第4話 卯月希太郎の日常 その④


     4.


 教室に戻ると、誰も残っていなかった。

 まあ、戻ってくる最中に同じ班の生徒たちとすれ違って、『先に帰るよ』と言われたので、わかってはいたが……。

「なんか冷たいよなあ」

 並んでいる机の上。ひとつだけ鞄が取り残されてある。

 卯月うづきのものである。

 とはいえ、入江いりえひじりと話していて遅くなったのは、自分なわけだし、掃除当番の中で一緒に帰る約束をしていた人がいるというわけでもない。

「帰ろう」

 鞄を持って、教室を出た。


「――絶対に駄目だから!」


 隣の教室から大きな声が聞こえた。

 取り乱しているような、大きな声だ。

 思わず声の聞こえた教室のほうに移動して、そっと教室の様子をうかがうようにのぞいた。

 女子がふたり、いた。

 ひとりは後ろ姿だから知っている人なのか知らない人なのかわからないが、スカーフの色が赤色である。卯月と同じ一年生である。

 もうひとりは、上級生だ。スカーフの色は黄色で、卯月のいる場所から顔は見えた。その上級生のことを、卯月は知っていた。別に接点があったというわけではなく、同じ中学校の生徒である。生徒会に入っていた人物で、集会のときに登壇とうだんしているのを何度か見たことがある。

(名前は確か……)

美章園びしょうえん、とかそういう名前だったはず……)

 ふたりのうち、ひとり……一年生のほうが困っているようで、二年生の美章園のほうが取り乱すように喋っている。もはや、叫んでいるような必死さだ。

「で、でも……」

「絶対に駄目だから! 関わっちゃいけない!」

「そ……そう言っても、部活の先輩ですよ? そういうわけには……」

「絶対に駄目! 見たくもないものが見えてくるようになる!」

 いったい何の話をしているのだろうか?

 話の内容はわからないが、ここで盗み聞きをしているのが気づかれる前に撤退てったいしよう。こういうのに不用意に関わるのは危ない。

 その教室の前を通らないようにして、迂回うかいして下校することにした。

(『絶対に駄目』って……)

(別にそこまで強要しなくていいだろうに……)


 卯月はそんなふうに思いながら下校した。

 いったい何の話をしていたのだろう。少しばかり気になった。

 だけど、きっとしばらくすれば忘れるようなことだ。

 なんてふうに思っていた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る