内周視点

  内周視点



 ヒンヤリとしたガラスに手を着けながら覗き込んだ水中の魚たちはまるで決められたかのような動きで泳いでいる。


「可哀想に…」


 一言、言葉が不意に漏れた。 そして何の意識も無く漏れた言葉だからこそ、それは真実の呟きだ。


 生まれ育った田舎にあるこの水族館には何度も来ていた。


 幼稚園の遠足に小学校での課外授業。 そして何の娯楽も無いこの都市の唯一といってもいいような施設であるこの場所に。


 それこそ数え切れないくらいにやってきた。


 その頃からここは何一つとして変わっていない。 目の前で波間に漂うゴミのようにユラユラと蠢いている魚たちも。


 もちろん個体それぞれは入れ替わっているだろうけれど、水槽の中の魚たちの種類には何の変化もないのだ。


 あんなにも広い海に住んでいたというのにこんな狭い水槽へと押し込められて、与えられた餌を啄みながら毎日毎日やってくる人間を見ているとだけという生活。


 もし自分だったら…?


 想像して吐き気のするようなウンザリ感が湧いてきた。


 そうだとしたら一体何を考えて生きているのだろう? 一体何を楽しみに生きているのだろう?

 

 けれど皮肉なことに、そしてどうしようもないことに。 自分はこのガラス一枚で隔たれた生物たちとある種、同様な存在なのだ。


 過疎化の進むこの田舎町では必然的に学校は少ない。 同年齢のほとんどが同じ学校へと通うことになる。


 何の産業が無い故にいつまでたっても代わり映えのしない風景。


 接する人間たち全てが顔馴染み。 どこに居ても全てが見知ったつまらなくてありふれた小さな世界。


 この狭く管理された水槽と同じだ。 


 何の変化も無い世界に自分は生きている。


 もちろんそのウンザリ感にあがなおうとはしてきた。  


 だが大学に行くほどに家には金が無く、就職で他県に行こうとしても何年も続く不景気のせいで就職は数えるほどにしか存在せず、その少ない就職先でさえ同年代達が奪いあっていく。


 素直にフリーターになるほどの経済的余裕も度胸もない自分は親のコネで見つけてもらった就職先へと落ち着いた。


 そこでさえ通学路で毎日前を通ってきた会社だった。


 そして決められた時間に起きて、決められた通勤路を歩き、決められた仕事をこなしてこれまた決められた帰路で家に帰って決まった時間にベッドに入って寝る。


 この生活と水族館で飼われている魚たちと一体何が違うのだろう?


 だからこそ、冒頭に口から出た『可哀想に…』という同情は文字通り水中をユラユラと漂う魚たちだけではなく自分自身へと向けられた言葉だった。 


 きっとこの隔てたガラスの向こう側の『彼ら』も自分と同じようにどうしようもない閉塞感を抱えながら、でも何も出来ずにただただちぎれた海草の一欠けらのように流されているだけなのだ。


 そんな地獄のような一生を過ごす彼らと自分を重ねあわせながら、小さな溜息が僅かな水泡のようにプカリと喧騒の中で人知れず漏れた。


 もう帰ろう。 明日も仕事だ。 


  



 

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