第一章

第4話 購入

「はい、契約の主を坊ちゃんに書き換えました。これであなたが彼女の主ですよ」

「坊ちゃんはよしてくれ。ボクにはリムル・ブランシェって名前がある」

「わかりました、ブランシェさん。再調教の要望などございましたら、三日以内にご報告ください。出来る限り対応させてもらいます」

「ああ、わかった」

「では、今後もご贔屓に」


 『わたし』を置き去りにして商談と契約を済ます『ご主人様』。これで晴れて奴隷に格下げとなったわけだ。

 冒険者風の外見だから肉壁にされるのか、それとも主は男なので性奴隷にされるのか、あるいはその両方か……


「おい、お前の名前は?」

「――知らない」

「……商人、彼女は教育が足りないのか?」

「ああ、いえ……コイツは本当に自分の名前を忘れてやがるんです」

「ふぅん?」


 半信半疑と言う表情でこちらを睨みつけるご主人様。

 奴隷商の言うことは信用できないと言うことかな?


「本当。土砂崩れに巻き込まれる前のことは、記憶が曖昧」


 記憶もだけど、口調にも大きな変化が現れている。

 ぶっきらぼうというか、ぶつ切りな会話しか行えてない気がする。性格には、それほど変化は無いはずなんだけど。


[じゃあ、ボクが名前を付けてやろう。そうだな……エイルでいいか。水神エイル様から取ったんだから、名に恥じないようにしっかり働けよ?」

「エイル……いいの?」

「主神様の名前を付けたのなら、粗末には扱えないだろ。奴隷だからって無茶な扱いをする気は無いけど、認識っていうのはいつかは変わるものだから」


 この人は意外といいご主人様なのだろうか?

 無茶な扱いをしないと言う一言に、安堵を覚える。


「あ、そうだ。アフターケアの一環としてフード付きのマントとか貰えないか? 彼女の外見はいろんな意味で目立ちすぎるから。余計なトラブルには巻き込まれたくないんだ」

「確かに。それではこちらのマントはどうです? 旅装用の物ですから、雨避けのフードも付いてます」

「ん、それでいい。ありがとう。よし、それを着たら宿に戻ろう」

「はい」


 残された皆には申し訳ないけど、お先に失礼するね。

 いい主人に恵まれることを祈っているよ。




 フードを被っても心配なのか、ご主人は足早に街中を抜けていく。

 わたしも姿が晒されないようにフードを押さえ、必死で後を付いていく。左右の足の筋力が違いすぎるので、ヨタヨタとした頼りない歩みにしかならない。

 つまずかずに歩くことばかりを考えていると、いつの間にか宿に到着していた。

 初めての国外だと言うのに、風景を楽しむ余裕すらない。

 そもそも、今のわたしはそんな発想にすら至らなかったけど。


「女将、今帰りました。鍵をください」

「おかえり――あ、その子は奴隷かい?」

「うん、護衛が欲しかったから。部屋に入れても構わないだろ?」

「そりゃもちろん構わないけど……あまり汚さないでおくれよ」

「ん? あ、そうか先に風呂に入れた方がいいかな。共同浴場は開いている?」


 ご主人はわたしを一瞥して、風呂に入れることを決めたようだ。

 確かに長旅で埃にまみれてるし、『教育』の残滓などで臭いも残っている。


「まだ湯は張ってあるよ」

「よし、じゃあエイルは先に風呂に入ってくるように。部屋は二〇三号だ。着替えは……とりあえずボクのを着るといい」

「――わかりました」


 これは『事』の前に身体を磨いて来いと言うことかな?

 いよいよ覚悟を決めないといけないかも。




 念入りに身体を洗い、覚悟を決めて湯から上がる。

 さっと身体を拭き、髪を乾かす間もなくシャツ一枚で部屋に向かう。

 部屋ではご主人が机に向かい、荷物の整理をしていたようだ。

 ベッドは……やはり一つしかない。わたしはチョコンとベッドに腰掛け……


「えと……」

「ああ、戻ったか? 服のサイズはちゃんと合った――って、なぜ上しか着ていないんだ!?」

「あの、わたしはご奉仕するのは初めてだから……」

「違うぞ! ボクはそういう目的でキミを買ったんじゃない、護衛って言っただろ!」


 そういえば女将との会話でそういうのがあったような?


「そうなんですか? 口実だと思ってた」

「大体ボクはまだ未成年だよ。そう言うのは早すぎる……多分。興味はあるけど。すごく」


 アワアワと両手を振って否定するご主人。チラリと視線を下に向けると、それなりに反応はしてる模様。

 これもろくでもない『教育』のタマモノ。


「つまり、わたしの貞操も後数年と言うことですね?」

「……どうしてそうなる?」


 そこで、ふと気になった事がある。ご主人は一体いくつなんだろう?


「あの、ご主人様の年齢はいくつなんです?」

「そのご主人様はやめてくれない? なんだかむず痒くて……ボクは今年十二になったよ」

「それではリムル様と。リムル様、思ったより若かったんですね」


 十四、五歳かと思ってた。歳のわりと背が高い。もっと上だとばかり。

 見かけは華奢な文学少年だから、ヒョロっとした印象は拭えないけど。


「実家が小金持ちでね。もっともその両親は今年初めに亡くなってしまったけど」

「それは……お悔やみを」

「かまわないよ。だけど、おかげでまだまだ勉強不足なんだよね」

「歳のわりには、しっかりしてる?」

「そういうエイルだって、見かけよりしっかりした話し方じゃないか。キミの方こそいくつなんだ?」

「今年で十三になりました」


 まだ年齢は覚えている。

 もう竜の肉を無理に口にすることも無いので、これ以上昔のことを忘れないと思いたい。


「さっきも言ったけど、キミを買ったのは護衛の為だ。言い方は悪いけど、肉壁だね」

「わたし、戦えませんよ?」

「それでも、その鱗とかある分、普通の奴隷より生存率は高いと思う。それにボクは治癒術師だから、多少の怪我なら治してあげられる」


 怪我しても壁になり続けろってわけですか?

 それはそれで厳しい職場になりそう。


「ボクは残念だけど近接戦の才能も、攻撃魔術の才能も無くてね。勉強も途中なので、ラウムの魔術学院に入学しようと思ったんだけど、なによりそこに辿り着ける自信が無い」

「それなら冒険者を雇うなり、何処かの商隊に潜りこむなりすれば……」


 物語の聞きかじり知識で、反論してみる。

 多分、今のわたしには置き去りにしてきたあの子たちへの後ろ暗さがあるんだと思う。


「もちろん、それも考えた。でもここからラウムまでは二週間も掛かる。それだけの期日冒険者を拘束するとなると結構な額になるんだ。それに商隊に潜りこむにしても、それはボクを守ってくれる集団じゃない。いざとなったら切り捨てられるかもしれない」

「わたしだってそうですよ?」

「エイルはボクの奴隷だからね。絶対に裏切らないだろ。あまり奴隷と言う制度は好きじゃないのだけど、信頼をお金で買うと言う意味で利用させてもらった。その……ごめん」

「いえ、それは構いません」

「後ね、ボクは他人のギフトを見抜く限定識別って能力を持っている。エイルが三つのギフトを持ってる事は気付いてたよ」

「……三つ?」


 わたしが持っているのは異空庫だけだったはず。

 記憶や性格以外にも何か変質が起きたのかな?


「異空庫、軽業、魔力付与の三つ。ひょっとして、自分では気付いてなかったの?」

「ええ……いえ、異空庫については知ってる」

「なら、残り二つは後天的に取得したものか、それとも以前から持ってても気付いてなかったのか……」

「軽業なんてギフトがあれば、流石に気付くと思う」


 そういえば、左右の筋力のズレでバランスが無茶苦茶になってるのに、これまでなんだかんだで転倒していない。

 ひょっとして軽業の恩恵も有ったのかな?


「ギフトの後天的取得なんて話は……いや、極微小だけど、過去に何例かあったか……うーん?」


 会話の途中なのに、わたしのギフトのことで頭を抱えて悩みだしたご主人。

 この人、ワーカホリックの性質があるかも知れない。


「えと、それで『なぜわたしを買ったか』という話に戻りたいのですが?」

「ああ、ゴメン。まあ長期間の冒険者拘束より、才能ある奴隷を発掘した方が安上がりで、確実かつ長い目で見ればお得ってことでキミに目を付けたんだよ。奴隷なら、向こうに着いたら『ハイ、サヨナラ』じゃ無いでしょ。軽業とかも持ってるし、戦いの術は追々覚えていけば、きっと強くなれるだろうし」

「……なるほど」

「それに……異空庫に何が入ってる?」

「えっ!?」

「ボクが見抜けるのはギフトだけだ、でもそんな能力を持ってるなら、オマケが付いてくるかもしれないじゃない?」

「ちゃっかりしてますね」


 さて、どこまでバラしたものか? もちろん正直に答える義務はないし。


「お金と、冒険用のアイテムをいくつか、ってところ」

「どれくらい?」

「金貨二百枚と、精神抵抗の指輪とか……」


 かなり少なく見積もったモノを、歯切れ悪く答えるわたし。

 本当は金貨だけでもこの数億倍の価値がある。

 それにドラゴンの死体……アレだけでも国がひっくり返るほどの価値はあるはず。

 他にも神話級の武器や、なにやら意味不明なまでバカでっかい大剣とか、人の力では引けないレベルの剛弓なんかもあった。


「なるほど、確かにそれだけの資産が有れば隠したくもなるか」

「リムル様はわたしを金貨八十枚で購入しましたが、このお金で自分を買い戻す事は……」

「認めない。悪いけどボクには君が必要だから」

「そういうセリフは彼女に言ってあげて。ナンパみたい」

「違うぞ!?」


 こうやって慌てるところは年相応かも。弟ができたみたいで、ちょっと嬉しくなってくる。

 なんだか、無闇にからかいたくなる気分。


「精神抵抗の指輪はボクも持ってるから、自分で使うといい。それと今日は遅いから寝るけど、明日はエイルの服とか買出しに行くから」

「服、買ってくれるの?」

「その格好でマントを頭から被り続けるつもり?」

「う……」

「角を隠す帽子に、翼を隠すマント、もちろん服も翼を出せる構造のがいいな。あと左目と左手と右足も隠しておきたい。それに装備も」


 目立つ風貌に変化したから、仕方ないかもしれない。

 でも一つ大事なのを忘れてる。


「リムル様、できれば下着もお願いします」

「うっ!? あ、ああモチロン……え、履いてないの?」


 終盤はとても小さな声。顔も少し赤い。


「履いてません。ご奉仕するつもりでしたから」

「しなくていいからね?」

「はい。でも我慢できなくなったら、いつでもどうぞ」


 この辺のセリフは『教育』の成果。チラリと腰掛けたベッドを眺める。

 明らかに一人用の小さなベッド。その視線に気付いたのか、ご主人様は慌てだす。


「いや、違う! これはその……気が回らなかっただけで! 今日はボクが床で寝るから!」

「奴隷がご主人様を差し置いてベッドで寝れない。ベッドはリムル様が使うべき」

「女性を床で眠らせるほど、ボクは鬼畜じゃ無い。エイルが使うんだ」

「いや」

「命令するぞ」

「いや」

「お願いだから……」

「いや、じゃあ一緒に寝よう」

「そ、それは……危ない、いろんな意味で」

「あ、わたしの姿、気持ち悪い?」

「そんなこと無い! カッコいいぞ!」


 立ち上がって力説するご主人様。

 確かにこれくらいの年齢って、こういう姿は好きかも知れない。


 共同浴場の鏡で確認したけど、今のわたしの姿は、左の二の腕から先と、右足の膝上から下が竜化している。

 額の上方、やや右寄りに一本の小さな角があり、背中には蝙蝠のような小さな翼。これらは意思の力で大きくできたりもした。

 飛ぶ時や、より広範囲の魔力を感知する時に大きくすればいいのだろう。

 更に左目の瞳は金色に変わり、瞳孔は爬虫類の様に縦長になっている。

 日焼けした小麦色の肌は青白く変わり、髪も金髪から白金へと変化していた。

 全般的に病的なくらい白っぽい。それが逆に悪魔っぽさを演出している。


「リムル様がイヤじゃないなら、問題ない」

「うぐっ、それは……どうなっても知らないからなっ!」

「子守唄、歌う?」

「子供扱いすんな」


 プッと頬を膨らませて講義するご主人様。

 なんだか本当に弟ができたみたい。そんな人に買われて、奴隷商から助けられて……わたしは少しテンションが上がってたかも。

 後から思い出したら、悶え転がるようなことを口にして、初日を終えた。

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