プロローグ

第1話 始まりの日


 ソラは広い。広くて深い。この広いソラに比べれば、どんなものだってちっぽけなものだ。


 子どもの頃から、両親にそう教えられて育った。でも、父も母もなぜか、その話をする時の表情はどこか悲しそうだった。


 俺たちが育った大地は、砂っぽく、灰色で、しかも見上げる<空>はいつも真っ黒だった。


 しかも、<空>は低い。複合超硬硝子ガラスで出来たドームの中で、俺たちは生まれ育った。透けて見えるソラの遥か彼方には蒼く輝く惑星があった。


 俺たちが生まれ育ったのは月の惑星、荒涼としたモルトの大地だった。


「ごらん、ウルウェ。あれが故郷ウィレだよ」


 父の肩に負ぶわれ、子どもの頃はよく、その蒼い星を眺めたものだった。


「ウィレはね。僕たちの故郷なんだ」

「おとうさん。あそこがふるさとなら、なんでぼくたちはモルトにいるの?」

「ずっとずっと昔にね。僕たちのご先祖様がウィレを壊しちゃったんだ。だから、」


 水に溢れ、見渡す限り果てしなく広がるという、も、緑のも、俺は知らない。おとぎばなしでしか、知らない。


「いつか行ける?」

「行けるようにするのが、お父さんと、お母さんの仕事なんだよ」


 父のぼさっとした銀色の髪に、指を立てた。父が振り向く。その澄んだ青い瞳も、俺は生まれた時に贈られたものだ。


「いつかぼく、あのほしにいく!」

「ああ、そうだな。お前が帰れるように、お父さんは頑張るから」


 それから十数年がたった。


『総員傾注。総員傾注』


 真っ暗闇の中で、俺は目覚めた。いつからか、座ったまま、懐かしい夢を見ていた。


『命令は下った』


 手が持ち上がる。力をいれなくても、まるで水の中にいるように身体が浮いてしまう。


『傾注せよ』


 通信からやかましく響く声は連隊長付き副官のものだ。耳慣れている。


『我らの国家元首、グローフス・ブロンヴィッツの聖断が下った』


 暗闇の中で、身を置いている場所が小刻みな振動に襲われる。


 ああ、なるほど、と思った。


 ―全て終わったんだな。


『開戦だ』


 その瞬間、暗闇に閉ざされていた視界が開けた。目の前に、見たことのない景色が広がる。呼吸さえ忘れかけ、呟いた。


「ウィレの、空……」


 大陸歴2718年1月1日。

 俺は、惑星ウィレ・ティルヴィア西大陸の上空にいた。


 ―父さん、母さん、俺はたしかに、ウィレに帰ってきたよ。


 だが、俺にウィレを教えてくれた父も、母も、もういない。


 二人は戦争で死んだ。ウィレに、殺された。


 そして俺は、軍人になった。ウィレに足を踏み入れる200年ぶりのモルト人の、数百万いる中のひとりとなった。


『ウィレに大義の鉄槌を下せ! 死した者達の無念を忘れるな! 祖国に栄光あれ、ディア・ファーツランツ』

「ディア・ファーツランツ(祖国万歳)」


 操縦桿を握る。搭乗機(なにか)が、静かに起き上がり、足を立て、そして腕を伸ばして"降下ユニット"の開けたハッチに手をかけた。

 青い空を落ちていく卵型の降下ユニットの中から、それは現れた。


 コクピットのモニターに、格納庫の映像が映し出された。そこに、自分の愛機が映し出されている。


 漆黒の装甲に身を固めた、中世の騎士を思わせる"人の型をした兵器"。人間の十倍はある巨人とも言える黒き機体。


 モルトが、この戦争のために全てをかけて作り上げた。宇宙民族の技術の結晶。


『汎用機動自立戦機。グラスレーヴェン隊、出撃せよ』


 モルト軍汎用機動自立戦機グラスレーヴェン。それが愛機の名前だ。


『モルト・アースヴィッツ軍機動軍、グレーデン連隊付機動中隊2番機、キルギバート少尉。聴こえるか。キルギバート機は、ただちに降下せよ』

「了解」


 空の上で、息を飲む。


 赤くて白い夜明けの世界そらが目の前に広がっている。


『管制より2番機へ。準備宜しいか』通信機から耳慣れたオペレータの声が聴こえる。

「こちら2番。起動完了。出撃準備よし」


 返す声が低く震えてしまう。初めて見る世界に対する感動か、それともただの緊張か。いやどちらもだろう。


『出撃だ、少尉。機を前進させよ』


 自分をこの惑星ほしまで運んでくれたシャトルから"足"を踏み出した。眼下に広がる白い雲海のその下に、目指すべき大地がある。


 高飛び込みの選手のように、シャトルの足場の隅で"足"を揃える。全身が竦む。


「2番機より管制。位置に着いた」

『了解、2番機。幸運を祈る』


 意を決して飛び降りた。

 途端、世界がひっくり返った。身体は浮き上がっているのに、その位置が下へ下へと降りていく。生まれて初めて感じる、この惑星の重力だ。


「溺れる」


 思わず呟いてしまう。俺の身体をぴったりと支えているコクピットシートに背中を押し付けながら、必死に機体の制御を行う。


 姿勢制御装置に異常はないか? スラスターは噴射されるか? 武器は? カメラは?


 今のところ問題がない。だが、このまま落ち続ければどうなるだろう。


 空を落ちながら、振り向いた。

 背後に大写しになる大空を、黒い人影が引き裂いている。それも一つではない。何十、何百という黒い人影が、空に黒点を刻みながら地上に迫っている。

 なんとも禍々しい光景だけれど、少しだけ救われた気分になった。狭いコクピットに自分ひとりだから。その上、この大空の中でたった独りでいるかのような気分になることは耐えられない。


 通信に通知が来た。落下の浮遊感、吐き気と格闘しながらコンソールに腕を伸ばしてスイッチを入れる。


 最高司令部の通達が響く。


『聖断は下った。諸君はこれより降下し、西大陸政令都市、モルトランツを攻略する』


 馬鹿野郎、すでに降下済みだ。という声がどこかから聴こえたが、それどころではない。


『モルトランツは我らモルト民族の始まりの地にして運命の地だ。ここを陥落させ、敵の政治機能に打撃を与え、一挙に西大陸を掌握する』


 敵の重要都市を宇宙から直接攻撃するなど、一昔前なら考えられなかったことだ。だが、モルト軍にはそれが可能だ。このグラスレーヴェンをもってすれば。

 今日、それが証明される。


『諸君の幸運と、健闘を祈る。祖国万歳(ディア・ファーツランツ)』


 いつもなら唱和するところだが、本当にそれどころではなかった。惑星成層圏から地上にダイブするなど、歴史上、きっと初めてだ。


 予行演習といえる降下訓練は故郷にいたころ、散々やった。今、自分が乗っている"機体"とともに、人工の宇宙都市の天井と言えるドームの内側から飛び降り、機体を大地に降り立たせるのだ。それでも、胃が裏返りそうな加速感や不快な浮遊感はモルトでやった頃のそれとは比較にならない。


 頭のてっぺんに血が偏って、頭蓋骨がばらばらに吹き飛びそうだ。ただ落ちる。降下などとお上品なものじゃない。自由落下だ。


 雲海が目一杯に広がる。そこから、何かが飛び出した。


『注意、下から来るぞ!』


 自分と同じ搭乗員の声にはっとする。雲間から夥しい数の何かが現れる。


 ―ウィレ軍迎撃機!


 くの字に折れ曲がったような機体は全体が翼になっていて、胴体がない。全翼機と呼ばれるものだ。それが恐ろしい速さで駆けのぼってくる。


『キルギバート、敵機直下!!』

「い、っ……!?」


 自分の名前を呼ばれたと認識すると同時。


 警報が轟き、コクピットが赤い光で染まる。跳ね起きるように操縦桿を引き起こす。尻が下を向き、機体が起き上がった。その胸先を、誘導弾(ミサイル)が通過していく。ついで、ウィレの戦闘機とすれ違う。


 パイロットと、目が合った。


「―!!」


 その頭上で爆発が起きる。自分と同じように降下した同僚の機体と、先ほどすれ違った戦闘機が空中衝突したのだ。


『推進剤に引火してる、機体が制御できない! いやだ、まだこんなところで―』


 通信を通して悲痛な声が木霊する。閃光と、次ぐ爆発に機体が揺れる。


 だが、その爆発も瞬く間に遠ざかっていく。死んだ者は空中に留まり、生きている人間は地上へと降りていく。


 そうだ、生き残って地上に降りなければならない。何としても降りてやる。


『警告、誘導弾!』

「ちっ!?」


 操縦桿の先端にあるカバーを外し、引鉄を押し込んだ。機体の両肩にあるカバーが吹き飛び、そこから六連装機関銃<<モルト軍対装甲機銃プロンプト>>の砲身が飛び出す。

 発砲を全て自動自律迎撃システムに委任する。自分は姿勢制御で手一杯なのだ。機体を信じるしかない。


 雲の海原から、白い尾を引いて円筒形やら円錐形の弾頭が蛇の群れ―見たことはないが―のように登ってくる。


「叩き落とせ、グラスレーヴェン」


 機銃が火を噴き、間近に迫った弾頭を叩き落とすたび、閃光と爆発が生まれる。曳光弾の群れは鞭となり、真正面に迫ったミサイルを叩き落とす。


 ごん、と機体が揺れた。姿勢が崩れ、機がうつ伏せになった。


「う、おぉ!?」


 雲が目と鼻の先にある。

 息ができない。

 機体はどんどん、降下し、ついに雲間へと吸い込まれた。


「これが……」


 視界が真っ白に染まり、何も見えない。爆発の閃光さえ認めることができない。時折、風を裂くような轟音が過ぎていく。上空へ駆け上がる敵機の音だろうが、降下中のグラスレーヴェンの索敵は視界が全てだから、何も行えることがない。


「これが、雲の中……」


 視界が晴れる。


「見えた!!」思わず叫んだ。


 緑の大地と青い海が広がっている。その中央には灰色か、あるいは白っぽい四角形の人工物の群れが見える。間違いなく、都市だ。


「モルトランツだ!」

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