第31話 本当に我が家に帰ってきたんだ

 驚くところは、玄関や部屋だけではなかった。

廊下には手すりが、お風呂場も脱衣所と風呂場はストレートになっている上、以前は深さがあるタイプの浴槽だったのが、ユニットバスになっている。さらに洗い場にも手すりがあちこちに取り付けられている。


そして、トイレもウォシュレットになっている。若干我が家感はなくなっている気もしたが、間違いなく懐かしい我が家だと感じられる箇所は至る所に残っていたのが嬉しかった。


 結婚を決めた時から、子供が就職した時点で別れられるチャンスはあり、戻って来られるチャンスがあることは分かっていたが、当時は元気な状態で戻る予定だったからか、今、ここに居られることが信じられない気持ちでいっぱいになっていた私は、ゆっくりと我が家を眺めては、胸が熱くなった。


「1階だけなら、多分藍子も歩きやすいようになってるはずだ」


お父さんが声をかけてきた。


「うん。すごい!驚いた」


あちこちを見ながら答えたせいで、なんだか間の抜けたトーンで言ってしまった。


しばらくあちこち見ていたが、帰宅して気が抜けたのか、急にお腹が空いてきた。


「なんか、お腹すいちゃった。久々に何か作るよ」


私がそう言うと、お父さんと琉生が何やら目配せをしていた。そして、


「ジャーーーーーン!!!」


琉生は、突然玄関を開けた。そこには、これまた懐かしい顔があった。


「藍子ちゃん!おかえり!!」

「藍子ちゃん、よく頑張ったな」


琉生の両親だ。その懐かしい顔を見た瞬間、私は身体の力が抜け、その場に座り込み泣き崩れてしまった。こんなサプライズまで用意してくれていたのだ。いつも私たち親子を見守っていてくれたのは、琉生だけじゃない。琉生の両親もなのだ。ふたりが元気なうちにまた逢えて本当に嬉しかった。


「藍子ちゃん!大丈夫?…お父さん、ほらこれ、運んで!」


琉生のお母さんは、そう言いながら自分が持っていた食事を琉生のお父さんに預けると、私のところに駆け寄ってきてくれた。おばさんに触れられた瞬間、夢ではなく現実なのだと改めて感じ、さらに涙が止まらなくなって、おばさんに抱きついた。


 夢じゃないのだ。本当に帰ってきたんだ。これからは、結婚前の楽しかった生活が待っているんだ。そう思うだけで、辛かった20数年間が消えていくのを感じた。


 平塚家のみんなが手際よく、食事を並べるそばで、お父さんも手伝いながら男3人の連携が素晴らしすぎて驚いたが、この光景が、お父さんを長年支えてくれてた光景なのだということも一瞬で分かった。


「藍子ちゃん。本当に良く頑張ったね。これからはゆっくりしなさいよ。まだまだ私たちだって動けるんだから、いっぱい頼っていいんだからね」


おばさんがそう言ってくれると、


「うちの親、化け物って噂があるくらい元気だからよ!」


食事の支度をしながら琉生が言った。


「化け物の子供なんだからあんただって化け物ってことよ。あ、あんたはバカ者か!」


おばさんのテンポの良さも健在だ。久々に聞いた親子の会話。何もかもが私にとっては嬉しかった。


 食事の支度が出来たというので、おばさんが私を立ち上がらせようとしてくれた。さすがに、無理そうだったのを見逃さなかった琉生がすぐにきてくれて私を後ろから両脇に腕を入れ引っ張り上げるようにして立たせてくれた。


「ありがとう」


私が言うと、


「いつもそんなふうに素直だといいんだけどな」


琉生が言った。


「いつも素直なんだよ。思ったこと、言ってるでしょ?」

「あ、そか。素直すぎか?」


私を立ち上がらせるとすぐに横に来て身体を支えてくれながら琉生は言った。本当に手際がいい。入院中、看護師がやってくれていた感じと同じことを琉生にやられて私は驚いていたが、そのまま食卓に着いた。


 みんなで食事をすることがこんなに楽しくて、こんなに食事が美味しくて、こんなに嬉しいことだなんて忘れかけていた私は、食事をしながらまた泣いてしまった。今日は泣いてばかりだ。


私が泣きながらも食事をする手が止まらないことに、


「泣いてても食欲には勝てないか!昔から食いしん坊だからな、藍子は」


琉生がしっかりツッコんでくれたのも嬉しかったが、それに対してツッコミ返しが出来なかった。


 食事も終わり、みんなで談笑の時間もあった。その中で、お父さんが、


「琉生は、お前が帰ってくることになるって分かってから、介護の講習を受けたんだよ。資格が取れるって程じゃないけど、地元でやってる講習があって、それに参加して、ある程度のことを学んだらしいぞ」


と言った。私は驚いて琉生を見た。なるほど!だからさっき手際が良かったんだと納得したと同時に、嬉しくなった。


「おじさん!内緒にしとけって言ったのに!」


琉生が珍しく照れていた。私は、お礼が言いたかったが声が詰まって言えなかった。泣くのは今日だけにしよう。せっかく戻ってきたのに泣いてばかりじゃダメだ…と私は心に誓った。



**********



 翌日からの生活は、家事のほとんどはお父さんがやってくれたが、1週間もすると私も少しずつ出来るようになっていた。家事は交替でやる時もあるが、ほとんどふたりで協力しながらやる生活になっていた。


 特に食事を作る時にふたりでやるのは、楽しかった。お父さんが食べたがっていたカレーも無事に作ることができ、二人分という量が分からなくて、大量に作りすぎ、結局琉生の家にも手伝ってもらって食べるなんてこともあった。


 たいてい、琉生は帰宅するとまず我が家に立ち寄ってから自分の家に帰ることも多く、うちで食事をすることもあった。昔、まだ私たちが学生の頃は、家事と受験勉強の両立をしていた私に琉生のお母さんが食事を持って来てくれたり、琉生がこっちの家でご飯を食べたあと、勉強を教えてくれたりしたことも思い出した。


 そんな生活がずっと続くと思っていたあの頃から、私は結婚という選択で一変してしまった。その生活が再び戻ってくるとは思ってもいなかった。昔のような生活の中に、「月に一度の通院」という生活が加わっただけで、私の体調も特に悪化することもなく、過ぎて行った。


 病院へは、ほとんど琉生が連れて行ってくれたが、仕事の都合上どうしても無理な時だけは、鎌倉の家の車が迎えにきてくれることになり、離婚はしたものの、完全に鎌倉と縁が切れることがないまま半年が過ぎた。


私たちは、47歳。勇哉は21歳となり大学3年生になり、就活が始まる時期になっていた。私より10歳上の勇次郎は、鎌倉グループのトップとなり多忙な毎日を送っていると愛川から聞いていた。鎌倉家では、何やらいろいろ私がいた頃とは違う状況になりつつあるという話も聞いていたのが気になっていたが、私が鎌倉家に行くことはないし、行ったところで何も出来ないことも充分、分かっていた。


ただ心配なのは勇哉のことだけだった。

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