第18話 真実と勇哉の決断

 勇哉はもう一度ドアを開け廊下を覗いた。そして、

「鎌倉家ってさ、他の家とは違うよね?俺、友達の話を聞いてていつも思ってた。『うちは違うよ』って言えなくて、いつも適当に相槌うって自分ちのことは何も言って来なかった。お母さんたちが離婚する理由も、もしかしたら常識じゃ考えられないことなんじゃないの?」

開けたドア越しに、廊下と私を交互に見ながら小さな声で聞いてきた。


 勇哉の勘の鋭さには驚かされる。その予想は半分以上正解なのだ。とはいえ、真実を伝えるには、勇哉はまだ鎌倉家の本質を理解する年齢ではないと判断した私は、

「病気だとね、お父さんのフォローができないの。回復はしてきてるけど、この間にもお父さんは毎日忙しくしてるでしょ?お母さんは…」

「しッ!」

私の言葉を遮るように、勇哉は素早く左手の人差し指を自分の口元に持っていき私に向かって黙るようにと指示をしてきた。そして、

「こんばんは。誠人まこと伯父さん」

と廊下に向かって言った。


〈まことおじさん?誰だ?〉と私は思ったが、その答えはすぐに分かった。

「勇哉、どうしてこんなところにいる?お父さんに叱られるぞ」

声の主は、主治医、愛川だった。〈愛川の名前はまことっていうのか〉と変なところに感心している自分がおかしく思えた。

「お母さんに逢うなって言われてるんじゃないのか?」

愛川は、私に聞こえているのなんてまったく気にせず、いや、なんなら聞こえるようになのかもしれないくらいの声で、ちょうどベッドからは姿が見えない絶妙な場所に立ち、声だけで自分の存在をアピールしていた。私からはまったく見えないのだ。もちろん私に対して何か話すつもりもなかったからなのだろう。

「どうしても聞きたいことがあったんです。離婚するんですよね、うちの両親」

勇哉は、愛川に対してきちんと敬語で話していた。

「俺、母親に捨てられるのは別にどうでもいいんです。聞きたいことは、他のことで。父に聞いても教えてくれそうになかったので、まだ母親でいるうちにあの人に聞いておこうと思って」

勇哉は、私を…いや、母を”あの人”と言って人差し指を鋭く私に向け、言った。鎌倉家が私のことを悪者にしていることへの配慮で、自分も母親を憎んでいるというアピールだろう。さすが、頭のいい子だと私は感心した。


「そうか。私も同席しようか?」

愛川は、患者である私には見せない優しい面を見せていた。いや、もしかしたら警戒して同席を申し出たのかもしれない。

「本音を聞きだしたいので、俺ひとりで大丈夫です。大人が加わるとあの人も本音を言わないような気がして」

勇哉がそういうと、

「そうか。あまり遅くなるとお父さんが気にするから、手短かに聞いてすぐに帰るんだよ」

愛川が、そう言った後、廊下を歩く足音が遠くなった。愛川がその場を離れたことは音でも分かる。勇哉は、まだ廊下を見ているということは、愛川はまだ視界にいるということか。


私は、ジッと勇哉を見ながら間接的に愛川がその場から完全にいなくなることを待った。しばらくして、勇哉の表情が緩んだ。そして、

「俺、俳優になろうかな?名演技だっただろ?」

と私の方を向いて悪戯っぽい顔で言った。その表情は、とにかく懐かしかった。病室に入ってきた時の険しい表情とは正反対のいつもの勇哉の表情に私もホッとして、

「名優になれる!」

と親指を上に立て、”イイネ”のポーズを取った。


 勇哉は、ゆっくりと私の方に歩いてきて、

「ごめん。遮っちゃって」

と言った。この優しい表情は、鎌倉家の中では勇哉だけだと私は思っていた。私にだけ見せる表情。勇哉を見ていると、ふと琉生のことを思い出してしまう。自分も琉生にだけは、素直な自分が出せたなと。勇哉にとっての私が、私にとっての琉生だとしたら、この子を置いて私だけ鎌倉家を出ていってもいいのだろうかと、考えてしまった。


そんなことを考えているとは知らない勇哉は、

「お父さんのフォローができないから離婚?『お母さんは…』の続きは?」

と聞いてきた。人の気配に気を向けながら、私の話はしっかり聞いていたのかと思うと、改めて勇哉の頭の良さに感心した。

「お母さんは、お父さんのフォローができないのがイヤなの。だから離婚することにしたの」

私は嘘をついた。最愛の息子に嘘をついたのだ。

「離婚を申し出たのは、お母さんってこと?」

勇哉の顔が、再び険しくなった。そして、

「お母さんなら本当のことを言ってくれると思ってたのに残念だよ」

と、私から目をそらして言った。本当に勘の鋭い子だ。私は悩んだ。本当のことを伝えるべきなのか、それともこのまま嘘つきでいた方が勇哉のためなのか。


 私は、目をそらしたままの勇哉をジッと見つめた。こんなにまっすぐ育ってくれた子に嘘をついてはいけない!そう思い始めていた。

「勇哉」

私が呼ぶと、一瞬ピクリとした勇哉がゆっくりと私の方に向き直してくれた。

「どうして嘘だって思ったの?」

静かに尋ねると、

「お母さんは、どんなに具合が悪くてもお父さんの世話を休んだことがない。入院するほど体調崩したら、自分を責めていると思う。だからお母さんから離婚を申し出たって言われても、本当かもしれないとは思った。でも…」

勇哉も静かな口調で、自分の気持ちを話してくれた。

「でも…何?」

「お母さんは、嘘がつけない人なんだよ。嘘が下手っていうか…いっつも誰かのために自分の本音なんか言わないよね?そんなお母さんだったら、病気になった自分を責めることはしても、治ったら鎌倉の家に迷惑をかけた分、また頑張らなくちゃって思うはず。自分から離婚してくださいとは言わないんじゃないかって」

どこまでも勘の鋭い子だ。それだけ私を見ていてくれたということなのだろう。私は、急に涙が溢れてきた。それを見た勇哉は慌てて、

「何?どうした?えっ?俺、なんかひどいこと言った?」

と私に駆け寄ってくれた。

「勇哉に嘘が見抜かれて、なんだか急に嬉しくなっちゃって…」

「嘘見抜かれて嬉しいってどういうこと?」

勇哉は、近くにあったティッシュを箱ごと私に渡してくれながら言った。確かに嘘を見抜かれて嬉しい人など、そんなにいないだろう。でも私は本当に嬉しかったのだ。

「勇哉は、ちゃんと私を見ていてくれたんだって思ったら、急に嬉しくなっちゃったの」

私は涙を拭きながら答えた。それには勇哉は、なんとも言えない表情になり、

「本当のこと、教えてくれる?俺、非常識なこと言われても、驚かないよ。あの家はとにかく他の家とは違うのは分かってるし」

と言ってきた。


 私は、勇哉に嘘や隠し事をしてもしょうがないと思った。真実を知った勇哉はどうするのか?どんな決断をするのか、心配ではあったが真実を話そうと決心した。

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