塵迅パルス

dust

 オートロックに隔てられた分厚い扉の奥では、地の底から響くような規則的なビートが流れていた。地上23階のクラブの防音設備は最低限で、高層マンションのワンフロアを全て買い取ったオーナーの財力を如実に表していた。

 今回のチップも弾みそうだ。漏れ聞こえるビートを尻目に、俺は屈強なガードマンに手の甲を差し出した。

「アツアツのピザです。中の鮮度もしっかりしておりますので、お早めにお食事ください!」

「オーナーはオーガニックをご所望だ。間違いないな?」

 身分証明用マイクロチップを感知し、ガードマンは俺の手を掴むのをやめた。このプロセスを自動化しないのも、オーナーのオーガニック趣味なのだろうか?

 ビザの入った容器を手渡し、ガードマンから換金用のデータを受け取る。サービスの満足度次第でレートが変動するので、雑な仕事は損だ。見習い時代の換金できないジャンク・パーツは、初心を忘れないために未だ保存してある。

「それでは、良い年末を! 今後ともご愛顧よろしくお願いします!」

 容器の底に仕込んだオーガニックのハーブ粉末をガードマンが確認し、俺はとりあえず年内の仕事を納めた。


 ドローンによる物理輸送システムが普及してから、〈運び屋〉としての仕事は衰退の一途を辿る。

 数年前に予想されたそんな懸念は、結局のところ杞憂だったのだろう。輸送までに何重もの検問やセキュリティを必要とするドローン輸送ではカバーできない非合法取引や速達などで、未だ運び屋稼業の需要は存分にある。

 希少生物の密輸、電子ドラッグの密売、違法薬物の取り引き。それらすべてをカバーするこの仕事は、学のない俺が日銭を稼ぐのにちょうど良いのだ。


 中空の航空網を示すドローンの赤色灯を見上げながら、俺は人通りの多い目抜き通りを駆け抜ける。空を覆うドームから降り積もる人工雪は生暖かく、白色という風情だけを残していた。今年も終わりが近づく慌ただしさに、人々の足取りは妙に速い。だか、そのどれもが俺にとっては間接的な関係しか無いことだ。

 地下街に潜り、穴蔵めいた集合住宅の一室に帰る。一面灰色の室内にポツンと置かれた端末を立ち上げ、俺はデータの換金を開始した。ドル袋のアイコンがシリンダーに吸収され、目標額までの残額を表示する。残り60%、まだまだ先だ。


「おい、ダスト。入るぞ?」

「……兄貴、お疲れ様です」

 俺は壁に埋め込まれた冷蔵庫からシャンパンボトルとグラスを取り出し、慣れた手つきで栓を開ける。酒を注ぐのも、もう慣れた。

「ずいぶん稼いでるようで、安心したよ。お前はスジが良かったからな……」

「兄貴が色々な仕事を紹介してくれたおかげですよ。今夜は仕事納めですし、乾杯しません?」

「……あー、悪いな。今日は仕事の依頼に来たんだ。至急運んでほしい荷物がある。乾杯はその後に、な?」


 この仕事に入るきっかけとなったカストマ兄貴という存在を語ると、長くなる。俺の脚をブースト走行が可能な義足に改造できたのも兄貴のおかげだし、住む場所のなかった俺に穴蔵と身分を提供してくれたのも兄貴だ。その後ろ盾があれば裏社会でも舐められないし、クライアントとのトラブルはすぐに解決してくれる。

 俺の目標を叶えるためには切っても切れない関係であり、憧れの存在。そんなカストマ兄貴に頼まれた仕事なら、何に変えても行わなければ。俺は二つ返事で依頼を受けると、義足のチューニングを開始した。


    *    *    *


 休止したドローンが集積する貨物保管所は、深夜にも関わらず数人の黒服が集まっていた。おそらく兄貴の部下だろう。彼らは兄貴に一礼をすると、保管所の奥から巨大な容器を運んでくる。

「強化ジュラルミンだ。弾丸くらいならびくともしない。少し重いが、お前の義足なら問題ないだろう?」

 俺は試しに背負い、頷く。外見の大きさの割に、50kgほどの重さしかない。これなら走って目的地まで運ぶのも楽だ。

「あと、何か運ぶときの注意点とかは……」

「生きたまま運んでほしいんだ。だから、水没とかはさせないでくれ」

「生き物なんですね、わかりました!」


 ジュラルミンケースを背負う。脚部の噴出口から蒸気が吹き出し、一歩踏み出す力を与える。目的地である中央区の邸宅まで、約70km。二時間あれば辿り着く!

 兄貴は部下を伴い、先に目的地へ向かうと言った。視界から外れて小さくなっていくその背中を見つめ、俺は自らを奮い立たせた。


 辺境のアスファルトは所々がひび割れ、陸路がとうに使われなくなったことを暗に伝えていた。意味がなくなった巨大駐車場に、遠くで稼働し続けている〈飛行場〉。カウントダウンと共に、無人運転のシャトルが観光客をそらに送り出している。ドームの外側にある、本物の星を見るために。

 〈飛行場〉を囲う金網と飛び立つ煙を眺め、歩行速度を上げる。目標額まで金を貯めれば、俺も宙へ飛ぶことができるんだ。ドームの内側に描かれた仮初めの空ではない、本物の星を観られる。そう考えるだけで、仕事へのモチベーションがみるみる向上していくのを感じた。


 飛行場近くの人員輸送レールに沿って走る。目的地までの一番の近道だ。人工太陽の暖かい日差しとは不釣り合いな荒野の寒々しい風景を見渡し、カタパルトのような直線輸送レールを発見した。

 一歩踏み出し、あとは急接近だ。そう考えた、瞬間である。


 何もない砂地で、躓いた。エラー音が小さく響き、義足は急停止。電源が落ちる。

 突如として背中に掛かる貨物の重量を受け止める形になり、俺は慌てて自らの身体をクッションにした。頑丈と聞いた強化ジュラルミンケースの噂は本当だったようで、小さな揺れ程度ではびくともしない。ただ、俺が痛い思いをしただけだ。

「ちゃんとチューニングはしたんだけどな……」

 ぶつぶつと呟きながら、俺は復旧を試みた。ガイド音声が響き、再起動には成功したようだ。なんだったんだ?

 俺はジュラルミンケースを再び背負おうと持ち上げ、あることに気づく。錠が壊れ、容器に隙間が空いているのだ。

「…………!?」

 隙間から漏れ聞こえるのは、生き物の寝息だ。獣のように獰猛なそれではなく、とても穏やかである。

 中を見てはいけない。それは兄貴の信頼に背く行為だし、運び屋のプライドに関わる事案だ。頭では嫌というほど分かっていて、それ故に俺は瞬間的に目を背けてしまった。


 義足が再び不審な挙動を見せ、上空を旋回していたドローンが数基、墜落した。アスファルトを照らす常夜灯は明滅を滅茶苦茶に繰り返す。何かとんでもない物の蓋を開けてしまったのか、突如として周囲にある電子機器が不具合を起こし始めたのだ。

 俺は何とか容器の蓋を閉めようとするが、壊れた錠はもう元に戻ることはない。かえって振動が中の生物の眠りを妨げたのか、寝息は急激に止まった。

 その瞬間、不具合は何事もなかったかのように収束した。ドローンはノロノロと浮上し、プログラムされた航路にすぐさま復帰する。常夜灯の明滅も、義足の不具合も、どれも最初から平然と動いていたかのように完治していた。全てがいつも通りだ。

 間違いなく、今運んでいるものが原因だろう。それは既にジュラルミンケースから抜け出し、砂地に俯くように座っていた。


 どう見ても、人だ。俺と年格好はそう変わらない少年が、服を脱がされて容器に詰め込まれていた。異質なのは、鮮やかなレモンイエローの長髪と、身体に刻まれたマザーボードめいた白い刺青である。

 “それ”は小さく欠伸をして、俺の存在を視認した。白い刺青が発光し、大きな瞳に生気が宿る。

「あの、何か食べるもの、ないです? 空腹で死にそうなんですけど……」

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