029 茶席(3)

「巴御前というのは、どういったお方なのでしょうか」


「ん? ……ああ巴御前というはな、その昔、日ノ本に旭将軍木曽義仲公というお方がおられたのだ。その御台みだい様よ。お前様と同じく長い黒髪の、弓馬人に優れたる女丈夫で、義仲公と共に数多あまたの戦場を駆け多くの武勲を立てられたお方とて語り継がれておる」


「……そうでしたか」


 嬉しがるでもなく無感動にそう返してくるエルゼベートに、五郎太は苦笑いを浮かべた。


「それほど珍しいということよ」


「え?」


「こことちごうて、日ノ本ではお前様のような女丈夫は珍しいのだ。精霊魔法と言ったか、それもあるのかのう。俺の国ではそのような法術をく使いこなす者はおらぬゆえ」


「仰る通りです。精霊魔法のなかったいにしえの帝国では、戦場は男の独壇場であったと聞きます。やがて人が精霊の声に耳を傾けるようになり、その力を借りるすべが明らかになってはじめて、戦場は女にも開かれた場所になったのです」


「成る程のう。……しかし、今更言い訳にもならぬが、俺がお前様との決闘を厭うたは、そうした彼我ひがの違いもあってのことだと思うておる」


「……と、申しますと?」


「俺の国で果し合いと言えば、刀で打ち合うにせよ槍を使うにせよ、最後は膂力が物を言うものと相場が決まっておる。俺と死合いたいなどと申すからどんな醜顔むくつけき女かと思いきや、お前様のような手弱女たおやめではなあ」


「手弱女とは?」


 怒ったような顔でエルゼベートは訊ねてくる。そんなエルゼベートを、五郎太はじっと真摯な目で見つめた。


「優美でやさしげな、守ってやりとうなる女子おなごのことよ」


 わずかに含羞はにかみながら、しみじみと五郎太は言った。エルゼベートの頬にすっと紅がさした。


「わ……わたくしにそのようなことを仰るのは、ゴロータ様だけです……」


 怒ったような顔をそのままに、消え入るような声でエルゼベートは言った。それから上目遣いに五郎太を見ると、自分の髪に手をやりながら恐る恐るといった感じに切り出した。


「……ゴロータ様は、わたくしのこの黒い髪を、本当に美しいと思われるのですか?」


「ああ、美しい」


 即答だった。エルゼベートは驚いた顔をし、益々赤くなってしまう。そんなエルゼベートに構わず、五郎太は尚も続けた。


「お前様のような髪をな、俺の国では緑の黒髪というのだ」


「緑……黒髪なのに、なぜ緑なのですか?」


「さあ、そのあたりは俺にもよくわからぬ。だがこの上う美しい髪を、俺の国の者達はたっとぶような想いを込めそう呼ぶのよ」


「……」


「初めて目にしたとき、俺がお前様の髪に見惚れたはまことじゃ。そればかりはうたごうて欲しくない』


「……どうしてですか?」


「俺が心より美しいと思い見惚れたものを、詰まらぬもののように言われるは我慢ならん。たとえそれが他ならぬお前様の口から出る言葉であってもな」


 不満げにそう言う五郎太に、今度はエルゼベートの方がくすりと笑った。


 卒然――何かに気付いたようにエルゼベートの眼差しが壁にかかる肖像画に向けられた。


 そのまま墨々まじまじと絵を見つめる。そんなエルゼベートを、五郎太は黙って見守った。


「……ずっと気になっていたのですが、この絵は」


「兄上にお借りした。世にも美しい貴婦人の絵はないものかとうかごうたら、この絵を貸して下された」


「クレマンティーヌ大后の肖像画です。黄金の時代――帝国が最も繁栄していた古き良き時代に君臨したルドルフ大帝の妃にして、帝国の華と謳われたお方です」


「ときに、この花は何という花であろうか」


「薔薇をご存知ないのですか?」


「ほう、これは薔薇というのか。絵を借りるとき一緒に花を所望したところ、兄上からこれをと薦められたのだ。だが何しろ棘が多くてな。一輪挿すのにも一苦労よ」


「それは――ゴロータ様のご希望ではなくって?」


「ん?」


「ゴロータ様は、お兄様に『棘のある花』をご所望になったのではなくって?」


 そう言って、エルゼベートは壁の絵から五郎太に目を戻した。そして、さっき五郎太がエルゼベートに向けていたものと同じ、真摯な目で五郎太を見つめた。


 五郎太の表情に喜色が走った。己の心がエルゼベートに通じたことを悟ったのである。


「エルゼベート殿」


「はい」


「俺はな、女に触れることができぬ」


「……」


「エルゼベート殿ばかりではない。女という女に触れることができぬのだ。近寄ることさえもできぬ。近寄れば、昨晩のように気をうしのうてしまう始末よ」


「……はい」


「エルゼベート殿が気に入らぬとてああなったのではない。本音を申さば、有り難かった。エルゼベート殿のような高貴の女性にょしょうに嫁御になりたいとまで言ってもらい、舞い上がってしもうた。……だがそこまでよ。矢張り俺は女に触れることはできなんだ」


「……」


「今朝方、エルゼベート殿が部屋を出ていかれようとしたとき、これはいかぬと思うてなあ。けれどもあの場で慌てて申し開きをしたところで信じてはもらえなかったであろう。余計にこじらせておったやも知れぬ。そこで思い立ち、このような席を設けさせていただいたのだ」


「この薔薇は、ゴロータ様が女性に近づけないということを意味しているのですね」


「俺のつたない作意を見抜いていただけたのであれば、何も言うことはない」


「そしてこのクレマンティーヌ様の肖像画は、ゴロータ様にとってわたくしが世にも美しい貴婦人であると、そう言いたいのですね?」


「……言いたいわけではない。元来、俺はそのようなことを軽々しく口にできる人間に生まれついてはおらぬ。……面と向かっては言えぬゆえ、道具に事寄せる。それが茶の湯の役割よ」


 壁の絵を見つめながらそう言ったあと、五郎太はエルゼベートに向き直り、満足そうな笑みを浮かべた。


「不思議なことにのう、この狭苦しい一間ひとまに茶を共にした者は己を偽ることができぬ。『ただ名物を見せ合うは下。たとえ粗末な道具を使つこうておっても、茶席に連なる者がそれをもって胸襟を開き、腹を割って語り合えるなら上の上』とは、俺に茶の湯を教えてくだされたお屋形様のお言葉よ。……自ら茶会を催したはこれが初めてじゃが、存外、形になったかのう」

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