んでいるのを見かねた鈴村さんはとりあえず励ましてみたが、すぐにニヤニヤと表情を緩めた。

「それにしても、奈良橋くんの意中の女の子はああいうタイプなんだね~。いいこと知っちゃった」

「なっ! ……いや、その、あの……そんなんじゃなくて、京子はだなぁ……!」

 鈴村さんの冷やかしに浩太は顔を真赤にして絶句した。それを見た鈴村さんは面白そうに笑ってみせた。

「大丈夫大丈夫。そんなにムキにならなくても、他の子たちには当分の間話さないでおいてあげるからさ」

「おい待て、『当分の間』ってどういうことだよ!」

「さぁ? そのうち分かるんじゃないかしら?……ともあれ今日のところは私は退散しちゃったほうが良さそうね」

「コラ、勝手に決めるな!」

「奈良橋くんはあの子のことだけ考えていた方がいいと思うなぁ。それじゃ、また明日ね~」

 それだけ言い残し、鈴村さんは浩太に構わず軽やかな足取りで帰っていった。



 鈴村さんに逃げられてしまい、どうにも釈然としない気持ちのまま、浩太は家路についた。

 その間考えていたのは勿論京子のことだ。

 鈴村さんの進言通りになってしまっているのが若干悔しかったが、浩太という人間は根が真面目な性格だった。

 思えば、京子との付き合いは幼稚園時代にまでさかのぼる。その頃からして親同士はともかく本人同士ではさほど親密な付き合いとは言い難い間柄であったが、それでも何だかんだで一緒になっていた。

 それから小学校、中学校と同じ学校に通うことになり、年齢が上がるにつれ少しずつ距離を取るケースも増えていったが、浩太にとって最初に友人として思い浮かぶのは京子であり、登下校などで顔をつき合わすこともしょっちゅうだった。

 京子はしっかり者の世話焼き体質で、根が単純でお人好しなところもある浩太にとっては貴重なツッコみや……サポーターだったと言っていい。

 高校はお互いの都合もあって別々になってしまったものの、浩太も京子も「住んでいる場所が変わるわけでもないし、またいくらでも会えるでしょ」ということでお互いに納得していたし、実際今日のように下校途中で顔を合わすことも何度かあった。

 しかし、考えてみると、これだけ顔を突き合わせていたにも関わらず、浩太は京子を異性として意識したことがこれっぽっちもなかった。幼稚園時代からの幼馴染同士ということで、周りからカップル扱いされた時も二人揃って冷静に否定していたくらいだった。勿論、浩太も京子もお互いに相手に対してそれっぽいモーションを掛けたこともなかった。

 それだけに今日の京子の反応は浩太にとって予想外であったし、少なからずショックも大きかった。

(京子が、俺のことを、意識している……?)

 浩太にとって、それはとても新鮮な発想だった。

 しかしよくよく自分の心のうちを探ってみるとそれを意外なほどすんなりと受け入れている部分が大勢を占めていることに気が付き、浩太の心は更に乱れた。

 仮に京子が自分のことを異性として見ているとして、自分は一体どうすればいいのだろう?

 京子は浩太から見てそれほどすごい美人というわけではないが、ちょっとした時に見せる笑顔はなかなか魅力的だと思うし、なかなか可愛いのではないかと思う。スタイルも好みだし、ちょっとお節介なところもあるが心優しい性格だ。

 と、そこまで考えが膨らんだ時、今更ながら浩太の脳裏に今日の出来事がフラッシュバックする。

 自分と鈴村さんがたまたま一緒に居たところを見た京子は、それを自分たちが付き合っているものだと誤解してしまった。そして、足早にその場から離れた……。

 そのことが意味する本当のところをようやく理解して、浩太は激しい不安と焦りを感じた。

 京子に謝れば良いのだろうか? いや、謝って解決する問題なのだろうか?

 事情を説明すればいい? しかし、事情を説明したとして京子はどう取るだろうか?ことと次第によっては、余計まずい自体になるかも知れない……。

 一体、どうすればいいんだ……?

 その日、浩太は一晩中堂々巡りする思考のままで過ごした。



 ふらふらと学校に行くと、鈴村さんが目聡く声をかけてきた。

「おはよ、奈良橋くん。……にしても、随分やられてるわねぇ」

「……お陰様でね」

 鈴村さんにかろうじて少し皮肉を返したものの、浩太は力なく机に突っ伏したままだ。

「相当な参りようね。……こりゃ本物かな?」

 その様子を見て鈴村さんは思案気な顔でそう言った。

「何が本物なんだ?」

「さぁね……。それよりもあの子のことで悩んでいるんだったら、いい案が無いわけでもないけど?」

「ん? いい案だって……?」

 浩太は起き上がって鈴村さんの方を見た。気怠げな動きではあったが、眼は爛々と輝いていたりする。

 それを見て取った鈴村さんは、内心で小さく深いため息をつきつつも努めて冷静な口調で話しだした。

「んー、まぁ奈良橋くんなりに色々考えるところはあると思うんだけど、とにかくまずは奈良橋くんがあの子のことをどういう風に思っているのか伝えるべきなんじゃないかな」

「俺が、どう思っているか……?」

「そ。まぁ多少誤解だとか思い違いしているところはあるのかも知れないけど、結局それってあの子が奈良橋くんが自分のことをどう思ってくれているのか分からないからそうなっちゃってると思うのよね。だから、奈良橋くんがあの子にはっきりと今の気持ちを伝えられたら、自然と誤解も解けて、上手くいくんじゃないかしら?」

「本当にそれで、上手くいくかな?」

 浩太は少しやる気を出したようだが、まだちょっと迷っているらしい。鈴村さんは露骨に「世話が焼けるわねぇ」と口に出しそうになるのを何とかこらえて、ダメ押しをすることにした。

「そんなの私が保証できるわけ無いでしょ。単なる推測なんだから。でもまぁ、成功率は4割……いや5割くらいはあると思うけどね」

 二人共単純バカップルっぽいし、と後に続きそうになった言葉を飲み込みつつ、鈴村さんはにこやかに言った。

「わかった、その線で行ってみる。サンキュ、鈴村さん」

「どういたしまして」

 浩太がようやく元気を取り戻したのを見て取って、鈴村さんは妙に残念そうな、それでいて困ったような表情で頷いていた。



 そして、学校が終わった後、浩太はやや急ぎ足で学校を出た。

 鈴村さんからは冷やかしとも励ましともつかないセリフを投げかけられたが、構っている余裕はない。

 京子の学校は、浩太の学校よりも家にやや近い。京子が何事もなく真っ直ぐに家路につくとしたら、こちらも早めに出ないと下校途中につかまえることはできない。

 今はとにもかくにも京子に会うのが先決だった。

 授業の間に浩太の腹は固まった。後はそれをしっかり伝えられるかどうかだ。

 浩太の胸はどこか高鳴っていた。初めての感覚だった。

(京子、待ってろ! ちゃんと俺の気持ちを伝えてやるからな……!)

 はやる気持ちを抑えつつ、浩太は道を急いだ。

 そして、駅を出てしばらくしてから、浩太はそこにたどり着いた。

 京子の背中が見える。

「おーい、京子!」


(『駆け出しカップル!? ー京子の場合ーに続く……)

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