幸福なき孤立

 しばらくして、気がつけば自分も小説を書くことをやめていた。

 深夜の公園で着火した手持ち花火は省みられず、燃え尽きれば二度と輝かない。きっと俺の手持ち花火は既に燃え尽きていた。打ち上げ花火じゃないことなんてとうの昔にわかっていた。燃え尽きていても驚きはなかった。

 そうして小説を書くことをやめてから、述田のべたさんが漏らした苦悩をようやく言葉にできるようになった。

 救われない。

 俺達は救われない。

 俺達がいくら小説を書こうと、俺達は俺達を救うことができない。

 生活と執筆を両立することすらままならず、苦心惨憺に上梓した小説は見向きもされず、サイトを巡回すれば自分よりも段違いに読まれている小説がズラリと並び、そうではなくとも自分のものより優れた小説がいて捨てるほどある。

 それで俺が小説を書いて何になるというのか。ない。何にもならない。大海に飛び込み藻掻もがいた末に溺死する他ないとすれば、俺はおかにいることを選ぶ。ときおり海景を振り返る程度で満足はしないが諦める。諦めて生活をする。

 だが、小説を書くことをやめたところで生活が激変することはなかった。俺の小説なんて所詮その程度だった。けれどもぐずぐずと膿んで崩れていく感覚だけが頭のどこかにこびりつき、何もしないをしていた。

「何かしないと、何かしないとな」

 あの日の述田さんは言っていた。きっと俺も何かすべきだった。ここ最近、休日は家にいるばかりだと気づきとりあえず外に出てみる。

 外の空気は新鮮な気がした。そのまま近くにある公園まで歩いてみる。散歩を趣味にするのも悪くないかもしれない。歩く速度につれて変わる街並みを楽しみ、知らなかった店を探す。悪くない。だがきっと満たされることはないだろう。

 遠回りして目的地にしてみた公園に辿りつく。小さな児童公園だ。ベンチといくつかの遊具があるだけで、サッカーなんてできやしない。それなのに真新しい球遊び禁止の看板だけが立てられ、一方で時計は故障して動かない。

 最寄駅に向かう際に通り過ぎるが、一度もこの公園に入ったことはなかった。たまにホームレスがベンチに座っていることもあるが、今は誰もいない。

 はじめて公園に足を踏み入れてみる。もちろん人生は何一つ好転しなかった。こんな公園、どうでもいい。



  ××



 玉葱と共に加熱処理と味付けを施された豚の死体の一片が定食のメインだった。植村さんが躊躇せず口に運び、咀嚼する。やがて無価値になって排出されるのだろう。

 俺も同じように咀嚼する。珍しく植村さんがおごってくれるというので足を運んだ定食屋は相変わらず特に美味しくなかった。だが、職場の近くでランチ営業をやっている店はここしかない。選択肢がないのだ。まさに人生だった。

 顔を上げれば、壁に貼られたメニューの紙は端がはがれかけ、黒ずんでいる。最後に貼り替えたのはずいぶんと昔の話なのだろう。しなびた老夫婦だけで営んでいる定食屋の時間は錆びついている。

 口に物を入れたまま植村さんが喋りだす。

「なあ、来週の土曜ってひま?」

「たぶん」

「実は最近カノジョと別れちゃってさあ」

「あ、そうなんですか」

「そうなんだよ。最悪だよ」

 植村さんはヤンキーが更生半ばで地元に土着したような人間なので、頻繫にカノジョが変わることはさして不思議ではない。以前にも新しいカノジョができただの別れただのという個人情報を勝手に開示していた。

 無数の傷とへこみのあるテーブルにふれる。何故だか妙にねばついていた。

「それで街コンに行ってみようと思って。あれ、二人でも行けるみたいだし一緒に来いよ」

「ええええ、なんですかそれ」

「今日の昼飯おごるんだからさ。いいだろ?」

「うわ、ずっる」

「ずるくねえよ。上手くいきゃあ俺達そろってゲットできるんだぜ。いいチャンスじゃねえか。お前だってカノジョほしいだろ」

「そりゃほしいですけど」

「ならウィンウィンだ」

 植村さんは豪快に白米をかっくらってから付け加える。

「あ、参加費がひとり8300円な」

「これほんとにウィンウィンなんですかね?」

「ウィンウィンだろ」

 そんなふうに植村さんに押し切られ、本当に街コンに行くことになった。すべての街コンがそうであるかは知らないが、少なくとも今回は二人で申しこむと同じテーブルに割り当てられるシステムで、全くの他人だらけであるよりもいくらかリラックスできた。

 植村さんが強引だが如才なく会話の主導権を握り、「俺達職場の先輩後輩なんだよ」「え、どんなお仕事なんですかー」「公務員。意外?」なんて会話をくりひろげている。俺はそれに合わせてたまに相槌をうったり話題を広げたりしてみる。

 対面する女性どもに特筆すべき点はなく、そこらの街中を歩いていそうだった。実際、歩いているのだろう。俺だって歩いている。

 愛は偉大だ。古今東西の傑作では必ず愛が語られ、彼らは愛をもって幸福をつかむ。素晴らしいことだ。

 で、愛を持たないやつは?

 愛を持たぬ人間はどうやって幸福になればいいのだろうか。

 以前カノジョがほしいと答えたのは噓偽りないところだが、恋愛対象として人を好きになるのは苦手だった。他人は他人だ。自分の歩調では気づけば隣に立つ人はおらず、相手の歩調では自分がつまずいてついていけない。だから自分が誰かと仲睦まじく在ることなど全く想像がつかなかった。それこそフィクションの世界だ。幸福など夢にすら出てきたことがない。

 しばらくすると、そろそろお席の交代の時間です、連絡先の交換は今のうちにと運営からアナウンスが入り、なんとなく流れで連絡先を交換しあう。そうやって何度か席替えをして街コンが終わる。

 帰り際に植村さんに「結構楽しかったな」と肩をたたかれる。間違いない。俺の日常にはなかった新鮮味があり確かに楽しかった。帰りは打ち上げと称して居酒屋に引っ張られる。植村さんはお持ち帰りの武勇伝を高らかにわめいた。もし同じことを今やって発覚したら金属バットで殴られる側に回るだろう。

 そうして帰宅した後に、連絡先を交換した人達にメッセージを送ってみた。これまでの平坦な人生を打破できるかもしれないと期待して。

 一週間経ち、誰からも返事はなかった。悲しみすらわかなかった。


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